パキスタン・イスラム共和国
2009年11月
目次
T.経済状況
パキスタンは、独立以来の経済基盤の弱さに加え、国内政争による混乱に伴う外国投資の減少や、国際的な食糧・燃料価格高騰による外貨準備高の激減、財政赤字の拡大等により2008年夏から秋にかけて深刻な経済危機に陥った。同年11月に国際通貨基金(IMF)による総額約76億ドルの融資が合意され、(2009年8月には32億ドルの追加融資が承認された)、また、その後食糧・燃料価格が下がり始めたこともあり、外貨準備高は回復し、危機的水準をひとまずは脱した。しかし、経済不振による経済成長率の減速や、財政赤字を削減すべく開発予算や補助金の削減など緊縮財政を敷いていることから、貧困層の拡大や社会開発分野への中長期的な悪影響が懸念される。
一方、イスラム諸国で唯一原子力発電所や核兵器を保有しているとの自負は大きく、すべてを投げ打ってでも核開発は続けるとの強い方針を堅持している。パキスタンは、A.Q.カーン博士の強いリーダーシップの下、軍民両面での核開発を続けてきた。しかし2004年2月、カーン博士はパキスタン国営テレビで核技術の北朝鮮、イラン、リビアへの提供を告白し、世界中を震撼させた。これにより博士は自宅軟禁状態に置かれたが、2008年に前言を撤回して軟禁を解除されている。
ムシャラフ政権は2008年2月以降、パキスタン・タリバーン運動(TTP)等の武装勢力との和平を企図し、この結果テロ件数は2008年前半に減少したが、TTP等の勢力回復を許すこととなった。またアフガニスタン側でのNATO軍等に対する襲撃が増大し、米国などからテロ撲滅の強い圧力を受けることとなった。このため政府は2008年夏以降、TTP等に対する軍事作戦を強化したが、これに対する報復として都市部を含む各地でテロ事件が増加している。
2009年4月末より、パキスタン政府軍はスワート等において武装勢力の掃討作戦を開始した。これは一定の成果を収めたものの、一時は350万人以上の国内避難民が発生した。現在、国内避難民の帰還と治安の回復が急務となっている一方、武装勢力が核兵器の奪取を図っていると指摘され、懸念が高まっている。
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U.エネルギー・電力需給状況
国家経済委員会(NEC。委員長は大統領か首相)が経済開発を統括する。エネルギー需給状況は以下のとおり(米エネルギー省エネルギー情報局(DOE/EIA)の2007年統計)。
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石油:生産68,390バレル/日、消費390,000バレル/日、輸入321,610バレル/日。確認埋蔵量2億8,900万バレル
- 天然ガス:生産1兆1,120億立方フィート、この全量を国内で消費、確認埋蔵量28兆1,530億フィート
- 石炭:生産401万6,000ショートトン、消費870万2,000ショートトン、不足分は輸入
電気事業は水利電力省(MWP)の監督の下、水利電力開発庁(WAPDA)とカラチ電力供給会社(KESC)が担当してきたが、WAPDAは電気事業再編の一環として1998年に3発電会社/1送電会社/8配電会社に分割された。また、1997年電力法により設立した電力規制庁(NEPRA)が許認可・規制権限をもっている。IPP事業については、1994年に発足した民間電力・インフラ局(PPIB)が支援を行っている。
P.アシュラフ水利電力大臣は2009年4月、今後5年内に必要となる電力設備容量は3,600万kWに達するとの見解を示し、新たに1,600万kWの追加設備容量が必要と指摘した。
1970年と2005年の電源別設備容量を比較する。
パキスタンの電化率は約50%とされており、農村部はほとんどが電気へのアクセスがない。また一部地域では計画停電が実施されている。
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V.原子力発電実施状況
原子力開発関係は大統領官房直属のパキスタン原子力委員会(PAEC)が所管しており、チャシュマ原子力発電所1号機(PWR、32万5,000kW)とカラチ原子力発電所(CANDU、13万7,000kW)を所有・運転している。両機は2008年に19億kWhを発電し、総発電電力量に占める原子力シェアは2%だった。
パキスタンは、1974年5月のインドの核実験後、カナダの保障措置強化提案を拒否したため、1976年に両国の原子力協力協定が破棄され、カラチ原子力発電所の部品・取替燃料の国産化を余儀なくされた。同炉は設計寿命30年後の2002年12月に一旦停止し、原子力規制庁(PNRA)が安全審査を行い、2007年1月に運転を再開した。
またチャシュマ2号機(PWR、32万5,000kW)は、中国核工業公司(CNNC)の協力で2006年5月に着工している。順調に進めば2011年にも運開する予定だ。
2008年10月、中国がパキスタンへのチャシュマ3,4号機の供給で合意したと報じられたが、パキスタン側は明確に否定している。パキスタンの財政状況から見ても、IMFから融資を受けているかぎり、今後新たな原子力プロジェクトに資金を充てることは難しいだろう。
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W.原子力開発体制
(1)パキスタン原子力委員会(PAEC):
1956年設立のパキスタン最大の科学技術機関。原子力研究開発(含農業・医学・産業利用)、原子力発電計画、また国家安全保障も担当。現在の常勤委員は、委員長、財務省代表(財務担当)、専門家5名(管理、技術、発電、科学、燃料サイクル)。また非常勤委員は4名。大統領官房所轄大臣をヘッドに、関係省庁代表等で構成する評議会がPAECの運営を監督する。以下のように原子力発電所を含む約30の機関を傘下にもつ。
a.パキスタン原子力科学技術研究所(PINSTECH)
PINSTECHは2基の研究炉を運転している。ともに軽水減速・軽水冷却炉で、IAEAの保障措置下にある。
- PARR-1(米国AMF社製プール型炉)
1963年5月着工、1965年12月臨界。出力5MWtを10MWtに改造。総工費660万ドル。年間維持費50万ドル。
- PARR-2(中国原子能科学研究院(CIAE)製小型中性子線源炉(MNSR))
1988年1月着工、1989年11月臨界。出力30kWt。総工費200万ドル。年間維持費7万ドル。
b.カラチ原子力発電所(KANUPP)またKUNUPP原子力発電工学研究所(KINPOE)
c.チャシュマ原子力発電所1号機(CHASNUPP-1)またCHASNUPP原子力訓練センター(CHASCENT)
d.原子力発電プラント研究所(INUPP)
e.その他:国立非破壊試験センター(NCNDT) 、パキスタン溶接研究所(PWI)、計装制御応用研究所(CIAL)、情報科学コンピュータ・管理センター(ICCC)
(2)パキスタン原子力規制庁(PNRA):
1965年設置の原子力規制局は、1984年にPAECの原子力安全・放射線防護局(DNSRP)に改組。その後、原子力安全条約発効に伴う体制整備等もあり、2001年に首相直属機関となり、PAECから分離独立した。委員長、常勤委員2名、非常勤委員7名で構成。核物質生産・輸出入・再処理・輸送、廃棄物管理、損害賠償等も管轄する。
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X.国際枠組の加入状況
パキスタンの加入している主な原子力関係国際条約
条約等名称 |
批准時期 |
核物質防護条約 |
2000.10.12 |
原子力安全条約 |
1997.12.29 |
原子力事故早期通報条約 |
1989.10.12 |
原子力事故または放射線緊急事態における援助条約 |
1989.10.12 |
IAEAアジア原子力地域協力協定(RCA) |
2002.02.12 |
Y.原子力研究開発年表
年 |
事 項 |
1955年 |
パキスタン原子力委員会(PAEC)設立 |
1957年 |
IAEA加盟 |
1963年 |
研究炉(PARR-1)を米国から購入。原子力科学技術研究所(PINSTECH)設立 |
1965年 |
PARR-1臨界(12月)。カラチ原子力発電所(KANUPP)に関する協力覚書をカナダと締結 |
1966年 |
KANUPP着工(8月。運開は1972年12月) |
1973年 |
フランスのサンゴバン社と100トン/年の再処理工場建設で合意(1976年3月両国政府で協力協定に調印するが、米国の反対でフランスは1978年にこれを破棄) |
1974年 |
RCA加盟 |
1976年 |
カナダのKANUPP保障措置強化提案を拒否。カナダからのスペアパーツ等の供給打ち切り |
1978年 |
ウラン濃縮成功 |
1979年 |
米国務省、パキスタンの濃縮工場建設を理由に経済・軍事援助を停止(後日、対アフガン協力で再開) |
1986年 |
中パ原子力平和利用長期協力協定締結 |
1992年 |
中国とチャシュマ原子力発電所安全レビュー援助取極締結 |
1993年 |
チャシュマ原子力発電所(CHASNUPP)-1着工(8月。運転開始2000年9月) |
1994年 |
中国とチャシュマ原子力発電所安全検査援助取極締結 |
1998年 |
核実験実施(5月28日と30日。インドの5月11日と13日の核実験の後) |
2001年 |
原子力規制庁(PNRA)設立 |
2006年 |
CHASNUPP-2着工(5月。運転開始は2011年の予定) |
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