[第34回原産年次大会] 概要報告 午餐会 |
【午 餐 会】
大会2日目、発表者をはじめ内外の原子力関係者約370名の参加を得て、午餐会を開催した。 まず、西澤潤一原産会長が以下のような挨拶を述べた。 原産年次大会は、34回目になるが、ここ青森市においても1,000名を超える多数の参加を賜り、大変感謝している。このように、たくさんの方がお集まりになるということは、この分野が正当に理解され、将来を非常に期待される状態になったことを示すのではないかと、大変うれしく思っている。今回の大会は、特に海外からは110名の各界の参加をいただき、主催者を代表して厚く御礼申し上げる。 続いて、青森市長の佐々木誠造氏より、以下のような歓迎の挨拶があった。 第34回原産年次大会をこの青森市で開催いただいて、国内外から多数の皆様方をお迎えできたことを心からうれしく思う。30万青森市民を代表して、心から歓迎申し上げる。 わが国は、特にエネルギー資源が不足する国であるだけに、この原子力の平和利用については、私も大きな関心を持っているうちの一人である。いま青森県内でさまざまなプロジェクトが進められているだけに、この34回目の大会が青森県で行なわれるということは、本県にとっても非常に意義深いことだと思う。21世紀はどのような世紀になるかという中で重大な問題として、地球全体が生き残るために、環境の保全、再生が世界の主要テーマになると考えている。その中で、特に地球温暖化が大変大事な問題であると思うが、皆様の取組みについては、いろいろな議論のある中で、そういう立場からも積極的に前向きな取組みをしていただきたいと思う。 21世紀はまさに環境の世紀だと思うので、それを地域の皆様と我々は手をつなぎあって一生懸命良い環境を次の世代に残そう、つまり今ある自然環境は未来の子供達からの借り物だと思っているので、良い環境を次の世代に残すための活動を地域ぐるみで行なっている。 原子力の平和利用についても、まったく同一線上にあるものと思っている。是非、年次大会が国内外の皆様の力を結集していただいて、素晴らしい意義ある大会になって終わるよう、そして、そのことが地球全体が生き残るために大いに力を発揮するそのきっかけになるよう、心からお祈り申し上げて、地元の市長としての歓迎の挨拶とする。 昼食後、国立歴史民俗博物館館長の佐原真氏が「縄紋人と私たち」と題する講演を行った。
東京大学は、理学部の紀要第1冊として『大森貝塚』報告書を和・英両文で発行した。アメリカの動物学者のE.S.MORSE氏は、このなかで、土器の紋様の名前としてcord markを使った。縄紋土器の名は、cord markの翻訳である。この土器を使っている時期を縄紋時代、この文化を縄紋文化、これを使っていた人を縄紋人と呼ぶようになった。 縄紋人と私たちを結びつける事だが、九州・四国・本州、北海道を含めた本土の縄紋人の食べ物は、木の実を3分の1、鹿や猪を3分の1、魚や貝を3分の1食べており、本土の人々の植物愛好は、実に縄文時代からと言える。 縄紋人は東南アジア系、渡来系弥生人は東北アジア系と形質人類学者は説明してきた。ところが、最近、DNAの比較研究によって、縄紋人が東南アジアの人々だけでなく、東北アジアの人びととも結びつくことが判明した。縄紋人と似た顔が東北アジアにもいて、縄紋人は東北アジア系だ。ところが2万年ほど前に、東北アジアは激しい寒さと乾きに襲われて、縄紋人に似た顔は東北アジアで消え去って、今は南アジアに残っている。 縄紋人と私たちを結びつけるのはそれだけではない。日本は、木が豊富で、太い木の柱を立て、これが屋根を支えている。ヨーロッパでは、壁が屋根を支えている。その伝統は、縄紋以来、現代にいたる。 さて、2001年1月6日、省庁再編成を行ない、文部省と科学技術庁とは一緒になって文部科学省となった。科学技術立国をうたい、情報技術(IT)を第一に掲げる日本国政府が、新しい出発を大安に始めたことは楽しいことではないだろうか。現代は実に「迷信の時代」である。縄紋時代が、迷信の時代と言えるだろうか。縄紋時代以来、迷信は脈々と生きつづけている。 最近の若者は、よくしゃがんでいるが、ネアンデルタール人もしゃがんでいた。この格好をすると骨と骨の端が擦れ合って、そのため、骨に証拠が残りわかるのである。このような格好は、ネアンデルタール人以来、縄紋時代以来、ずっとつながっている。 4,500年前、縄紋時代中頃の土偶は、赤ちゃんを胸に抱いている。1,400年前の埴輪にも、だっことおんぶの姿がある。アイヌの人びと、沖縄の人びと、本土の人びとの間でも、ごく最近までお母さんがだっこし、おんぶしてきた。これはおそらく500万〜450万年前の最初の人類以来の伝統だろう。 日本では、縄紋時代以来、座って赤ちゃんを生んできた。しかし、明治に西洋医学が日本に入って以来、はじめてお母さんは横たわる姿勢で赤ちゃんを生み始めた。これは、縄紋時代と変わった点である。 縄紋人の歯と私たちの歯には大きな違いがある。上の歯と下の歯が、噛み合う歯が縄紋人の歯だった。煮ると硬いすじ肉も植物繊維もやわらかくなる。現在、私たちが食べているものには硬いものはほとんどない。オーストラリアでは、土器は発明されなかった。アボリジニたちは、20世紀になって煮炊きを知ったので、彼らの歯は、上下の歯が爪切り式に噛み合っていて、32本そろっていて、しかも歯並びは良い。 過去から考えると、歯はどのようにして現代に至っているか、これからどうすればよいのかという事もわかる。過去を学ぶ事は過去を学ぶ事に終わらない。過去から考え始めると、現在に関してもっと深くわかる。 文明は地球を壊し、汚してしまった。東京の大森貝塚を発掘して報告したE.S.MORSE氏は、東京湾の水が縄紋時代以来よごれていないことを知った。縄紋人がもっていて、私たちが失った最大のものは美しい自然環境だろう。 道具は、手の延長として生まれた。1950年代の日本にチェーンソーが入った。鉄の斧の100倍の威力があるだろう。進歩のすばらしさである。しかし、マイナス面をみると、チェーンソーは、振動障害を引き起こし、長野県の木曽で、チェーンソーで木を倒している労働者たちの指が冷たく白くなってしまった。南アメリカなどでチェーンソーを使って森を伐採している。ごく短い期間で大きな森が消えてゆく。これが地球温暖化現象の一因になっている、と聞くと、手の延長だった道具が、手の破壊者になっただけではなく、地球環境の破壊者にもなっていることを知る。 次は、私たちが持ついまわしいものである。イギリスのR.RUDGLEY氏によると、農業を始めて生じた新しい病気には、脚気、クル病、ハンセン氏病、ジフテリアなどがある。産業社会へとさらに進むと、肥満、心臓病、糖尿病、ガンが加わり、日本では、杉の花粉症がある。文明が進み、都会に人びとが集住するようになると、多くの病気が生まれた。 アメリカの考古学研究者、ラスジェさんが考古学的に調べた結果によると、アメリカの都市で出す生ごみの70%(重さ)は、まだ食べられる食物だそうである。三内丸山のごみ捨て場の前に立つとき、縄紋人は必要なものを入手し、無駄のない暮しを送っていた、と私は思う。 戦争の定義は、非常に難しく、考古学では証拠がないと、戦争があったとは言えない。農耕生活が始まって農耕社会が成熟すると戦争が始まる、という考えがあり、私もこの考えをもっていた。食料採集民は、蓄えがない、富がない、だから奪うものもなかった。ところが、農耕が始まると、争いが始まる。しかし、食料採集民の間にも集団暴力がある。アメリカの人類学者、FERGUSON氏は、定住こそが集団暴力の原因となったと言っている。 西暦2000年は、第2千年紀最後の年であった。2001年は、第3千年紀最初の年である。私たちは今、千年紀単位でものを考えてみたらどうだろうか。 第2千年紀の人類は、科学技術を大いに発達させる一方で、地球を汚し、そして壊してきた。一遍に大量の人を殺す技術を発達させる一方で、戦争をなくす努力もしてはきたけれど、それは果たせなかった。おいしいものをたくさん食べることができるようになった一方で、飢えに苦しむ人びとをなくすことはできなかった。 宇宙科学を発達させ、月にも到達したし、内臓移植も可能となり、動植物の品種改良も前進させ、DNAを組み替えることまで始めた。しかし、その一方で、野生の動植物の多くの種類を滅ぼしてしまった。開発を進める一方で、自然環境を、文化遺産を壊し傷つけてきた。 第3千年紀に入って、科学技術、情報工学はますます進み、地球一体化も前進するだろう。その一方で、地方の個性を大切にし、自然・歴史環境を大切にし、人の心を取り戻す千年紀を、戦争をなくす千年紀を目指さなければならない。 縄紋時代にあって、私たちが失った良いものを少しでも取り戻し、縄紋時代になくて、私たちがもっているいまわしいものを少しでも捨て去らなければならない。 縄紋人に学ぶことは少くない、と思う。 |