[第34回原産年次大会] 概要報告 セッション4 |
【セッション4「サイクル事業と地域の共生を考える」】 議長:松田 泰 (財)原子力発電技術機構理事長
議長:中村 政雄 (前出)
前半 パネル討論 1988年にわが国最初のウラン濃縮工場の建設が着手されて以来、六ヶ所村は世界で最も大きな原子燃料リサイクル・センターの一つになろうとしている。21世紀に求められることは、これらのエネルギー産業と地域産業が融和発展しつつ共生するとともに、地域の安定をもたらすことである。 ここでは、原子燃料サイクル施設と地域との共生のあり方で今何が求められているかについて、地域住民の代表者や原子力発電等立地地域の地方自治体の首長も交えて検討が行われた。議論は一昨年のJCO臨界事故を踏まえ、安全確保なしに地域との共生は有り得ないとの前提を確認し、その上で、箱物(ハード)から地域交流・人作り(ソフト)への地域振興の転換の重要性が指摘された。 <松田議長冒頭発言>地域との共生というテーマは原子燃料サイクル事業に限定したものではなく、全ての原子力施設の立地における最大の課題である。特に最近の日本の経済変化に鑑み、共生という概念にも今までとは異なる新しい発展が期待されている。今回は自由な立場でこの長年の課題に付いて議論願いたい。 <基調講演>
原子燃料サイクル施設の立地申し入れ要請があった1984年、六ヶ所村では原子燃料サイクル施設対策協議会を設置して検討を行い、その結果として「原子燃料サイクル施設立地要請に対する意見書」を取りまとめ、1985年に村として立地申し入れを受諾した。 サイクル事業との共生については、現在までに様々な対策が講じられており、1970年頃は第一次産業が75%を超え、雇用の場も少なく社会基盤の整備も遅れていた六ヶ所村は、サイクル事業の進展によりここ10数年の間に日本原燃株式会社の社員として地元から約150名、関連企業へ約300名の若者が採用されており、また現在、再処理工場の建設に伴う1日当り6,000名から7,000名の労務者のうち、約1割は地元から従事している。 税収面では村税の7割以上がサイクル事業に係わる分であり、平成13年度の一般会計歳入予算は110億円でそのうち村税は74億4,000万円、67.6%になっている。又、国などからの交付金等については主に電源立地促進対策交付金が1988年から約10年間にわたって約191億円が交付され、基盤整備事業に充当した。 しかし真の地域振興は物、金も必要だが、それだけでは村民の期待を満たすことはできず、今後はエネルギー問題や食糧問題、地球環境問題、そして生活の質的向上など、ハード面からソフト面に目を向けた村民のニーズに対応することが求められる。村の将来展望として「人、自然、文化、産業が輝く共生のまち」の実現のため、サイクル事業との共存共栄を図りながら、行政運営に取り組んでいる。 原子力施設の安全は、基本的には原子炉等規制法等に基づいた諸対策を講じることにより十分確保されるが、JCO事故を契機に事故発生の可能性を100%排除することは出来ないという前提に立ち、事故時の被害を最小限に止めるために国においても法律や防災資機材等の整備が行われた。六ヶ所村でも、平成11年度で約1億2,000万円、平成12年度で約6億1,000万円の予算措置をした。 行政として地域住民の安全確保のために最も重要なことは事故発生時の対策であり、そのために村では国からの補助金を活用し各種防災資機材等を整備している。正確な情報を地域住民と共有するために、防災行政用無線子局を村内全域に約100基設置しているほか、戸別受信機を毎戸に設置し、住民全てに正確な情報が伝達できるシステムを構築している。さらに平成13年度には、民間の地上波を使用し、村内毎戸のテレビに防災情報や行政情報を文字情報として伝達できる「バリアフリー型原子力防災・行政情報伝達システム」の整備を実施する予定である。また災害弱者対策として、聴覚身障者用に「シルウッチ」(通常は時計、緊急時には緊急信号で緊急事態を知らせる)を、寝たきり老人用として「ケアーバス」(昇降機付きマイクロバス)を整備している。 この他のハード面では、村の災害対策本部設置のための設営用機材整備や国、県の災害対策本部と結ぶテレビ会議システムなどの整備にも取り組んでいる。 ソフト面の整備では六ヶ所村地域防災計画原子力編の改定作業に着手、今年度中に完了となっている。また、平成10〜11年の2年間に原子燃料サイクル施設で原子力災害が発生した場合の防護対策に関する調査を実施しており、防護対策の重点実施区域、対応体制、実施要領等について取りまとめており、今後はこれらを踏まえた住民の避難・退避や役場職員の防護対策のための、より充実したマニュアル等の策定に取り組みたい。 いずれにしても、度重なる原子力施設での事故により原子力行政に対する不信、施設の安全性に対する不安が根強くあり、これらの払拭のためには地域住民から納得が得られるしっかりした原子力防災対策が必要でり、今後ともこれらの整備に鋭意努力したいと考えている。 <パネリストのキーノート発表>西川 正純 柏崎市長 柏崎刈羽原子力発電所からの使用済み燃料の六ヶ所村への搬入はまだ行われていないが、数年後には実施され、柏崎市と六ヶ所村との関係は、お互いに助け合うパートナーとして、ますます深いものとなるだろう。 柏崎市には世界一の規模の柏崎刈羽原子力発電所が立地しているが、原子力発電所の立地により柏崎は良くなったのかというと、100%良くなったとは言いきれない。原子力発電所の建設期間は5〜6年間で、準備を入れても15〜16年間である一方、発電開始から終了までの期間は50〜60年と考えられ、建設終了後の地域と事業者との係りが重要である。しかし、建設中に比べ、完成後の地域振興に対する寄与は大きく減り、財政的に偏った推移をたどることになる。これは予測された事ではあるが、現実にこの状態に直面し、対応の難しさを痛感している。 日本の電力の3分の1は原子力により賄われているが、日本全国の地方自治体3,000以上のうち、原子力関係の施設が立地しているのはわずかに20に過ぎない。立地自治体は大きな重荷を背負っているのであるから、しっかりとサポートして欲しい。 次に、日本の原子力政策の中での原子燃料サイクルの意味を考えたい。3兆円の巨費を投じた国策の原子燃料サイクルではあるが、最近はプルサーマル計画が予定通りに進まないなど、雲行きが怪しくなってきている。関西電力美浜発電所向けMOX燃料製造のトラブルに始まり、東京電力福島第一発電所へのMOX燃料受け入れに対する福島県知事の不可解な発言があり、柏崎刈羽発電所でもMOX燃料への不安から新潟県知事が受け入れを躊躇している。 国は燃料サイクル路線の再確認をし、こうしたプルサーマル計画の停滞に対してきちんとした対応をとり、MOX燃料使用の地ならしを行ってもらいたい。 最後に一言言わせてもらえば、原子力ほど、国民生活に密着しているのにもかかわらず、国民から遠避けられているものもない。こうした状況を改善するため、これから何をすべきかは、自ずと見えてくるだろう。 村上 達也 東海村長六ヶ所村が原子燃料サイクル施設の建設により、成長の真っ最中であるのに対し、東海村は1956年に日本原子力研究所の立地を決定して以来、既に45年間が経過している。東海村は面積37平方kmに3万4,000人の住人が居住しているが、そこに13の原子力事業所が存在している。 東海村は日本の原子力発祥の地であり、原子力のメッカ、原子力センターといった、「原子力の村」という地域イメージであったが、1999年のJCOの臨界事故という重大事故を経験し、そのイメージも変化した。特に住民の意識の変化には大きなものがあり、事故前には原子力は安全と思って仕事をし、原子力のおかげで村は豊かになったという認識を持っていた村民が、事故後は原子力施設からの税収は原子力の恩恵ではなく、村内に施設が立地していることからくる当然のものであり、危険手当も含まれているという認識に変った。 地域との共生、住民との共生の大前提は、「安全」と「安心」である。原子力事業者は地域との共生のために、地域に定住し、地域住民の一人として安全第一に努める必要がある。 一方、地方の意識も変化している。今までの原子力施設立地における「地域振興=共生」との考えは高度成長期の発想であり、現状にはそぐわない。現在、地方の望むものは都市化ではなく、地方の良さを再確認して地方のままでいることである。原子力施設の立地に対する恩恵として地方が求めているものは、カネ、モノだけではないという点を理解してもらいたい。 原子力は国策であるから、施設立地に際して住民は自己主張をせず、自分の意志と無関係に受け入れるべきであるとする考え方では、立地は難しくなってきている。 佐々木 正 日本原燃(株)社長日本原燃のサイクル事業は、1984年に電気事業連合会が青森県ならびに六ヶ所村に立地申し入れをし、翌年に関係者間で「原子燃料サイクル施設の立地への協力に関する基本協定書」を締結して以来、15年が経過した。現在では、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターの3施設が操業している。残るサイクル事業の中心的役割を担う再処理施設は、現在の工事進捗率は約64%で、建設工事の最盛期を迎えており、併せて平成17年7月の操業開始を目指した通水作動試験を進めており、建設から試運転へと移行していく新たな展開期を迎えている。 原燃は21世紀に向けて、MOX燃料加工事業も加え、サイクル事業を新展開していくが、地域と事業の共生も新たな観点から見直しを行い、新時代に対応する方向を、地域住民とともに構築していく時期に来ていると認識している。これからも地域振興への寄与を継続維持していくことは勿論だが、重要なことはその具体的な内容、施策、進め方であり、道路・居住環境面の基盤整備、社会福祉・教育・文化面の施設整備にとどまらず、これからの真の地域振興は、ハード面からソフト面への転換であり、村民のニーズにあった施策である。具体的には、以下の通りである。 (1)地域との共生の基本として考えていくべきことは「安全を最優先とする事業運営に徹する」ということである。地域住民の気持ちが「安心」に変わっていくように最大限の努力を重ねる。情報公開にあたっては、常に情報を受け止める地域住民の立場に立ち、「間違いのない」、「すみやかな」、「わかりやすい」情報の提供につとめる。また、防災対策の充実・強化をはかるとともに、その内容を地域住民に周知してもらうことも重要。地域住民の安心を得ることは、地域との共生に係る前提条件であると認識している。 (2)再処理工場の建設段階から操業段階への移行に伴い、地域住民にメンテナンス面での新たなサポートをお願いしたい。建設段階に比べ操業段階では就業者数こそ減少するが、技術・技能を身に付け、日本原燃社員と業務・職務を分担しながら、一体となって工場の操業にかかわってもらうことになる。地域住民と一体となってサイクル事業を進めることによって、原子力施設を不安な存在として意識しない普通の施設にまですることが、次の段階の地域との共生ではないかと考える。 (3)既に約1,400名の社員・家族が六ヶ所村に居住しているが、これから2年程度をかけて本社機能を六ヶ所村に集中化する予定であり、完了すれば2,000名を超える者が、地域の一員として生活することになる。六ヶ所村への居住に伴い、「共生」とか「交流」といった形より、むしろ「地域の人」そのものになりきるのが当然のことである。 最後に、地域が永続的に発展していくためには、将来に向けた準備として、次世代を担う子供たちを育んでいくことが必要であり、日本原燃としても、地域の重要な課題として、協力していきたい。 阿波田禾積 青森公立大学教授核燃料サイクル施設と地域との共生のあり方で何が重要かについて、私見を述べる。核燃料サイクル施設と地域の共生のあり方の具体的な考え方については、先に日本原燃の佐々木社長から話があったので、ここではより一般的に事業(企業)と地域との共生のあり方についての問題点と今後の課題について、「地域共生の理念モデル」的なものを念頭に置きながら考える。 共生とは、生物学の用語で「異種の個体が密接に結びついて一緒に生活していること」と定義され、その結びつきにより、「寄生」、「片利共生」、「双利共生」がある。我々の問題としている「地域共生」は「双利共生」でなければならない。企業側は、地域に核燃料サイクル施設用地を提供してもらっているが、さらに、地域に溶け込み信頼関係を築くことにより、核燃料サイクル政策の意義の周知が図れ、多くのエネルギー施設の立地困難な状況の緩和につながる利得を得ることができる。地域側の要望は多種あるが、最大のものはこうした施設の受け入れによる「持続的かつ自発的な地域の発展」である。従って「地域共生」とはこのような双方の利得につながるような関係をどう築いていくのかが重要な課題となる。 現在、このような場で「地域共生」というテーマが取り上げられる背景には、双方の利得が十分に得られていないか、あるいは双方の利得のバランスが取れていない状態があると考えられる。一般に、多くの施設立地に伴う重要な課題として、地域の受けるメリットが一時的な場合が多く、基本的に「持続的で自立的な地域発展」につながっていないという点が指摘される。現在の「地域共生」の最大の課題はまさにこの点にある。 この課題については既に、関係団体や進出企業によって様々な努力がなされてきているが、よい地域共生の関係をつくるには長い年月がかかり、六ヶ所村の施設については現在、従来とは違った「共生」という意識に立って、スタートを始めたところといえる。以下に、これからの「地域共生」の関係構築に重要となる事柄についての私見を述べる。 (1)開かれた施設であること。事業者の施設は、事業者と地域とのコミュニケーション、地域のアイデンティティやアメニティに係わる重要な要素であり、心理的にも空間的にも地域社会に開かれた存在であることが望ましい。 (2)地域との調和の必要性。電気事業は従来、施設の安全性や自然環境保全という側面については、十分配慮しながら地域社会との調和に努力してきたが、さらに積極的な「地域づくりへの参画」により地域との調和を図る姿勢が大切である。事業者は、従来行ってきた施設を中心としたハード面からの資源提供型地域協力から一歩踏み出し、人・知恵・情報などのソフト面からの参画型地域協力を行うことを求められている。事業者あるいはその社員が地域社会の一員となって地域に溶け込んでいくことが必要だ。 「持続的で自立的な地域発展」は基本的には地域自らの課題であり、地域サイドからも積極的に事業者サイドに働きかけていくことが重要である。またこのことは行政にとっても重要な課題であり、地域住民も含めてこれらの各主体が連携し、協力しあっていくことが成功にとって必要である。 松尾 拓爾 六ヶ所村商工会会長資源小国の我が国は、エネルギー資源の8割を海外に依存している。1970年代に起きた2度の石油危機は当時エネルギー供給の大半を石油に依存している国々に大きな衝撃を与え、これを契機に先進国は原子力を始めとする石油代替エネルギーの開発導入及び、省エネルギー対策を積極的に進めた。その結果、近年では世界のエネルギー情勢は比較的穏やかに推移しているが、人口増加や石油類の中東等の特定地域への依存を考えると、国際的なエネルギーの需給に不安定要素が拡大していく恐れを感じる。 昨年起きた産油国の石油減産による世界的な石油製品の高騰は欧米諸国に大きな影響をもたらしたが、日本でもむつ小川原石油の国家備蓄がこうしたことへの対策を視野に入れたと聞いている。この事態により、化石燃料に頼っていることが国民の生命、身体、財産にまでかかわってくること、特に国益の問題であることを考えさせられた。先進国が原子力を平和利用し、発展途上国に化石燃料を利用してもらうことも大変大事なことではないかと思う。 六ヶ所村商工会の会員は280名で、人、自然、文化、産業の輝く「共生のまち」を目指して、村づくりのため、先進地視察や研修会等に積極的に取り組んできた。特に、理事会は随時開催して会員に情報を提供することに努めてきた。 原子燃料サイクル事業は地元住民と共存しなくてはならず、地域開発とも密接な関連がある。施設の建設が始まれば雇用が増大し、地元自治体の税収により地域開発が促進される。また、電源三法による公共施設の整備等、国による様々な施策も講じられている。このような施策が出来るのも地元住民と事業者との間に強い信頼関係が出来ているからこそである。住みよい村を創るために、村当局を先頭に経済界と住民が一丸となって取り組んでおり、これからも日本原燃と力を合わせて、住みよい地域社会実現を目指して、六ヶ所村を21世紀の日本のエネルギーの里にしたいと考えている。 山口 成明 六ヶ所村酪農家 (六ヶ所村会議員)昭和40年代の「むつ小川原巨大工場開発」と、それに続く原子燃料サイクル事業の引き受けにより、六ヶ所村は様変りした。かつては第一次産業中心の寒村で、冬は出稼ぎが多く社会的にも恵まれない村であったが、現在は人口も増えつつあり、第一次産業従事者は約27%で、比率は逆転した。酪農も政府の系統資金の導入等により、北海道に次ぐ専業酪農の道が拓けた一方、酪農家は減少した。酪農家としては原子燃料サイクル推進とは温度差があるが、開発に協力した住民との交流の中で、開発・サイクル事業と共存の道を選択した。 酪農家は現在80戸に減っているが、県内生乳生産の約4分の1を占める。牛乳の付加価値アップを図るため、数年前に牛乳工場設置の計画を立てたが、JCO事故に端を発した、生協等消費者団体のサイクル施設への不安の声により断念した。六ヶ所産として堂々と販売している牛乳はそう多くなく、風評被害の怖さを身にしみて感じている。消費者は原子燃料サイクル施設があるというだけで不安を覚える恐れもあり、過剰な不安や憶測による行動には懸念を覚える。 農協には「万人は一人のために、一人は万人のために」という言葉があり、全国の人口1億2,000万に対して六ヶ所村の人口1万2,000人が、全国のエネルギーの3分の1を占める原子力の要である原子燃料サイクル事業を引き受けている。しかし、第一次産業においては将来の展望は必ずしも明るいものではなく、もっと温かい手を差し伸べてもらっても良いのではないかと思う。 六ヶ所村は原子燃料サイクル事業を引き受けたのであり、使用済み燃料や高レベル廃棄物の最終処分を受け入れたのではない。原子力発電所において、計画通りMOX燃料が使用できない状況にあるが、サイクル事業の順調な稼働のために、プルサーマルを実施しない発電所からの使用済み燃料の搬入は考え直す必要があると考える。 今後について考えると、第一に風評被害については報道が大きな影響を持っており、正しいデータに基づいた報道を望む。次にプルサーマル計画についてはきちんと将来展望を建て直し、確実に実施されるよう望む。また、事故対策については設備面の対応ばかり進んでいる感があるが、動燃、JCO等の事故でも分かるように、慣れや緊張感の薄れから起こる人的ミスにも着目し、慎重に操業して欲しい。 六ヶ所村は2万5,000haの面積を有しているが、その中で開発区域は約5分の1の5,000haであり、残りは第一次産業の大切な財産である。この財産を有効に生かせるように広い視野で考えていくことが必要である。風力発電のような新エネルギーも村に入ってこようとしており、私達の子孫に何を残せるのか、何を残してはいけないか、将来の展望を見つめていきたいと思う。「大地は尊し」だ。 中村 政雄 ジャーナリスト原子力が日本に導入された頃の東海村は輝いていた。しかし、現在は物質的には豊かではあるが、文化面での不足を感じる。原子力の立地市町村は、施設立地の直接的な効果のみに頼って地域振興を図ろうとすると、建設が終了して経済効果のピークが過ぎるとともに衰えてしまう。 一方、大都市等の電力消費地は自由に電力を使うにもかかわらず、電源立地自治体に感謝していないという意見を聞くが、地方からの労働者の流入による都市部での人口増加と産業の発達に対して、地方が電力を供給しているという側面も考えられるのではないか。しかし、地方に人が来るようにする事も必要であり、それには例えば全国的に有名になる様な一流の食事を提供することが考えられる。 西川市長の発言に、原子力は電力の3分の1以上を供給しているにもかかわらず、国民は斜に構えて見ているというものがあったが、それは金さえ出せば石油が買えるのだから原子力はなくても困らないという思いによるものであろう。しかし、石油価格が1バレル当り60ドルになれば日本の貿易黒字は消える。日本が得意としてきた20世紀型産業は今後は途上国に移り、一方21世紀型の産業は米国が圧倒的に強いのであるから、日本が今後資金を稼ぐ手段はなくなるかもしれない。石油が買えなくなったとき、国民は原子力に感謝することになるだろう。世間の目とはその程度のもので、“待てば何時かは春が来る”と思っている。 松田議長の総括結局のところ、地域との共生というテーマは、原子力施設の建設段階から運転段階に至る長期間のいろいろな段階で問題点を捉えなければならないものであり、さらに国民の意識等も時代とともに変化していくことも考慮して解決に当っていかねばならない。 後半 村民との意見交換
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