原子力産業新聞

風の音を聴く

ジャーナリストとして国際報道の最前線を、時に優しく、時に厳しく、歩み続ける筆者によるコラム。──凛と吹く風のように。

令和七(2025)年は元旦の社説読み比べから

07 Jan 2025

昨年は新聞への不信や衰退論が盛んに聞かれた。それでも元論説委員の筆者としては新聞力を信じたい。そこで今年の初仕事は、朝日、毎日、読売、日経、産経5紙の元旦社説の読み比べ。なお元旦社説は通常の2本ではなく、全紙1本である。まずは見出しから。『不確実さ増す時代に 政治を凝視し 強い社会築く』▼『戦後80年 混迷する世界と日本 「人道第一」の秩序構築を』▼『平和と民主主義を立て直す時 協調の理念掲げ日本が先頭に』▼『変革に挑み次世代に希望つなごう』▼『未来と過去を守る日本に』となる。社名を全部正解出来たら、お年玉モノだ(正解は朝毎読日産の順)。中身に入ろう。朝日は不確実さの主因を米大統領に返り咲くD.トランプ氏に求め、昨年のノーベル経済学賞受賞者、D.アセモグル氏と19世紀の米詩人W.ホイットマンを援用し、時代を読み解く。両者は市民の力を強調する点で共通する。《放置すれば「国家」は市民を圧しにかかる。「社会」の側が国家を監視し、足枷をはめる必要がある》(アセモグル氏)も《堅実な民衆ならもっと強く政治に介入せよ》(ホイットマン)も、新聞の使命を「権力の監視」としてきた朝日らしい。不確実な時代こそ、有権者はしっかり声を上げ強靭な社会を築けと説く。とは言え国家と社会の線引きはそう単純ではない。国家は悪とばかりに、何ら期待しない点も気になる。アセモグル氏については「社会制度が国家の繁栄に与える影響の研究」との授賞理由に言及した方が親切だったろう。毎日は世界の現状分析から始め、ウクライナ、トランプ、国連、ガザなどを暗澹たる状況と見る。新たな国際秩序の青写真にも悲観的だ。それゆえ《戦後80年間、平和国家として不戦を貫いてきた日本は秩序作りで役割を果たすべきだ》とし、「自国第一」から「人道第一」の世界へ軌道修正する外交努力を日本に求め、《日本は『人間の安全保障』を行動指針にすべきだ》(長有紀枝・立教大学教授)との見解を紹介している。日本の役割を明示することは社説の重要な要素だ。後段の市民活動家たちの紹介も悪くはないが、『人間の安全保障』をもっと掘り下げるとか、外交努力を具体的に論じた方が社説により相応しいと感じた。読売は世界が歴史の変動期のただ中にあるとし、3つの危機――「平和の危機」「民主主義の危機」「自由の危機」が同時進行していると警告した。そして《新しい秩序作りに向けて、日本こそがその先頭に立たねばならない》と主張。ここまでは毎日と同じ。続く《危機の中に希望の芽を探し出そう》から違いが出てくる。「自分なら停戦させられる」と豪語するトランプ氏を活用しようと提案し、そのためには世界が侵略も殺戮も許されないと声を一つにする必要があるとする。世界の声を圧力にトランプ氏を有効利用するわけだ。ナルシストと言われるトランプ氏のこと。それもアリかもしれない。成功は保証の限りではないが、トランプ対策が世界だけでなく各国にとっても喫緊の課題であるのは確かだ。日経も冒頭は《不確実性という霧につつまれた2025年が始まった》と朝日と似ているが、《すくんでいるだけでは未来は開けない。危機は変革の生みの親だ。より良い秩序作りに挑み、次世代に希望をつなぐ道筋を付けたい》と、終始プラグマティックなところに同紙の特徴が出ている。また民主主義と選挙に関する文脈で、《新聞などのメディアが正確で信頼される情報をいかに発信するか。わたしたちも変革を肝に銘じる必要がある》と自省した。メディアへの言及が日経だけなのは残念だが、皆無でなくて良かった。産経はへそ曲がりの読者なら見出しを見て「現在はどうなのだ」なんて言いそうだが、《戦後80年である。大東亜戦争(太平洋戦争)について中国や朝鮮半島、左派からの史実を踏まえない誹謗は増すだろう。気概を以って反論しなければ国民精神は縮こまり、日本の歴史や当時懸命に生きた日本人の名誉は守れない》の一文に見るように、現在つまり今年は、過去と未来を守る年との位置づけだろう。自衛隊制服組トップ、統合幕僚長の「国際社会の分断と対立は深まり、情勢は悪化の一途をたどり、自由で開かれた国際秩序は維持できるか否かのまさに瀬戸際にある」(年末記者会見)など有事への危機感溢れる言辞を引用しながら、政治と国民に情勢への備えはあるかと問いかける。情勢認識には異論もあるだろう。当然だ。社説は熟議への土台でもあるのである。ところで産経は「年のはじめに」と題して唯一論説委員長の署名入りだ。無記名より書き手への注目度もプレッシャーも上る。実は筆者も経験者で、テーマは、題材は、と毎回試行錯誤し、読者の反応にドキドキ、ハラハラしたものだ。SNS隆盛の今は、署名の有無を問わず、反応は昔と大違いだろう。分断や対立を煽らず、真っ当で活力ある議論にチャレンジする新聞人にエールを送りたい。

日中国交50年、日印国交70年と これから

20 Oct 2022

今年は鉄道開業(新橋―横浜間)150年。記念行事が各地で開催され、水際規制緩和で賑わいを取り戻し始めた観光地を盛り上げている。日本人は○○周年が好きな国民だと改めて思う。100年企業などザラだし、もしかすると○○周年は日本ならではの行事なのかもしれない。今年は特に国レベルでの周年行事が多いように感じる。1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効による主権回復70年、同月同日の日本とインドの国交樹立70年、72年5月15日の沖縄の日本復帰50年、そして同年9月29日の日本と中国の国交樹立50年と日台断交50年、さらに92年9月17日、自衛隊第1陣のカンボジアPKO(国連平和維持活動)派遣30年と続く。これらの中でいささか「不都合な真実」が日中と日印である。国交樹立が図らずも20年違いのため、周年行事が常に重なる運命となってしまった。国家ある限り永遠で、これはツライ。とくに日印には。日中国交樹立は今では信じ難いような超友好ムードに始まり、パンダ人気が拍車をかけ、周年行事では常に主役。一方日印はと言えば、国交樹立は20年も早く、一貫して親日、象のインディラも頑張ったけれど、同じ周年ゆえに主役の座はとれなかったのが現実だったと言ってよいだろう。ただし、ここで「現実だった」と過去形にしたのは、日中も日印も今や転換期にあるからだ。そもそもウクライナ戦争最中の国際情勢自体が転換期で、もはや日中が主役を張り続けるとは限らなくなってきた。9月29日の記念式典が象徴的だ。主催は民間、招待された岸田文雄首相は欠席し、報道によれば祝賀ムードには程遠かった。背景に日中関係の冷却化があるのは否めない。尖閣諸島周辺海域への艦船の航行や領海侵入、台湾への過剰な軍事圧力など、関係悪化を招くような事案ばかり。内閣府世論調査(2021年9月)によれば、中国に親しみを感じない人は79%、対中関係が良好だと思わない人も85.2%に上る。また民間団体の言論NPOによる日中共同世論調査(2021年10月)でも、中国に良くない印象を持つ日本人は90.9%、日中関係が良いと思う人は2.6%しかいない。もっとも初期の蜜月時代を知らない世代の日本人にしてみれば、日中関係とはそんなものとクールで、日中国交50年自体、知らないか他人事かもしれない。さらに日台は冷える対中関係とは逆に、断交50年が緊密化へ進展した。このように日中は厳しい材料に事欠かない。明から暗へ。これからが思いやられる状況だ。では主役の座は日印がとって代わるのだろうか。話はそう簡単ではないだろう。ただ日印の距離感が目に見えて狭まってきたことは確かである。立役者はナレンドラ・モディ首相をおいていない。首相就任3か月後の2014年8月、最初の外遊に日本を選び、安倍晋三首相(当時)との日印首脳会談で「特別戦略的グローバル・パートナーシップ」を宣言した。日中は「戦略的互恵関係」(2006年)を謳っているが、日印は特別を追加、視野も互恵からグローバルへ広げたのである。翌9月には訪米、続く翌年15年1月のインド共和国記念日の記念式典にバラク・オバマ米大統領を主賓として招待(前年は安倍首相)し、印米関係を強化した。さらに11月にはオーストラリアも訪問。もうお分かりだろう。もともとクアッド(日米豪印4か国の枠組み)は安倍首相が中心的役割を果たし創設されたが、モディ首相にも受容の用意はあった。アジア太平洋からインド太平洋への変更も、もちろん歓迎した。独立以来、非同盟主義を掲げ、どことも同盟しない戦略的自立性を是として来たインド外交から、モディ首相は大きく踏み出したのである。その一方ウクライナ戦争では、長年の友好国ロシアを正面切って非難はせず、国連決議案も常に棄権票を投じ、制裁強化の欧米と一線を画す。中国と共にロシアの天然ガスを安く買い込む。その意味では、依然として戦略的自立に努め、インドの独自性を発揮してやまない。来年日本はG7(主要7か国)、インドはG20(主要20か国・地域)の議長国となる。これからの日印は、その役割をますます強化することが課せられている。その意味で、日印にも主役の座は大いに近づいているのである。

cooperation