原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

甲状腺スクリーニングの「落としどころ」

29 Sep 2016

今年の8月、福島県の甲状腺がんスクリーニングにつき、「規模の縮小も含めた見直しを求める」という要望書が県の小児科医会から提出されました。この要望に対し「調査を続けてほしい」という住民の反対運動も起きており、今後議論が紛糾することが予測されます。

甲状腺がんスクリーニング検査を今後いつまで続けるべきか。人々の間で意見が分かれる原因は、そもそもスクリーニングの目的について意見の一致を得ていないことにあるのではないかと思います。

福島県の県民健康調査は、その目的を「県民の被ばく線量の評価を行うとともに、県民の健康状態を把握し、疾病の予防、早期発見、早期治療につなげ、もって、将来にわたる県民の健康の維持、増進を図ること」

つまり
(1) 被曝の影響を確認すること
(2) 県民の健康を守ること としています。
スクリーニングに関しては、さらに
(3) 住民の不安と不満の解消
というのも大切な目的でしょう。

では、これらの「目的」とスクリーニングという「手段」はマッチしているのでしょうか。

1.スクリーニングは県民を健康にするか

甲状腺スクリーニングが子どもの健康に有益なのか。これは、先日福島で行われた国際専門家会議でも繰り返し議論されたことです。甲状腺がんという予後の良いがんを早期に発見することで寿命がほんとうに延びるのか、心の健康まで考えれば早期発見は健康にとってむしろ有害ではないか、という意見もあるからです。また、「福島の子ども全体」の健康を考えれば、保育所や教育の充実・障がい児のケアなど、もっと別のところにその予算を回してほしい、という意見もあるかもしれません。

2.被ばくの影響は確認できるか
「被ばくの影響を確認する」ということは、悪い言い方をすれば、住民の健康よりも今後起こり得る放射線災害への知見を得ることを優先する可能性がある、ということです。全例調査の中止が嫌がられる一つの理由に、任意の検査としてしまうと調査結果が疫学データとしては意味のないデータになってしまう、ということがあります。後世にきちんとしたものを残したい、と願う人々や、このスクリーニング検査を重要な疫学研究ととらえる人々は、ここまで質の高いデータを反故にすべきではない、と言うでしょう。ただし、それはそこの住民が「暮らす」という視点を欠いている、ということも認識されるべきだと思います。

「サーベイランスとスタディを混同してはならない。スタディの先には科学があるが、サーベイランスの先にあるものはそこに住む人々だ」
先述の国際会議である科学者が言われたことですが、大変重い言葉だと思います。

また、疫学の特性上、調査はいくら続けても最善で「被ばくの影響が明らかでない」という結果にとどまり、「被ばくの影響は0である」と断言できることはありません。一方、今後受験者の年齢が高くなるにつれ、偶発がんの件数も増加します。このような中で、がんが増えたか、増えないかという議論に結論はつくのでしょうか。これはまだ誰にも分かりません。

3.不安の解消とスクリーニング

お母さんとお子さんの不安や不満の解消のためには、スクリーニングは今後も無料で提供されてほしい、と個人的には思います。しかし「全例調査」が必要かどうか、という点には議論の余地があるでしょう。

「うちの息子は、部活を休みたくないからって甲状腺スクリーニングのお知らせを隠すんですよ。」
ある中学生のお母さんからそういうお話も聞きました。お母さんの不安解消とお子さんのストレス解消ですら、必ずしも一致しません。

スクリーニングを今後もずっと続けてほしい、という強い要望もある一方で、そろそろ「受けなくてもいいよ」とだれかに言ってほしい、そう考える方も増えているように思います。個人の自由度を考えれば、希望者に対して「住民の方が納得するまで」という漠然とした期間で無料の検査を提供し続ける、というのも一つの手かもしれません。これは予算の無駄とも言われかねない効率の悪い方法ですが、一考の余地はあるのではないか、と思います。

不満の根底にあるもの  もし住民の方の不安・不満の解消のためにスクリーニングを続けるのであれば、もう一つ必要なことがあります。それは、 「もし被ばくの影響がある、という結果が出た時に、どのように対応するのか」 ということを公に議論することです。 「結局国は『増えていない』という結果しか受け入れる気がないのだ」 という声は、住民の方々から繰り返し聞かれます。  今は幸い「被ばくの影響はないか、少ないだろう」とみられる結果が多く出ています。

しかしだからこそ、今のうちに「万一増えていた時」の対策が周知されるべきではないでしょうか。そうでなければ住民の不信は、どんなにスクリーニングを続けたところで解消されない気がします。  私たちは何のために甲状腺スクリーニングを行うのでしょうか。何より、それは本当に県民の健康や風評被害の払拭の役に立っているのでしょうか。5年経った今、その議論が求められています。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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