原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

記憶と研究(1)

16 Jan 2019

今年は震災から8年目の年となりました。昨年は様々な自然災害が立て続けに起こり、それに上書きされるような形で東日本大震災のことは徐々に話題に上らなくなってきていると感じます。そのこと自体、残念だとは思いません。どんなに辛い体験も、大きな災害も、いつかは風化するからです。

しかし、いつか未来の人々がこの災害を振り返ったとき、何かの糧になるような記憶だけは残っていてほしい。その願いは今も変わりません。

記録への焦燥
そのように考えるのは恐らく私だけではないでしょう。東日本大震災直後から支援に入った人々は、現場に次々と降りかかる困難の記録が決して忘れられてはいけない、と言い続けていました。特に福島の複雑な問題に対処してきた医療関係者にはその傾向が強かったのではないでしょうか。

たとえば医学系の査読雑誌検索サイトであるPubMedで、「Fukushima Nuclear Accident (福島原発事故)」という言葉をタイトルかアブストラクト(要約)に含む論文を検索してみると、1,249報と出てきます (1月13日現在)。日本語の医学論文や査読されない論文も含めれば、その量はさらに膨れ上がるでしょう。これらの論文は私たちが死んだ後も残る、貴重な「災害の記憶」です。

「医学論文」はなぜ不信を募らせるのか
しかしその貴重な記憶が「医学論文」と呼ばれた途端に、眉をひそめる人もいます。

「患者をモルモットにして名声を上げる気か」

被災地で働きつつ論文を書く人々がそう非難される光景を、私自身これまで幾度となく目にしてきました。

なぜ災害時の医学論文は批判を受けやすいのでしょうか。そこには、医療者と医療情報に対する根強い偏見があるように思います。

(1)介入研究と観察研究の混同
1つには、患者さんに影響を与え得る治験などの「介入研究」と、患者さんのデータをいただくだけの「観察研究」が混同されている、ということがあると思います。今回の災害において、被災地で新薬や新技術を試すようないわゆる「介入試験」は行われていません。そこで書かれた論文の殆どは、日々の診療業務から生まれた記録をまとめた「観察研究」なのです。つまりその「研究」行為によって身体的被害を受ける患者さんはいなかった、ということです。

(2)論文とキャリアへの偏見
もう1つの理由は、患者さんの心情にもあると思います。論文を書いている医師は論文目的で被災地に入ってきている。世の中にはそういう偏見が少なからずあります。支援に入るのであれば、論文のような「無駄な」作業はせず支援だけに集中してほしい。患者さんからみれば、そういう思いはある意味当然なのかもしれません。

しかし、実は福島で生まれた論文の多くは、キャリアパスの上で重視される「インパクトファクター」は決して高くありません。これは災害が特殊な事態の記録であって科学ではない、とみなされてしまっていることも一因です。つまりキャリアのために論文を書くのであれば、被災地に入るよりも別の実験や治験を行って論文を書いた方が早道であるとも言えると思います。

しかし一方で、被災地からは、今後世界で起こり得る災害へも役立つ、社会的貢献度が高い論文がとても多く出されています。とくに福島で書かれた論文は、福島を偏見のない形で世界へ発信するための重要な史料となっているのです。

(3)患者「モルモット化」の誤解
また、論文を書こうとする医者は患者を「データ」としか見ていないのではないか、という不信感もあるかもしれません。では論文を書いているうちに、診察室で目の前に居る患者さんが「モルモット」や「データ」に見えてくるのでしょうか。

それはたとえば農家の方が土の成分や果物の糖度を詳細に記録しているうちに、「美味しい果物を作りたい」という気持ちが揺らぐのか、という質問に似ていると思います。医学論文は、決して日常診療の足をひっぱるものではありません。目の前の患者さんを良くしたいという思いと、その情報をなるべく多くの人々に伝えたいという思いは一人の個人の中で何の矛盾もなく共存し得るのです。

また、研究目的に被災地に来た人が医療の質を落とすことがあるのでしょうか。たしかに海外の被災地などでは、名声や節税を目的に被災地に入り、質の悪い医療を提供したり、新薬や新しい術式を試したりした団体があった、という歴史もあります。しかし東日本大震災の際に支援に入った医療者は、日本のライセンスを持ち、日本の法に従う人々です。またその大半の方は地域の医療施設に所属し、その施設の質に準じた医療を提供していました。つまり被災地の医療は決して「無法地帯」ではなかったということです。

つまり、論文を書くか否かと、医師の人間性や提供される医療の質とは全く関係がない、と断言できます。

(4)「倫理審査」への誤解
(3)と関連することですが、少し医学研究に詳しい人であれば、医学研究を行う時には医療施設の「倫理審査委員会」で審査を受ける必要があるということをご存知かもしれません。これは介入研究であっても観察研究であっても同様です。これを聞くと
 「倫理審査が必要ということは、やはり倫理的に問題が生じ得るということだろう」
と言われてしまうことがあります。

しかし、観察研究が倫理審査を受けなくてはいけない理由は、主に個人情報の取り扱いについてです。これはどちらかといえば情報セキュリティの問題ですので、他の医学研究に見られる、人権のような「倫理」とは全く異なることは知っていただく必要があります。もちろん「観察内容が差別的な視野に基づいていないか」という観点での審査も行われますが、この観点で問題となる研究はあまりありません。

情報共有の価値
上記のような医学論文に対する偏見の一端は、災害時の情報を世界と共有することの価値がしっかりと認識されていないことにもあるのではないでしょうか。被災地の情報を共有することが大切である、という認識がなければ、論文を書く人のモチベーションが理解できず、「どうせ名声のためにやっているのだろう」と思われてしまうからです。

では、災害時の記録はなぜ必要なのでしょう。色々な理由はありますが、私は一番大切なことは未来への遺産と、差別に対する武器という2点だと思っています。

(1)未来への遺産
被災地の知恵を共有することは、未来に起き得る事件から「想定外」の要素を少なくする、という役割があります。2011年において、東日本大震災、特に津波と原子力発電所事故は、想定外の連続でした。しかし、あとから振り返って見れば、想定外と思われた事象の多くは世界のどこかで既に起きていた災害と驚くほど似ていたことが分かっています。

「この情報さえ持っていれば、徒に時間を浪費せずに済んだかもしれない」

災害時に記録を残そうとした方々の多くは、そのような悔恨と、未来への使命感に駆られていたように感じます。それは、その昔津波の石碑を残し、文書を残した人々の気持ちと同じものなのではないかと思います。

記録の手段が限られていた時代には、人々は石碑や日記といった手段で何とか先人の知恵を残そうとしてきました。現代の私たちはその当時からは比べ物にならないくらい多くの情報伝達手段を手にしています。その中でも未来まで残り、かつ世界中と共有できる確率の高い記録が、学術論文である、というだけの話ではないでしょうか。

(3)将来の差別の予防
昨年・一昨年に明らかになった福島からの避難者に対するいじめと差別問題は、一定の収束はみています。しかし根本的な解決はなされておらず、それがいつ何時再燃するかは分かりません。たとえばこれから結婚を考える人、子どもを産む人の懸念を少なくするためにも、住民の方の被ばく量や空間線量に対するデータが蓄積し、被害者側が差別に対して反論する術を持っているということがとても重要になります。

データを生み出すというプライド
災害から8年が経ち、少し人心地がついた昨今、改めて当時の「医学論文」に対する非難が浮上している場面を見かけます。住民の方にとって、自分の記録が「データ」と呼ばれることに対する不快感もあったでしょう。災害の混乱の中、十分な説明もなく取られたデータもたしかに存在し、そのことは科学者も反省すべきだと思います。

それでも、個々人の記録が集められることで形を変え、社会という集団の「記憶」や「知恵」として被災地に残り続ける。それはとても大切なことではないでしょうか。個人の情報が未来の世界にもたらす価値の大きさを、住民の方々もまた誇りに思えればよいな、と思います。

 〈続きはこちらより〉

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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