原子力産業新聞

福島考

命の手触り

13 May 2022

災害後の静けさ

2022年3月16日、福島県相双地区北部は、震度6強の大地震に見舞われました。横揺れの激しかった今回の地震は、津波を除けば2011年・2020年の地震以上の建物・インフラ被害をもたらしたと言われています。3.11災害ではビクともしなかった家が今回は瓦礫と化した。そんな話もしばしば聞かれました。

「今度こそは立ち直れない気がしています」

2度の大地震と令和元年台風から回復してきた福島県内では、そのような声も度々聞かれます。津波の後10年をかけて美しい景観を取り戻した浜辺がふたたびブルーシートで埋め尽くされた様は、見ているだけで心を折られそうな光景です。この被害は内陸の福島市や白河市まで広範に及んでいます。

しかしそれだけの被害にも関わらず、今回の災害では世間の関心の薄さも際立っています。報道もされず、支援にも乏しい災害。被災地の人々の気力を奪っているのは、この静けさにもあると思います。

では今回の災害はなぜ支援されないのでしょうか。それは、コロナ禍やロシア・ウクライナ戦争に比べ、今回の災害の規模が「小さい」ためだと思います。しかし、コロナ禍や戦争は、私たちが1つ1つの災害を支援するか否かの判断に直接関係するわけではありません。災害が死者数の多寡のみをもって相対化されてしまう。私はその風潮に懸念を覚えます。

数値化される死者

この2年あまりのコロナ禍では、感染者数・死者数の増減が日々報じられてきました。その結果、私たちは命が単なる数字として扱われることに違和感を覚えなくなっているように思えます。命は奪われなければ良いというものではないですし、死者は数の多寡で測るものではありません。平時にはごく当たり前のこの感覚が、災害時には失われがちです。

たとえば今起きているロシア・ウクライナ戦争は、何千人もの人々が殺害される痛ましい人災です。それは何千という数ではなく、失われた命、傷ついた人々の1人1人が痛ましいはずです。しかし私たちはついこの戦争を死者の数のみで語ってしまいがちです。

そしてこの感覚の延長が、先日の災害への無関心へもつながっています。

「今回の地震ではお年寄りが少し死んだだけでしょう」

「家が壊れただけでしょう」

東京ではそんな発言もしばしば聞かれました。

災害規模を評価するための数値化が、生命以外の多くを奪われた人々をむしろ蔑ろにしてしまう。10年前に福島で感じていた矛盾を、ここ最近の日本全体に感じます。

「失われない命」の重さ

しかし一方で、1人の人間でも亡くなれば「悪」と断定する正義の発言にもまた違和感を覚えます。なぜならそれが人1人を活かすことの難しさを軽んじる、裏返しの「人命軽視」に聞こえるからです。

「人を死なせないこと」は、とても難しい。

安全設計や医療などの現場に身を置く人間であれば、一度は実感することです。医療でも、建築でも、外交でも、政策でも──どんなに細心の注意を払っても、様々な要因が複雑に絡まり合った結果、人の生活や命を奪うことがあるからです。そして当然のことながら、人々が「普通に生きる」世界を守ることは、人を死なせないこと以上に困難な道です。

もちろん人の命や暮らしは大切です。だからこそ、安易に善悪を判ずることで、人が生きて暮らすことの重さと有り難さを見失ってはいけないと思います。

差別される命

また、命を数値化することは、結果として命の差別にもつながり得ます。たとえば福島での原子力災害の直後

「放射能では誰も死んでいない」

という発言がしばしば聞かれました。それは「客観的事実」であったかもしれません。しかし当時、自分たちの命が「死者数」としてしか認識されていないことに憤りを覚えた住民の方は少くなかったと思います。

一方で「放射能」のみが注目を浴びた結果、放射能を避けることによる間接的被害が何年もの間無視されていたこともまた、忘れてはいけないと思います。当時「関連死の方が重大だ」と発言する人々は、「親・原発の御用学者」として世間の攻撃の対象にすらなりました。

今、福島の災害関連死の重大性は当たり前のように議論されます。しかし、ウクライナ人の死や知床遊覧船事故を悼む一方でロシアの経済封鎖や軍艦の沈没には快哉を叫ぶ一部の風潮に、当時の福島でみられた「命の差別」と同じ危機感を覚えています。

 大災害時の死者の数値化により生まれる命の手触りの喪失。それは各所に、命への無関心と過剰な正義による紛争という2つの種を蒔いているのではないでしょうか。社会にゆとりのない今だからこそ、死者数という数値から離れ、命の手触りと向き合うべく、丁寧に生きていかなければいけないな、と思います。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

cooperation