原子力産業新聞

福島考

復興のススメ

10 May 2023

先日製薬会社のMRMedical Representatives; 医療情報担当者)の方とお話しする機会がありました。

「コロナ禍になってから、感染対策のために病院へ出入りができなくなりました。その結果便利にもなりましたが、実際の患者さんを見たことのないMRが増えたことが心配です。患者さんがどんな風に苦しみ、なぜこの薬を提供しなくてはいけないのかが実感できないんです」

病院を訪問するMRは地域の医療者にとって貴重な情報源です。しかしMRが出入りするだけで「製薬会社との癒着」と噂されることもあり、また今時現場へ足を運ぶのは非効率、という否定的な意見も多くあります。しかしその非効率的な待ち時間は、MRが医療現場を知る貴重な機会にもなっていたようです。

ソーシャルディスタンスの為に導入された効率化システムにより、私たちは知らず知らずのうちに何かを失いました。では実際に何を失ったのか。今、それを見つめ直す時に来ていると感じます。

コロナ禍と災害

55日、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言終了を発表しました。3年3か月続いた最高レベルの警告が解除され、コロナ禍は世界的にも節目を迎えたように見えます。

世界規模の大災害の収束。それにも関わらず、過去の災害で見られた復興のエネルギーを、少なくとも今の日本ではほとんど感じられません。それはコロナ禍が今もなお自然災害と認識されていないことにも一因があるように思えます。

日本においてパンデミックは他の自然災害と政府の担当部署が異なるため、政策上災害と呼ばれません。この結果、災害対策とコロナ対策では類似した対応が別の場所で行われる、という二度手間も生じています。緊急事態への経験豊富なDisaster Medical Assistance TeamDMAT)や自衛隊への協力要請がほとんど為されなかったことや、東日本大震災後に医療機関で策定されてきたオールハザード対応のBusiness Continuity PlanBCP=事業継続計画)が機能せず、「感染症用BCP」を新たに策定する、という現象などもその例です。

大災害の後、被災した人々は得てしてその災害を「おらが災害」化してしまいがちです。つまり自分たちの被った災害が随一と考え、他の災害と比較することを嫌うのです。

コロナ禍も例外ではなく、このパンデミックを災害ではなく「コロナ禍」という独立した事件と認識し、災害とは独自の対応システムや用語を確立している場面をしばしば見かけます。しかし実際のところ、これまで何度か述べてきたとおり、コロナ禍に起きた社会現象の多くは過去の災害に酷似しているのです。

災害復興の欠如

コロナ禍が比類ない規模の自然災害であることは確かです。これが災害と認識されない一番の欠点は、災害にはつきものの「復興」というフェーズがないまま、平時に戻ったと思い込んでしまうことではないでしょうか。

復興とは、災害などによって失われた社会の文化や機能を取り戻す行為です。しかしコロナ禍の社会においては、過去を振り返るという行為がすっかり抜け落ちた結果、復興という意識が希薄になっているように見えます。

「新しい生活様式」「ニューノーマル」「ウィズコロナ」

コロナ禍の間に作り出されたスローガンは、常に新しいものへの適応を呼びかけ続けます。もちろんコロナ禍で激変した生活に適応することは重要です。しかしこの適応は、目の前に飛んできた球を必死に打ち返す「災害対応」にすぎないことには注意が必要でしょう。

球を打っている間、私たちは喪失感から目を逸らすことができます。しかし実のところ自分自身は一歩も進んでいません。飛んで来る球が尽きた時、「復興」という方向性がなければ、人々は呆然と立ち止まるか、昔通りの生活を漫然と模倣するだけに終わってしまうでしょう。

過去という名の舵

私たちの生き方の方向性を規定するのは、新しい何かではなく、過去の積み重ねです。東日本大震災の後お会いした、復興を支えてきた方々は、災害によって失われた過去から決して目を逸らしませんでした。美しいふるさとの風景、豊かな食文化、子どもたちの教育失った過去の伝統や文化を見つめるからこそ、「同じものを取り戻す」のか、「新しい文化を創るのか」、つまり伝統に対する「守・破・離」の選択を続けられたのだと思います。

新しい環境に適応し、それを楽しむだけの活動には、守るべき伝統も破るべき慣習もありません。それは私の目には、エンジンがあっても舵のない船のように映ります。失われたものを見つけなければ、取り戻したいものを取捨選択することもできないからです。

登校せずに学生生活を終えてしまった学生は、何を失ったのか。マスクを着用して育てられた幼児にはそれまでの子どもと何が違うのか。失われた老舗のお店は生活の豊かさにどれほどの影響を与えたのか。3年前に失ったものを知るためには、現状の目まぐるしい変化に囚われ過ぎず、意識的に懐古にふける時間が必要です。

自身が被災者であり支援者でもある復興

これまで災害の支援者であった人たちも、今回は全員が被災者です。だからこそ、全員が支援者にもなれる、とも言えるでしょう。なぜなら自分自身を支援することこそが復興となるからです。

個々の人間が内を向き、蓋をしていた喪失感を直視する。取り戻したい何かを認識して初めて、今度は自分自身への支援、すなわち経験を生かして新しいものを創生できるのだと思います。

コロナ禍明けを素直に楽しむことも大切です。しかし同時に、私たちは次に訪れる大災害へ向けた社会の余力を一刻も早く取り戻す必要があるのではないでしょうか。

現状の解放感に何か空疎なものを感じる個人からの、ちょっとネクラな復興のススメです。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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