原子力産業新聞

福島考

病院はなぜ攻撃されるのか

21 Feb 2024

天災は忘れたころにやってくる。そんな格言を実感する年明けとなってしまいました。被災された方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、これからの復興を祈念しております。

災害の急性期には、しばしば現地で活躍する医療者の姿が報道されます。道路の啓開やレスキューと同じく、医療者は被災地における大切なプレーヤーです。しかし、医療者がどんな被災地でも両手離しで歓迎されるわけではありません。たとえば外国人の医療行為に不信を抱いたり、あるいは医療行為自体が敵対行為とみなされる場面もあるからです。紛争地における医療施設への攻撃はその一例といえるでしょう。

被災地医療のリスク

昨年パレスチナのガザ地区で病院が爆撃される事件が起き、日本でも大きく報道されました。「戦時中でも病院は攻撃されないもの」と信じていた方々にとっては、衝撃的だったかもしれません。

実は紛争時の医療施設への攻撃は、決して珍しい事態ではありません。2016年に国連安全保障理事会は「紛争下の医療従事者及び医療施設の保護に関する決議第2286号」において、戦争中にも医療施設への攻撃を控えるようあらためて呼びかけています[1]Security Council Adopts Resolution 2286 (2016), Strongly Condemning Attacks against Medical Facilities, Personnel in Conflict Situations。しかしその後も医療施設の被害は増加し、2022年には世界中の紛争地で704の医療施設が破壊され、少なくとも232名の医療者が死亡、600名が拉致されました[2]Targeting health care in conflict: the need to end impunity。むしろ近年、病院への攻撃は戦略として常態化しているとすら言えるでしょう。

病院攻撃の例外規定

「病院への攻撃は、いかなる場合においても人道的に許されない」

そう考える方も多いでしょう。実際に国際人道法(International Humanitarian Law, IHL)では、「病院を含む医療組織を攻撃してはならない」と定められています[3]The protection of hospitals during armed conflicts: What the law says

ただしこの法にはほかの法と同様、例外規定があります。それはその医療施設や組織が「敵に対して有害な行為を働いたとき(act harmful to the enemy)」です。これはどういう状況でしょうか。

分かりやすい例では、赤十字の車両に偽装して武器を運搬する、軍事基地のすぐそばに病院を作って基地を攻撃できなくする(いわゆる「人の盾」)、病院に軍備を蓄える、などがそれにあたります。ガザ地区の事件でも、イスラエル側はこの病院に大量の武器が備えられていたことを示し、攻撃を正当化する理由としています。

IHLでは自衛や警護のために病院が軽量の武器で武装することはact harmful to the enemyに当たらない、としています。しかし、自衛のための武器と敵を攻撃するための武器は区別できるのでしょうか。あるいは救急車両に武器が積まれていないことを、一つ一つ確認できるでしょうか。

そう考えれば、「病院を攻撃しない」というルールは、

「医療関係者全員が紛争の際、決してどちらにも加担しない」

という強力なモラルと、そのような医療者への「信頼」があって初めて成り立つ、非常に危うい決まり事である、ということが分かります。逆に敵を攻撃する意思のある医療者や医療施設が1例でも存在すれば、すべての医療施設の信頼が揺らぎ、容易に攻撃対象となってしまうのです。

突き詰めて言えば、紛争時に医療者がどちらかを擁護する政治的発言をすること自体が、紛争地の医療を脅かしかねない、ということになるでしょう。

医療者は政治を語れるのか

このような医療者の中立の重要性は、戦時中でなくとも変わりません。たとえばコロナ禍では「ワクチン派」「反ワクチン派」のような二極化が起こり、多くの医療者がこの議論に巻き込まれました。医療の知識がある者が議論に参加すること自体は必要であったと思います。問題は、その議論を医療行為や政治的発信に反映させる方が少なからずいたことです。極端な例では「ワクチン接種者は受診お断り」「ワクチン非接種者は入所させない」などの対応をした施設もありました。

このような施設の事情も理解できないわけではありません。しかし医療者が積極的に区別を行うことが、一歩間違えば医療全体への信頼を揺らがせ、時に医療者への攻撃を生みかねないことは、我々医療者が常に自問自答すべき点だと思います。

災害時や紛争時にも、時に医学的見地から政治への情報提供を行うことが必要です。また有識者として、あるいは社会的責任感から、政治的な意見を発信する人もあるかもしれません。しかし医療の公正を保つためには「医学的判断」と「政治的発信」は、決して同じ場で語ってはならない、と思います。

政治論争の際、医療者は安易に一方に加担しない。そのような矜持は平時より醸成する必要があるのではないでしょうか。

科学への「他山の石」

そしてこのような状況は、ライフラインの維持・供給を担う方々にとっても決して他人事ではありません。たとえば電力関係者は、有事に「敵にだけ電力を供給しない」ことが可能です。その関係者の一部でも、ある政治派閥に常日頃から加担する気配があれば、それだけで関係者全員が敵対する派閥からの攻撃対象とされ得る。このことは、福島の原子力災害後にも時折見られたことです。

「反原発・親原発」という政治論争に巻き込まれやすい分野の方々にとっても、紛争地における病院攻撃という社会問題が「他山の石」となればよいな、と思っています。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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