原子力産業新聞

福島考

再エネという文化遺産

06 Jun 2024

南相馬から浪江・富岡にかけて車を運転していると、日当たりのよい開けた土地に太陽光パネルがびっしりと並ぶ風景をよく見かけます。先日はその太陽光パネルのお隣に、巨大な船のような物体が横たわっているのを見て驚きました。後で聞いたところによると、こちらは新しく作られる風力発電のブレード部分とのことです。浜通りの再生可能エネルギー事業の活発さを実感する光景でした。

再エネ先進国、福島

福島第一原子力発電所事故の後、福島県内で再生可能エネルギー関連の研究や事業が次々と立ち上がっています。2017年に打ち立てられた「福島新エネ社会構想」では、県内エネルギーの100%を再生可能エネルギーから生み出すという目標が掲げられているからです。

実は5年前にこの構想が立てられた当初、私は内心で

「べつに真面目に成果を目指す必要はないな」

という不謹慎なことを考えていました。当時被災の爪痕が色濃く残る浜通りで、たとえ不成功に終わっても、「仕方ないじゃないか」と開き直ればよい。それだけの被害をこの土地は受けた、と感じていたからです。

そんな私のようなよそ者の無責任な感想とは裏腹に、2022年度の時点で県内の再生可能エネルギー導入実績は県内エネルギー需要全体の52.1%、県内の電力消費量でみると96.2%相当まで伸びています[1]福島県企画調整部エネルギー課「令和4(2022)年度 福島県内における再生可能エネルギー導入実績」。求められた成果を真面目に達成しようとする福島県の土地柄が良く現れているな、と思います。しかしその成果は、本当に福島県が目指したいゴールなのでしょうか。

浜通りが脱したかったもの

「自分の親は、原発のお蔭で学校に通うことができた。もちろん事故は憎いけど、それほど簡単に割り切れる気持ちではないよ」

2011年の事故のすぐ後に、地元の医師から伺ったお話です。

様々な批判はあるものの、震災前の原子力発電所が、地元での雇用を含めた経済の循環を生んでいたことは否定できません。多かれ少なかれその経済循環の恩恵を受けた方々にとって、先の事故に対し、時に自責の念に駆られる人さえいらしたようです。

「二度と国や政策には振り回されたくない」

そのような声を、震災以降しばしば耳にしてきました。当時人々が脱したかったものは、原子力というエネルギーそのものだけでなく、知らぬ間に振り回されていた自分たちでもあったのではないでしょうか。

再エネの「軽さ」

このような視点から見ると、今の福島と再生可能エネルギーとの距離感はどうなのでしょうか。

再生可能エネルギーは「輸入したパネルやバイオマスで電力を作っているだけで、地元の雇用を生まない」という批判もあります。これは、地元の雇用や経済循環に大きく貢献してきた原子力発電所に比べて大きく異なる点でしょう。

しかし別の見方をすれば、雇用や関連産業を生みにくい再生可能エネルギーは、また依存も生みにくいということも意味します。もちろん再生可能エネルギーには素人が無責任に評価すべきではない自然破壊や事業継続性の問題等、解決しなくてはいけない課題は多々あるでしょう。しかし付き合い方さえ間違えなければ、福島県の名を売りつつ、かつ過度に依存をしない関係も築き得るのではないか。その為に必要なものは、再生可能エネルギーの持つある種の「軽さ」ではないでしょうか。

成果主義と負の遺産

これまでの福島県は、「被災地なのだから失敗が許される」という多少の安心感の元に新たな試みが次々と生まれていたように思います。それを甘えと言う人もいるかもしれません。しかし、この「軽さ」がイノベーションや思い切った投資を次々に生んだことも確かでしょう。

今、復興という言葉が消えつつある中、この「軽さ」も失われつつあります。当たり前のことではありますが、「夢」と共に打ち上げられた事業が数値による成果を求められるようになってきたからです。もちろん始めたからには成果は必要でしょう。しかし、他人から押し付けられた成果を追及してしまえば、以前は雇用により国に依存していた福島県が、今度は「成果主義」という新たな軛に繋がれてしまうのではないでしょうか。

本来福島県の復興も、再生可能エネルギーも、将来へ負の遺産を減らすことこそを悲願に始められたものだと思います。その負の遺産は原子力発電所事故の影響だけではありません。たとえば単純な数値を追い求める成果主義もまた、負の遺産となり得るのではないでしょうか。

成果が求められる場面では、事業は「着実に」成果を出すことが得意な保守的な年配の実業家に委ねられがちです。そこには「夢」が生まれる余地がありません。さらに上意下達の「成果」で縛られることにより、原子力発電所設立時の雇用とは違う意味での「政府依存」が高まってしまう可能性もあります。これは本来福島県が、あるいは再生可能エネルギーそのものが目指してきた「夢」とは違うのではないかと思います。

福島県民の真面目な努力が、むしろ将来への負の文化遺産を生み出さぬよう、文化としての再生可能エネルギーのありかたもまた、自戒を始めるべき時なのかもしれない。風車と太陽光パネルが日常の風景になりつつある浜通りを車で通るたびに、そう感じます。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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