人口に膾炙する福島
12 Dec 2024
毎年師走になると、過去に起きた大きな災害を振り返ることにしています。その度に、当時紙面を賑わせた大きな災害が、別の災害の記憶で塗り替えられていることに驚きます。他者の不幸を記憶し続けることは辛く、時に面倒なことでもありますから、それはやむを得ないことかもしれません。
しかし記憶の劣化は、必ずしもその災害の歴史が終わることではないのでは。今福島で起きている災害後の世代交代を見て、そう感じています。
格式なき伝統
私が相馬市に住んでいた時、700年以上の歴史ある城下町なのに老舗が少ないことを不思議に思ったことがあります。その理由を地元の方に尋ねた時に返ってきた答えは、
「代が変わると、和食から洋食とか、料理自体変えてしまうことも多いからねえ」
というものでした。当時は半信半疑だったのですが、最近それを目の当たりにする機会がありました。
郡山で行われた「テロワージュふくしま」というイベントに参加させていただいた時のことです。テロワージュとは「テロワール」と「マリアージュ」を組み合わせた造語で、その主旨は地元のお店で地域の食材・料理・お酒のマリアージュを楽しむ、というものです。
会場となった和食店「丸新」は、名前の上では4代目。しかしその業種は米屋、蕎麦屋と変遷し、当代になってから和食店に転じたそうです。その場に日本酒「南郷」を提供されていたのは40代で官僚から転職したという矢澤酒造。こちらは先代の名を継ごうとしたところ、むしろ「あなたの味なのだから名前を変えなさい」と勧められ、やむなく酒造にご自身の名前をつけたとのことでした。
ちなみにその厨房では若い板前さんが、調理用白衣にヘッドフォンという斬新な姿で、
「和食と音楽を一緒に楽しみたい」
と、ノリノリでDJを務めておられ、既に次世代への変化の芽を感じさせる空間でもありました。
世代と共に業種が変わり、店が変わり、名前が変わる。それは格式ある伝統とはかけ離れています。しかし恐らくそれこそが、福島の「文化継承」の在り方なのだと思いました。
ものがたりの始まり
では、過去に拘泥しない代替わりは、歴史もまた風化させてしまうのでしょうか。私はむしろ、ある出来事は代替わりして初めて歴史になるのでは、と感じています。
2011年の災害を風化させぬよう、記録を残そうとする活動はこれまで数多くなされてきました。その中で、当時のことを紙芝居にして語り継ぐ、という活動があります。迫力のある絵と共に情感込めて語られる紙芝居は今も人気を博しており、昨年は東京国際映画祭でも上映されたほどです。
なぜ忠実な史実ではなく、紙芝居が世界に受け入れられたのか。それは、その語りが時代と共に変化し得る隙間を持っているからだと思います。
「伝記は断じて小説になってはならないが、つねに小説的であるべきである」
という言葉があります。伝記に限らず、1度きりしか起こらなかった事実が歴史となるためには、小説的な面白みをもって何度も読み返される必要があるのだと思います。
災害は本来辛くて何度も思い出したくない出来事です。それを正しく記録・伝承するだけでは、それは何度も読み返したい歴史にはならないでしょう。そう考えれば、災害が歴史となるためには読者がその歴史に自分自身を投影できる、「行間」が必要なのだと思います。
過去を忠実に再現することにこだわらず、むしろ倒木更新のように過去を糧にする。そうやって、今ようやく福島の災害は、何度でも読みたい福島へと昇華しつつあるのかもしれません。
未だ倒木たりえず
反対に、風化を恐れる人々が、解釈の隙間を与えない事実ばかりを発信し続ければ、むしろその事実が人口に膾炙(かいしゃ)されることを阻んでしまうでしょう(そもそも人口に膾炙の意味もまた、なますやあぶり肉のように何度も食べたい美味しいもの、という意味があります)。
私自身の反省でもありますが、「自分こそが過去の事実を知っている」と驕る人々が「福島」「原子力」を語り続けることで、むしろ事実が他の方の口に上る機会を奪っているかもしれません。「科学的事実に基づいた議論」ばかりが先行するコロナ禍の経験談も同様です。限られた専門家の口で繰り返されるものがたりは、小説からも旨いものからも程遠く、すぐに古色蒼然とした思い出に過ぎなくなってしまうのではないでしょうか。
柳緑花紅の福島を何度も読み返しながら、未だ倒木たりえない自身を反省する日々です。