原子力産業新聞

福島考

震災以降、医師として福島県浜通り地方に関わり続ける筆者が、地元に密着した視点から記すコラム。

災後の歴史を選ぶ

19 Nov 2020

福島県相馬市に、松川浦という潟湖があります。「小さい松島」と評され、日本百景のひとつにも数えられているこの場所は、2011年の津波で壊滅的な被害を受けました。災害後1年が経ってもなお陸からは橋の残骸と枯れた松林が残る砂洲だけが見え、その陸側も一部が水没し、海の中に街灯が立ち並んでいたことを覚えています。

先日久しぶりにこの場所を訪れ、復旧した松川浦を歩いてみました。波のない内海の砂洲に細い遊歩道が作られ、海の上を歩くような感覚で阿武隈山系を眺めながら散歩することができます。

「ここら辺はいつも風が強いんだよ」

友人にそう説明しながら歩く若い方の姿に、再び「ふるさと」となっていく街の姿を目の当たりにした気がしました。

今、相馬漁港には道の駅ならぬ「浜の駅」が作られ、橋を渡って地元の海産物を買いに来る客で駐車場がいっぱいになるほど賑わっています。それは、震災直後に人々が思い描いたふるさとの姿とは決して同じではないのでしょう。しかしその風景には、そこで歩み続けた方たち全ての歴史が詰まっている。長年相馬を眺めてきた者として、そう感じます。

ぶれない人

もちろんその歩みは皆が一律、というわけではありませんでした。たとえば災害直後には、皆が被害の大きさに呆然とする中で最初に立ち上がった方々がいます。その方々の行動は、今から見ても驚くほど迷いがないものでした。津波の直後、まずご先祖のお墓を建て直すことを優先させた方。何の知見も得られないうちから、津波で飲まれた畑の塩とセシウムを排除できる、と信じて試行錯誤を繰り返された方。科学的合理性に全く欠けるような行動もたくさんあり、思わず

「なぜそんなに迷わずいられるのですか」

とお聞きしたこともあります。しかし多くの方はきょとんとして、むしろ理由や理屈がなければ動けない意味が分からない、という反応を示されるばかりでした。

当時放射能の健康影響の説明を続けていた私たちは、しばしば

「どうせ結論ありきで話をしているだろう」

と揶揄されることがありました。しかし私の目から見れば、復興最前線で突き進む人たちこそ、その目的や価値観が決してぶれない方々だった、と思います。

迷う人のSOS

しかし一方で、災害によって自身の価値観が揺らぎ、人生の目的を見失ってしまった方がたくさんいらしたのも事実です。震災から2年ほどが経過した後も何も手につかない、将来が真っ暗だ、と言われる方や、当時を思い出して突然泣き出してしまう方を毎日のように見ました。また一方で

「結局安全か危険かどっちなんだ、専門家なんだからさっさと決めてくれよ!」

「分からないとか自分で決めろとか、無責任だろう!」

そう言って我々医師に向かって怒り出す方々もいました。今から思えばその怒りもまた、「どう生きればよいか分からない」という切実なSOSだったのだ、と思います。

今回の新型コロナウイルスパンデミックにおいても、自称・他称を問わず専門家の流す情報への過剰な依存が「インフォデミック」とも呼ばれる社会混乱を引き起こしました。また一方で誰かの責任追及に明け暮れ、何を解決したいのか分からないような報道やSNS上の批判も後を絶ちません。当時の福島を鑑みれば、それらの反応は、権威に依存したり、逆に権威を攻撃することで、自身の喪失感を紛らそうという人々の防衛反応なのかもしれない。そう思うことがあります。

歴史を選ぶ権利

そういう迷いや喪失を抱える方の為に、何かを断言して「叩き台」となることもまた災害時の専門家の大切な役割だ、という意見もあるかもしれません。しかし私はそれでも、すっきりした「正解」を示すことは「もったいない」と考えています。迷う人、迷わぬ人、いずれの選択も、災後の歴史を選ぶ権利だった、福島の災後の歴史を眺めてきた者として、そう感じるからです。

今、コロナ禍の世界でも、「ニューノーマル」を模索する人々の一挙手一投足がアフターコロナの歴史を編んでいます。その歴史は10年後にしか分からない。そう考えると、心が躍るような、神妙に頭を下げたくなるような、不思議な心持ちになることがあります。

もちろん今も多くの方が亡くなり、あるいは苦しんでいるコロナ禍を楽観的に見ることはできません。しかし先の災害でも多くを失い、未来が全く見えない中で強かに「ニューノーマル」を作ってきた方々を思い出すことこそが、今このコロナ禍に必要なことなのではないでしょうか。

この10年の福島を作ってきた先人たちに倣い、私も10年後の「元・被災地」の歴史の一部となるべく、一日、一日を選んでいきたいな、と思います。

越智小枝Sae Ochi

Profile
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 主任教授
1974年生まれ。東京医科歯科大学卒。都立墨東病院医長などを経て、インペリアルカレッジ・ロンドンで公衆衛生を学び、東日本大震災を機に被災地の医療と公衆衛生問題に取り組んでいる。

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