前回のコラムで私は、原子力産業界がアトミック・ドリームをあきらめたようだと書いた。 原子(アトム)やアインシュタインのようなデザインや文化的アイコンはもうあまり使われず、かといって独自の新しいアイコンも作成されていない。いまや 原子力は、業界外のヨソモノが勝手に作り出したアイコン───冷却塔、電離放射線マーク、ホーマー・シンプソンと3つ目の魚(アニメ『ザ・シンプソンズ』のキャラクター)など───のイメージにヤラれてしまっていると。
コラムの読者から編集部に、「では具体的にどうすれば、アーティストから学ぶことが出来るのか?」との多くの問い合わせを頂いた。 今回は皆さんの疑問に対する私なりの答えを示したいと思う。
我々は今、エキサイティングな時代に生きており、テクノロジーの未来に対するビジョンを持つアーティストはそれこそ数多いる。 そうしたアーティストたちと一緒に取り組むことは実に簡単なことだ。アーティストに実際に会わなくともオンラインで簡単につながる。アーティストも妥当なコストで着手してくれる。原子力と原子力が生み出す未来に前向きな考えを持つ人は大勢いるのだ。
もちろん、アーティストは原子力についてそれほど知っているわけではない。我々はクライアントであるのだから、適切なアーティストを選び、依頼内容を適切に伝え、たえずフィードバックを返せばいいのだ。こうしたコミュニケーションを通じて、我々はアーティストと信頼関係を築き、そこから多くを学び取ることが出来るはずだ。
アーティストと連携した原子力企業の見事なサンプルがある。ロシアのプラント機器メーカー「Atomenergomash」、ロシアの宇宙分野の最先端企業「TsNIITMASH」、そしてロシアのアーティスト「Alexandra Weld Queen」のコラボワークがそれだ。彼女は「溶接の女王」の名の通り、金属同士の溶接加工を用いた芸術作品を数多く発表している。コラボワークでは「翼」をテーマに、ロシア国内で最高の材料と溶接技術を用い、彼女の芸術活動をサポートした。 これはAtomenergomash発足15周年記念事業として実施され、作品は地元の野外博物館に寄贈された。 Alexandra Weld Queenの作品は大きく、観客とインタラクティブであることが特徴だ。 「翼」の場合、産業界との相互作用が作品にとって不可欠であった。見事なコラボだった。
しかしそもそも、アーティストとどのようにコラボするかなどということは、それほど難しいことではない。ほとんどの原子力産業界がアーティストとのコラボにまったく関心がないということが、問題を難しくしているだけなのだ。極めて遺憾ながら、原子力産業界は工学以外の分野に無関心すぎる。
原子力以外の工学業界では、そんなことはない。例を挙げよう。
泣く子も黙るApple社は、ハードウェア、ソフトウェア、およびユーザーエクスペリエンスを全方位的に網羅し、優れたデザインとマーケティングを駆使して、優れた設計の製品を生み出している。自動車業界は正確な大量生産体制を実現しながらも、感性に訴え、ユーザーの心をわしづかみにしている。 建設業界では、エンジニアは建築家とともにして、美しくタダモノでない建築物を具現化させている。
機械を理解しているエンジニアであっても、人を理解しているデザイナーやマーケッターらとの対話を通して、優れた能力を発揮することができるのだ。 では、なぜ原子力ではそれができないのだろうか?
お耳障りで恐縮だが、業界の誰もが気づいていながら黙っている不快な事実に言及したい。我が原子力業界では、資格を持ったごく一部のエンジニアのみが「本物の原子力の人間」なのであり、それ以外の人間の意見は軽視される傾向にあるのだ。そのため原子力産業界は、多様性を欠いたモノカルチャーになってしまっている。
もちろん、原子力をめぐるあれこれは、きちんと資格を持ったエキスパートが決定するべきである。だがしばしば、事業、政治、コミュニケーション、戦略などの必ずしも原子力工学に相当しない分野ですら、原子力のエンジニアが担当していることはないだろうか?こうした分野は、数値比較やグラフ化や証明が困難な多くの理論と経験に基づいたものだ。多くの原子力エンジニアは、自分たちの理解が及ばないこれらの不確実な状況では、非常に不快を感じるものだ。 エンジニアが世界の原子力産業の上から下まであらゆるレベルを支配しているとき、政治的および文化的レベルでうまくいかなくなるのは当然なのだ。
原子力発電所の運営にあたっては、工学的観点からリスクに対する慎重なアプローチが必要だが、それを原子力事業全体にまで適用すると、クリエイティビティとイノベーションが失われてしまう。他業界での成功事例を導入することもない。低迷した状況を打開しうるクリエイティブな人間が入社することもない。社内のクリエイティブな人間が、やる気をなくして退社してしまう。これらの結果として生じる社内カルチャーが、将来に対する明るいビジョンを生み出すことは決してないだろう。
読者に気の滅入るような青写真を見せてしまったことを深くお詫びしなければならないが、我が原子力業界がアートに関心がなく、アーティストも原子力業界では活躍しようがないことは指摘しておきたい。原子力業界がアートの側面を成長させていくためには、今こそ改めねばならない。
原子力は、長く困難な歴史を持った複雑な課題である。 政治、社会、テクノロジーを切り離して、エンジニアが好む方法でそれぞれの最適解を求めることなど出来はしない。アートの世界やその他の知識分野と結びつくには、明日の原子力業界のリーダーが非工学分野の専門知識を信頼する必要がある。 考え方が違う人間の意見を受け入れ、躊躇なくアドバイスに従ってみてはどうか?
文:ジェレミー・ゴードン
訳:石井敬之