原子力産業新聞
London Calling

gig #5

“Atomic Dream, again”

15 Jul 2021

ここロンドンでもあちこちで、TOKYOオリンピックのブランディングや広告を目にするようになった。東京という都市や日本のカルチャーにスポットを当てたものだけではない。オリンピック草創期より連綿と続く人間の理想像━━個々人がベストを尽くし、己のため、国家のため、フェアかつリスペクト溢れる精神で競い合う━━にスポットを当てたものも少なくない。

こうした実に気高いビジョンを持つオリンピック・ドリームを前にすると、私たちがかつて原子力エネルギーに抱いていたアトミック・ドリームに想いを馳せずにはいられない。そうだ!原子力産業界はアトミック・ドリームを取り戻すべきなのだ。

そのために必要なものは何か?━━アーティストやクリエイターの力だ。

原子力発電の運用が当初の約束ほどイージーでトラブル・フリーではなかったことは事実であり、それがアトミック・ドリームの衰退の一因となってしまった。しかしふりかえればオリンピックも、これまで何年にもわたってトラブルに見舞われている。ほとんどすべての大会で、何らかのトラブルが起きている。国際オリンピック委員会(IOC)役員の収賄、出場選手の不正行為、そして開催にかかるとんでもないコスト。いずれもオリンピックのイメージに深刻な悪影響を及ぼすスキャンダルだ。

こうしたスキャンダルに対してオリンピック主催者は毎回、オリンピック草創期からのシンボルをさらに強調して打ち出すことでイメージを回復してきた。

ギリシャの神々の故郷であるオリンポス山で聖火が灯される。それは、プロメテウスが神々から火を盗んで人々に与え、それによって文明が始まったというストーリーに由来している。ギリシャから開催国へ至る、希望に満ちた聖火の浄化の旅! 開催国ではそのルートにストーリー性を吹き込み、できるだけ多くの人々の営みに関連づけるようにする。例えばここ英国では、主に地元のコミュニティの英雄が聖火ランナーとなった。オーストラリアでは聖火をあえて海中に持ち込み、グレート・バリア・リーフを舞台に環境に関するメッセージを世界へ発信した。そしてご存知の通り日本では、東日本大震災後のすべての苦難からの回復の象徴として、福島県から聖火リレーを開始した。

オリンピックの各大会は、開催国の人々のプライドを刺激する一流アーティストによるユニークなデザインのショーケースだ。アーティストに委託された大会アートは、国民と共有される。大会のインフラ設備は世界最高の建築家の手によるもので、施設は開催国の誇りであると同時に、将来世代への贈り物となる。

ではわが愛しの原子力はどうか? 

原子力産業黎明期の1950年代、そこにはまちがいなくアトミック・ドリームがあった。サイエンスが進歩と豊かさをもたらすというエキサイティングなビジョンがあり、今では信じられないほど力強く絶対的なアイコンに囲まれていた。マリー・キュリーアルバート・アインシュタイン、そしてE=mc2。 

今日でも、原子(アトム)は最高の技術を意味している。 「アップル・ストア」では、ユーザーが持ち込んだmacやiPhoneの修理を請け負うエキスパートが常駐するGenius Barのロゴに、原子を採用している。IBMは人工知能「Watson」に命を吹き込むために、原子のようなアニメーションを使用して「思考」を表している。私は、バイオ燃料のイノベーションを表すために原子が使用されているのを目撃したこともある。

原子のシンボルは100年間、「サイエンス」と「天才」そのものを表してきたが、イマドキの原子力産業界はもはや原子をシンボルとして使うようなことはない。失礼、JAIFのロゴは原子でしたな。

原子力産業界はアトミック・ドリームをあきらめてしまったのだろうか? その隙に原子力を表すアイコンが、ヨソモノによって勝手に決められてしまった。今や、「冷却塔」「電離放射線マーク」「悪名高い3大事故(TMI/チェルノブイリ/福島第一)」が原子力のアイコンにされているようだ。

かつてのアトミック・エイジのアイコンは新鮮味を失っているようで、今日の原子力産業界はかつてのアイコンと再び結びつく気はないようだ。新しいアイコンにリプレースしようという動きもない。原子力の価値は、かつてのアイコンが表した「サイエンス」や「天才」からかけ離れてしまったのか? 原子力は今でもサイエンス、進歩、豊かさをもたらしているのではないか? 原子力の導入を熱望する多くの国々にとって、原子力がもたらす社会の発展こそが大きな動機となっているのではないだろうか。

では、再びかつてのアイコンを用いて原子力について語るのは効果的だろうか? 可能だが得策ではない、というのが私の考えだ。輝かしい未来のイメージをブランディングしたいときに、100年前の科学者のモノクロ顔写真を持ち出すのは、いかがなものか。グローバルな原子力テクノロジーとその安全文化のイメージとして、「プロフェッショナル」「誠実」「高精度」「環境保護」といった、産業界内外が認めるシンボル的ななにかが、もっとあるはずなのだ。

世間(欧米限定かもしれないが)は昨今、クリーンで電化された未来社会のイメージに興奮気味だ。そこでは省スペースな「垂直農法(vertical farming)」が実施され、地球を本来の自然状態に復元する「再自然化(Rewilding)」が可能となる。「垂直農法」は日本でも実施されていると思うが、建物内で太陽光ではなく人工の光で作物を育てる試みだ。「再自然化」はヨーロッパや英国など、かつて何百年にわたって狼のような動物たちを殺してきた地域で今人気のビジョンだ。そして人気の小型炉(SMR)はこうした思想と親和性が高く、ハイテクなイメージとも相まって、若いエンジニアたちがこぞって取り組んでいる分野だ。こうしたいわゆる「エコモダン(Ecomodern)」のビジョンが、数多くの環境運動家を惹きつけ、勢力を拡大している。エコモダニストたちは原子力を最もエコモダンのビジョン実現に寄与する電源と認識し、最も熱烈な原子力サポーターとなっている。そう、今や原子力は、エコモダニストたちのマスコット、アイコン、パートナーとして夢を語ることができるのだ。考えるだけでもワクワクするが、そうしたシンボルとなって原子力の価値を喧伝するには、一過性なブームで終わらせてはいけない。継続こそ力なり、である。

これは一般企業のように、コーポレート・ロゴを制定し短期的にブランディングして終わり、という小さなレベルの話ではないのだ。原子力産業界は団結して、人々の生活を豊かにすることを大目標に、人、モノ、時間、空間などあらゆる日常にブランディングし、広告を打つ覚悟が必要だ。そしてこれが大事なのだが、担い手となるアーティストやクリエイターたちを、コントロールできると思わないことだ。アーティスト、クリエイターといった人種はそもそも、原子力産業界で伝統的に育まれてきたようなルールありきの規則ベースのやり方には従わないものなのだ。

我々原子力産業界がイメージ向上を図るにあたって最大の課題は、適切なコミュニケーション手法を見つけ出すことではない。アーティストやクリエイターが作り出す「原子力」ではないものに多額の投資を行い、なおかつコントロールを手放すことがカギを握るだろう。制御することに長けた原子力産業界にとって、これほど苦しいことはないであろうことは百も承知で言っている。次回以降、また詳しく触れていきたい。

文:ジェレミー・ゴードン
訳:石井敬之

ジェレミー・ゴードン Jeremy Gordon

エネルギーを専門とするコミュニケーション・コンサルタント。コンサルティング・ファーム “Fluent in Energy” 代表。
“Nuclear Engineering International” 誌の副編集長を経て、2006年に世界原子力協会(WNA)へ加入。ニュースサービスである”World Nuclear News” を立ち上げ、原子力業界のトップメディアへ押し上げた。同時に、WNAのマネジメント・チームの一員として ”Harmony Programme” の立案などにも参画。
ウェストミンスター大学卒。ロンドン生まれ、ロンドン育ち。

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