原子力産業新聞
London Calling

gig #1

“authentic voice”

08 Jul 2020

わたしがはじめて「フェイクニュース」なるものに接したのは、世間が福島第一事故による大興奮から醒めやらぬ2011年3月末のことだ。当時わたしは世界原子力協会(WNA)に勤務しており、数年前にスタートしたばかりの「World Nuclear News(WNN)」の編集を担当していた。

福島第一事故の発生当日、わたしと編集チームは、JAIFや英語ニュースである「Atoms in Japan」が取りまとめた情報を参照しながら、最新の情報を整理し、福島第一発電所で何が起こり、何が進行中で、人々にどのような影響を与えるのかを、読者に伝えるべく日夜苦心していた。これまでにないくらい過酷な編集作業の日々だったが、WNNのウェブサイトは、これまでにないほど注目を集めていた。

米国で働くドイツ人教授、ジョセフ・オーマン先生(Joseph Oehman)がわたしにコンタクトしてきたのはその頃だった。経緯はこうだ。

オーマン先生のいとこが神奈川県川崎市に住んでおり、先生に福島第一事故がどれくらい危険なのか意見を求めてきた。先生がいとこに送った長文の返信メールは、『私が日本の原子力発電所を心配していない理由』というタイトルで、いとこのブログに掲載された。

オーマン先生は原子力の専門家ではないが、残留熱の問題、冷却の必要性、水素爆発のメカニズム、水素爆発は炉心の閉じ込め性能に影響しないこと、漏洩した放射性物質は川崎に住むいとこの家族に何の影響も与えないこと、などを正確に説明することができた。このポストは瞬く間に拡散し、世界中の何千というニュースメディアが取り上げた。CNN、FOXニュース、ブルームバーグなど米国の主要メディアもこぞってトップニュースで報じた。オーマン先生の解説がジャーナリストたちや視聴者に知識を与え、世界中のメディア報道に、実にポジティブな影響を与えた。これが数日間続いたのだ。

オーマン先生は、メディアからの問い合わせを受けるようになった。はじめは数十の、やがて数百の、しまいには数千の問い合わせが、先生に殺到した。しかし先生は原子力安全の専門家ではない。もちろんメディアトレーニングも積んでいない。そして先生の職場である大学は、オーマン先生をサポートしなかった。オーマン先生はメディアに単身立ち向かわなければならなかった。これは無理な話だ。

そこで先生はそうしたメディアからの問い合わせを、WNAに代わってもらえないかとコンタクトしてきたのだった。わたしは即座に「もちろん!」と答えた。すでに本件に関して数百のインタビューをこなしており、経験は十分だ。世界中のメディアといえど、恐るに足らず!

しかしオーマン先生から紹介されてWNAへやって来たメディアたちは、わたしの解説を嫌がった。メディアたちは、組織の公式見解をよどみなくスラスラと語る広報マンに用はなかったのだ。メディアが求めていたのは、『実名で、堂々と、自分の思うことを語る、個人の真正なる声(オーセンティック・ボイス)』だったのだ。

それから数日のうちに、今度はこれまでとは逆に、福島に関するまったくのデタラメで人々を怖がらせるウェブサイトが乱立するようになった。フェイクニュースの登場である。WNNのウェブサイトはそれほど注目されなくなり、デマだらけの作者不明なフェイクニュースが、産業界や政府の公式サイトよりも10倍以上のビュー数やソーシャルメディアシェアを獲得するようになった。事実に基づく情報は、「偽りの大海における真実の一滴」のように、儚く消えていった。

この福島第一事故から9年が経過し、今やフェイクニュースは産業として成立するに至った。わたしたちの本能を刺激してクリックさせ、アフィリエイトを稼ぐ個人と同レベルの低俗さで、フェイクニュースを用いライバルの支持層を混乱させ分断する政府に雇われたスペシャリストのチームが存在している。フェイクニュースが選挙や住民投票に影響を与えている。

昨今のコロナ騒動では、政府や当局は、国民がウィルスについて日々正しい情報をアップデートできるよう奮闘している。しかしフェイクニュースによって、パンデミックをめぐる誤った危険な考えがはびこっている国もある。

そして今、フェイクニュースに対抗する新しい勢力が育ってきた。それが、個々人の専門的知見に基づくオーセンティック・ボイスだ。

わたしたちはソーシャルメディアを通して、医療現場の最前線でこの新しい疫病と戦っている専門家である医師や看護師から、オーセンティック・ボイスを聞くことができる。新しい疫病の拡散の仕組みをどのように捉え、どのように予測するのか、世界中の大学の疫学者から、オーセンティック・ボイスを聞くことができる。これら個々人のオーセンティック・ボイスのすべてがパーフェクトというわけではないだろうが、専門家の専門的知見は一般人の知見に比べて規模が膨大である(それに、たとえ医学分野の専門家ならずとも、政策をめぐる優れた提言なども見受けられ、傾聴に値するものだ)。

膨大な量の最新の科学的知見が、ソーシャルメディアを通じて各界の知識層に届くという状況は、前例のないことだ。もちろんどんな時でも混在するノイズを見分ける必要はあるが。

今日、パンデミックに関してオーセンティック・ボイスでコメントする数百のオーマン先生たちには、2011年のオーマン先生よりも、2つの明らかなアドバンテージがある。第一に、現代のオーマン先生たちは日々ソーシャルメディアで活動しており、コロナ以前から長いことフォロワーとの信頼関係を築いている。第二に、現代のオーマン先生たちは大前提として、通常の職業上の責任の範囲内であれば、SNSやメディアといった公のプラットフォームにおいて、自分の考えを述べることが認められている。彼らの多くはむしろ、職務の一環としてそうすることを期待されている。

コロナ騒動の渦中にあって、医療従事者や医学者たちは社会から信頼されており、情報発信において自らの専門的知見を活用する権利を与えられている。ひるがえって原子力産業界ではどうか?

明日事故が起こったとして、フェイクニュースの嵐の中で混乱する社会に、どれだけ多くのオーセンティック・ボイスを届けることが出来るだろうか。

文:ジェレミー・ゴードン
訳:石井敬之

ジェレミー・ゴードン Jeremy Gordon

エネルギーを専門とするコミュニケーション・コンサルタント。コンサルティング・ファーム “Fluent in Energy” 代表。
“Nuclear Engineering International” 誌の副編集長を経て、2006年に世界原子力協会(WNA)へ加入。ニュースサービスである”World Nuclear News” を立ち上げ、原子力業界のトップメディアへ押し上げた。同時に、WNAのマネジメント・チームの一員として ”Harmony Programme” の立案などにも参画。
ウェストミンスター大学卒。ロンドン生まれ、ロンドン育ち。

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