原子力産業新聞

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インタビュー

元木 寛 モトキ・ヒロシ 株式会社ワンダーファーム 代表取締役

元木 寛モトキ・ヒロシ

株式会社ワンダーファーム 代表取締役

1976年福島県双葉郡大熊町生まれ。福島工業高専卒。1997年JR東日本入社。電気設備の設計、施工管理に携わる。2002年いわき市に移住し、義父と共に農業法人とまとランドいわきを立ち上げる。
東日本大震災後、2013年株式会社ワンダーファーム設立。同年に「農林水産祭」天皇杯を受賞。首都圏や近隣県へのトマトの出荷、および、農業を身近に感じる体験型テーマパークの運営によって、農作物の付加価値向上、地域の活性化に取り組む。

東日本大震災からもうすぐ10年になる。とにかく、この福島をなんとかしなくちゃいけない。農業という立場で何ができるのか?
考え続け、行動し続け、震災以降に新しく地域農業のハブとなる事業を興した株式会社ワンダーファームの元木寛社長に、これまでの歩みとこれからの福島にかける思いを聞いた。

まさかの転機で飛び込んだ
大規模トマト栽培

青空が広がるいわき。福島県浜通りは冬でも晴れの日が多い。

「トマトってやっぱり太陽がすべてなんですよ」

ワンダーファーム敷地内にある「森のマルシェ」の一角で、元木寛社長(44歳)は、にこやかに迎えてくれた。店内にはトマトジュース、トマトみそ、トマトドレッシングなどの加工食品、そして、カラフルなプチトマトのギフトセットをはじめ、地場の野菜や食品が並ぶ。

双葉郡大熊町出身の元木社長は、サラリーマン家庭に育ち、福島高専で電気を学んでJR東日本に就職した時は、まさか、自分が農業をやることになるとは思いもよらなかった。
「ただ、いつかは地元の福島で仕事をしたいという思いは入社当時からありました」という元木社長は、東京勤務時代も週末には地元の浜に戻って、大好きなサーフィンに興じた。

転機はトマト。いわき市四倉町内で代々米作りを中心に農業を営んできた妻の実家が、トマトの大規模栽培を手がけることになり、当時は日本にあまりなかった法人化のためには「後継者が必要なんだが、どうだ?」と義父から打診されて驚いた。会社を辞めて2002年、福島に帰ってきた。

義父と共に事務所の立上げやトマト栽培ハウスの建設に立ち会い、農業法人とまとランドいわきの大規模トマト栽培事業が翌年からスタートした。

「失敗の連続です。当時まだ日本になかったオランダ式の設備を導入して、農業を全く知らない私が中心になっていろいろ進めたものですから、当然トマトも計画通りには穫れなくて」

当初は経営的にも厳しく、やっと計画に近いレベルで収穫できるようになったのは4~5年経ってからだ。いよいよこれから、というときに東日本大震災が起きた。

震災当時を振り返る

地震による被害は大きかった。ハウスの構造自体はなんとか無事だったが、ガラスが割れ、トマト栽培に必要な暖房設備の配管が全部壊れてしまった。原発事故後、いわき市も北部の久ノ浜には避難指示が出され、隣接する四倉町でも多くの町民が自主避難したが、元木社長は義父と二人でハウス設備の修理を続けた。

「とにかく、ハウスを直さなくちゃいけないという一心で、近くにラジオを置いて『3号機爆発』などのニュースを聞きながら、いざという時は逃げようと」

暖房設備がなくても、春先のトマトはよく実った。しかし、物流機能が完全に止まり、やがて、放射能の問題が報道され始めた。少しずつ従業員も戻り始めたが、いざ収穫しようかという時に「待った」がかかった。作物の受け入れができないという。トマトに含まれる放射性物質は、最も高い時でも20ベクレル/kg程度で、見直されたばかりの食品の基準値100ベクレル/kgより大幅に低いが、それでも受け入れてもらえず出荷できない。物流の回復に伴い、県内には一応出荷できるようになったが、「もう二束三文で、通常なら1個60円から80円ぐらいで売れていたトマトが1個10円とか」という捨て値のような値段でしか売れない。そして、都内には出せない。大規模設備で一日に何トンも穫れるトマトを毎日廃棄するしかなかった。

一時は事業存続の危機にも直面したとまとランドいわきだが、全国からの支援などもあり、放射性物質の検査を行いながら徐々に回復した。今でも毎月、検査結果を提出しているが、風評被害を感じることは少なくなくなったという。

「取引先のバイヤーさんから『どういう検査をしているの?』『数値はどれぐらいなの?』と聞かれることはありますが、それによって取引できないということは、今はほとんどなくなりました」

ワンダーファーム誕生

生産物を出荷するだけではいずれ経営的に成り立たなくなるだろうと考え、とまとランドいわきでは既にトマトジュースなどの加工品を作ってそれまで廃棄していたトマトの商品化に取り組んでいた。

ちょうど、国の政策として「6次産業化」が生まれてきた時期でもあった。6次産業化とは、農林漁業者(1次産業)が、農産物などの生産物の元々持っている価値を上げるため、食品加工(2次産業)、流通・販売(3次産業)にも取り組み、それによって農林水産業を活性化させ、農山漁村の経済を豊かにしていこうとするものである。

「とにかくこの福島をなんとかしなくちゃいけない。農業という立場で何ができるだろうと考えた時に、6次産業化として認められやすいレストランや直売所であれば、私たちのトマトだけでなく、地域の農業にも貢献できるのではないかと考えて、ワンダーファームの構想ができてきました。とにかく無我夢中でした」

2013年4月、とまとランドいわきを母体に、東北エア・ウォーター株式会社をパートナー企業として、株式会社ワンダーファームを設立した。

会社設立から3年経った2016年春、いわき市四倉町の広大な敷地内に直売所「森のマルシェ」、ビュッフェ形式のレストラン「森のキッチン」、加工工場「森のあぐり工房」が完成。隣接するトマト栽培ハウスと併せて、農と食の魅力をさまざまな形で体験できるワンダー(wonder=驚嘆すべき)なファーム(farm=農場)のスタートである。

初年度の2016年には約20万人が訪れた。県内からの来場者が6~7割だが、観光バスで、レストランでの食事に立ち寄る県外からのツアーも増えた。ハウスでのトマト狩りや直売所での買い物も楽しめるということで、浜通りの観光ポイントの一つとして認知されるようになる。

地方と都会をつなぐ
「場」としてのレストラン

盛況を続けてきたワンダーファームだが、2019年10月の台風19号、2020年のコロナ禍という試練が続く中、思い切ってレストランを見直すことにした。昨年10月から休業し、この4月のリニューアルオープンに向けて目下準備中だ。

トマトをはじめ地場野菜をふんだんに使ったこれまでのビュッフェ形式も好評だったが、リニューアル後は、感染対策もしっかりした上で、アラカルトのメニューを提供する予定だ。東京でレストランを数店経営する友人の協力により、都内で閉めた店舗からシェフをはじめとするメンバーが福島に来ることになっている。お互いコロナ禍中の活路を見出したいところだ。厳しい経営環境の中であり、このリニューアルをクラウドファンディングで応援者を募ってやろうと考えている。

「やはり、ここでやる意義をしっかり伝えなくちゃいけないし、私としては向こう10年、『食』で浜通りを元気にしていきたいと思っています」

地方は、どうしても東京などの都会への食料供給基地という位置づけになりがちだ。魚介類に関しては浜通りにも美味しい伝統料理があるが、トマトなどの農産物や肉になると、まだまだ地方の食文化が育まれていないと元木社長は感じている。東京の腕の良い若いシェフたちと地元の生産者が集って、単なるレストランではない、地方と都会をつなぐ一つの「場」をつくり、そこで、伝統料理だけでなく、地場の野菜を使った新しいメニューを創り、美味しい食べ方を提案していきたいと元木社長は抱負を語った。

福島の農業のこれから

元木社長が福島に帰ってきて農業を始めた頃は、とにかく規模を拡大して大量生産の薄利多売でやっていこうという時代だった。とまとランドいわきを先駆者として徐々にトマト農家が増え、いわき市は今や県内有数のトマト産地に成長し、福島県のトマト生産量は全国7位である。

しかし、単に大量生産という時代ではなくなり、大規模化といっても資金面で簡単ではない。ではどうするのか。ここは元木社長自身も答えを持っているわけではなく、加工やブランド化によるトマトの高単価化、飲食利用、サプリメントへの応用など、方向性を探りながら試行錯誤しているところだ。

震災後5年で福島県内の農家は2割減少したとも言われているが、農業の担い手の高齢化と後継者の問題も震災前からあった。震災がなくても農家の減少は止められなかっただろうと元木社長も認める。ただ、10年前と違うのは福島県全体としては新規就農者が増えていることだ。ここ6年連続で200人を超えた。ほかの業界で働いていた人が地元に帰ってきて農業に就くケースが増えているという。

ワンダーファームでも若い世代を積極的に採用している。現在の社員数はパートも入れると100名ほど。全く農業経験のない転職組のほか、地元の県立磐城農業高校の卒業生もいる。「少しでも農業の担い手の育成に貢献できたら」と元木社長は語った。

浜通りの交流人口の
回復に向けて

震災から10年経って、福島県全体の交流人口は震災前以上に増えている中、唯一、浜通りだけは交流人口が震災前の7割程度にとどまる。浜通りには今なお帰還困難区域もある上、避難解除になった町村でもまだじゅうぶんに人口が戻ってないので、仕方がない面はあるが、そこをなんとかしていなかないと、この浜通りの経済が回っていかないと元木社長は危機感を募らせる。

「同じ課題意識を持っている仲間がいまして、これまでは、どちらかというと国や県など行政主導の10年でしたが、これからは自分たちが主役の10年にして、しっかり復興をしていかなくちゃいけないということで団体を立ち上げました」

浜通り13市町村で働く20代から40代の若手の約30人が集結したHAMADOORI13が、昨年10月頃から活動を始め、定期的に会合を持っている。

交流人口の回復のためにHAMADOORI13の仲間たちと話しているテーマの一つが、若い人たちがチャレンジできるような場をつくること。「外部から、あるいは、元々この地域出身で、私のように地元に帰ってきて何か事業をやりたい人たちをサポートしていきたい」と元木社長は話す。

福島の新しい取り組みを見に来てほしい

震災後しばらくは、様々な形で復興に関する報道があり、それを見た人たちがボランティアに来てくれたし、ワンダーファームにも毎年変わらず来てくれる団体もある。ただ、時の経過と共に報道も減っていく中で、どうしても人々の思いの中から福島の復興が薄れていく。

「もう復興支援で来てくださいというフェーズではありません。だから、私たちが新しいものを生み出して、まだ課題もあるけれど、こんなに新しい取り組みが生まれてきているということをぜひ見にきてほしいですね」

原子力産業を支えてきたたくさんの企業にも、できればこの浜通りで、もっと事業につながるような企業活動をしてもらいたいと元木社長は言う。ワンダーファームには企業研修の依頼も多く、元木社長はこれまでの経験を話し施設内を案内してきた。

「そういう形でもいいですし、まずは来て、現状を見ていただいて、この10年を私たちだけでなく、みなさんも一緒に振り返って、その上でこの先10年、何ができるかを一緒に考えてもらえるようなきっかけがあるといいですね」

コロナ禍を超えて
チャレンジを続ける

人の行き来がままならない状況だが、今年は通販サイトも見直して、大手の中で埋もれることなく、「ワンダーファームのファンに届けられるようなプラットフォームを使って、もっと情報発信もしていきたい」と考えている。

オンライン農園ツアーにもチャレンジしている。参加者の目の前に、事前に送ったワンダーファームのトマトの実物がある状態で、オンラインによる農園ツアーを行うという形だ。旅行会社とも話を進めており、オンラインからオフラインにつながるような企画を考えている。

コロナ禍を嘆いてばかりいるわけにもいかない。オンラインをはじめ、いろいろな可能性を探っていくことがアフター・コロナにもつながっていく。4月にリニューアルオープンするレストランの取り組みも、浜通りを元気にしていく起爆剤にしていきたいと元木社長は語った。

「この10年間で一番嬉しかったのは、何と言っても、このワンダーファームをつくったことです。つくるまでも大変でしたし、つくってからも大変ですが、つくったということは大きな成果でした。」

青空の下、広々としたトマト栽培ハウスの中では、受粉用のクロマルハナバチが悠々と飛び、フラガールやトスカーナバイオレットなど9種類のトマトが元気に育って、ワンダーファームを訪れる人を待っている。

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