原子力産業新聞

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インタビュー

高村 昇 タカムラ・ノボル 長崎大学教授

高村 昇タカムラ・ノボル

長崎大学教授

1968年長崎県生まれ。長崎大学医学部、同大学院医学研究科博士課程修了後、同大学医学部助手、同大学院公衆衛生学分野准教授、等を経て、2008年4月より長崎大学原爆後障害医療研究所教授。専門は、被ばく医療学。
2020年より東日本大震災・原子力災害伝承館の館長を務める。

地域ごとに異なる復興フェーズに寄り添う

── 福島原発事故から10年が経ちました。事故直後から取り組んできた復興支援を振り返り、今の所感をお聞かせください。

高村 福島県の中でも、地域により復興のフェーズが全く異なるということを痛切に感じています。長崎大学による福島の復興支援は、2012年に川内村ではじまりました。私は震災直後から福島県内の各地を巡回講演していたのですが、2011年10月の郡山市での講演の後に、川内村の遠藤雄幸村長と話をする機会をいただきました。川内村は事故直後に全村避難し、役場機能と住民の多くが郡山市に身を寄せていたのです。そこで遠藤村長から「私たちは村に帰りたい。土壌や水の放射線量を調べて欲しい」というご相談をいただきましたので、「戻る環境を作れるのであれば、早く戻った方がいいです。そのためのお手伝いであれば、長崎大学は喜んでやります」と申し上げました。川内村は 避難をした自治体の中で比較的線量が低くて、戻れる可能性があるから、お手伝いができればと思っていた矢先のことです。
2013年4月に長崎大学と川内村が包括的連携協定を結び、川内村に長崎大学のサテライト施設として「長崎大学・川内村復興推進拠点」を開設しました。そこを拠点に活動をするなかで、双葉郡にある川内村の生活に必要なインフラは隣町の富岡町が担っていたということがわかってきました。いわば、富岡町は川内村のお母さんで、富岡町より先に帰村をはじめた川内村は孤児状態にあったということです。実際に、「富岡町が本当に復興しないと、川内村の復興はない」という声をいろんなところで聞くようにもなりました。
2016年に富岡町の帰還が開始になると決まった段階で、「川内村を本当の意味で復興させるには富岡町も応援しなければ」と、2017年4月に富岡町の本格的な帰還にあわせて、富岡町に 「長崎大学・富岡町復興推進拠点」を置いて支援を開始しました。

2019年には、原発がある大熊町でも帰還がはじまりました。川内村、富岡町ときたのだから、やはり原発と隣り合わせの大熊町とも、一緒に復興への道筋を築いていこうと、2020年7月に「長崎大学・大熊町復興推進拠点」を置きました。
川内村、富岡町、大熊町と、福島の復興のプロセスに合わせて拠点を増やして活動してきました。地域ごとにニーズは異なりますし、しかもそのニーズはそれぞれに大きい。拠点を持って地域を実際に歩いてきたからこそ、こうしたニーズを感じ取ることができたのだと思います。
震災から10年が経ち、川内村は現在、避難した人口の8割が戻っています。2011年に住民が避難を強いられ、一時は誰もいなくなった村とは思えないくらいに、かつての日常を取り戻しています。その一方で、富岡町は、原発事故前には1万6000人がいた住民のうち、戻ったのは1500人ほどです。10%にも満たない。まさに復興の途上にあります。その隣の大熊町は原発事故前の人口が1万人だったのが、戻っているのはわずか200人程度です。大熊町の復興はまだ始まったところと言えます。避難を一部解除して除染をしながらの復興がスタートしたばかりです。
チェルノブイリでも原発から30km圏内の住民は避難しました。福島と違い、チェルノブイリでは戻った自治体がありません。線量が高い地域はもうほとんどないのに。住民が戻れないのは、放射線だけの問題ではなく、事故から数十年が経ってから誰も住んでいない地域で、生活に必要なインフラをゼロから立ち上げ直したり、農業を再開したりということが極めて困難だからです。
戻れる環境を作れるのであれば、なるべく早く戻った方がいいと、福島の復興に力を入れてきたのはこのためです。
私は、今、双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館の館長をしています。双葉町では、国道6号線と伝承館の間の道路だけ、避難が解除されているのですが、現時点で町に戻った住民はいません。人口ゼロです。つまり復興が始まってもいないのです。
このように福島の4つの町村を見るとわかるのは、地域ごとに復興のフェーズが全然違うということ。1つの福島という県の中でもこんなに違いがある。それが10年を振り返って一番感じるところです。その違いを尊重しながら支援活動をしています。

── 事故による健康への影響、福島県健康影響調査の結果について高村先生の考えをお聞かせください。

高村 福島県は福島県民健康調査を立ち上げて、県民の健康を見守る取り組みをしています。 これまでの調査でわかっているのは、放射線被ばくによる疾病の増加というのは認められていないということです。事故直後に、20km圏内の住民は比較的早く避難をしました。また、食品に暫定基準値を設けて、出荷制限、摂取制限を行いました。この2つにより、外部被ばくと、汚染された食べ物や飲み物を摂取することによる内部被ばくの線量はかなり抑えられていたことがわかってきました。
その一方で、多くの方が不安を抱えているのは事実です。ですから、県民健康調査では事故当時、概ね18歳以下だった子どもを対象に超音波による甲状腺のスクリーニング検査が行われています。その結果として、これまでのところ、放射線被ばくによる甲状腺がんのような疾病の増加は認められていません。これが、この10年の一つの結論だと思います。

── スクリーニングの結果、一時は甲状腺がんが通常より発症率が高いと、世間を驚かせました。

高村 福島原発事故の後、福島県では甲状腺の超音波検査は学校検診として行われるようになりました。全員を対象に甲状腺の検査をするというのは世界でも福島県だけです。
かつては実施していなかった検査が検診項目に入ると、これまで受けていなかった人も検査を受けるため、いわゆるスクリーニング効果で甲状腺がんの発症率が著しく向上したように見えます。一時はそれが世間を騒がせました。

ここで大事なのは、放射線被ばくと甲状腺がんの因果関係を評価することです。これが極めて重要です。つまり、横軸に放射線被ばくがあって、縦軸に甲状腺がんの発症率があった時に、何らかの関係があるのかを検証しなければなりません。
県民健康調査では、その因果関係を調べてきました。その結果として、放射線被ばくによる甲状腺がんの増加は否定されたのですが、そこにはいくつかの判断理由があります。
ひとつは事故当時の年齢です。一般的に、放射線誘発がんは事故当時、あるいは、放射線に被ばくした時の年齢が低いほど、罹患するリスクが高いのです。
同じ原発事故が起きたチェルノブイリでは、事故当時、0歳から5歳くらいの子どもたちの甲状腺がんの罹患率が高まりました。原爆被爆者も同様に、年齢が低い人ほどがんや白血病の罹患率が高いことがわかっています。ところが、福島県ではその傾向は見られませんでした。福島県で検出される甲状腺がんは、年齢とともに発症率が上がっていくパターンです。
甲状腺がんを含め、一般的にがんという病気は、加齢とともに発症する可能性が高まります。スクリーニング効果で発症率が向上したのも、加齢要因による疾患まで拾い上げたことによると考えられています。
もうひとつは、現在、地域ごと、あるいは、自治体ごとにおおよその甲状腺の被ばく線量の推計値が出されています。これは国際機関が評価し推定した値です。これをもとに比較的放射線被ばく量が高い地域と、中間と、比較的低い地域で比べたときに甲状腺がんの罹患率に違いがあるかを検証しました。もし因果関係があるのであれば、線量が高い地域の方が、甲状腺がんの発症頻度が高くなるのですが、そうなってはいません。どこの地域もほぼ同等の結果が出ています。
もちろん、今後もいろんな調査研究を進めていく必要があるのですが、因果関係を調べた結果、10年経った現時点では、福島で見つかる甲状腺がんは、被ばくの影響とは考えにくいという結論に至っています。

甲状腺検査を受けたい人が受けられる体制を

── 一時期、甲状腺がんのスクリーニング調査については、継続「する」「しない」で専門家の間でも意見が分かれていました。

高村 検査法の発展で甲状腺がんを早期に検出することが可能になり、患者数は増えていますが、甲状腺がんによる死亡者数が増えているわけではありません。甲状腺がんは悪性度が低く、他の疾病で亡くなった方を解剖させていただくと、10人中2、3人は甲状腺がんが見つかります。つまり、甲状腺がんそのもので亡くなるよりも前に、他の病気で亡くなるわけです。これは世界で広く同じ傾向にあります。
福島では、これまで甲状腺検査をしてこなかったから見つからなかったものが、検査をすることにより見つかるようになりました。この結果に対し、スクリーニングによる過剰診断であるから検査を中止するべきだという見解と、そもそも福島で原発事故後にスクリーニング検査を始めた目的を踏まえるべきだという議論が起きています。
福島では原発事故による放射線災害が起き、子どもたちへの健康影響を懸念する声が多く出ました。そのため、子供たちの健康を見守るために、甲状腺を超音波でスクリーニング検査することになりました。教科書的には過剰診断と言えるかもしれませんが、そもそもどうして始めたのかを考えれば、検査をしたい人が検査を受ける体制を整えておくことが大切ではないかと私は考えています。

── 放射線を正しく知ってもらうために大事なことは?

富岡町にて学生たちと

高村 短期的な視点と長期的な視点があると思います。短期的には、なぜ、福島原発事故の時に、放射線に関して混乱が起こったか、その要因を考えなければなりません。事故の直後から、「空間線量率が、福島市で25マイクロシーベルト/時間になりました」、「飯舘村は45マイクロシーベルト/時間になりました」 「飯舘村の水道水から800ベクレル/リットルの放射性ヨウ素が検出されました」という数字が矢継ぎ早に報道されていました。事故当初、その数字が何を意味するのかの説明が欠落していました。当時、どれだけの一般市民が数値の意味を冷静に受け止めて理解できたでしょうか。
45マイクロシーベルト/時間が検出された場所に、例えば1時間から2時間立っていると、身体にどのような影響があるのか。
「当時、自分たちは放射線に被ばくして死んでしまうと思っていた」と、川内村に限らず、多くの住民から聞きました。
放射線量は、例えば、健康診断で撮影するレントゲン検査と比較することができます。胸のレントゲン写真を1回撮ると100マイクロシーベルト被ばくします。当時の福島で住民が住む地域で比較的放射線量が高かった場所に4時間〜5時間立つのと同等です。こうした「ものさし」を持ってもらうことが大事なのです。相場感がわかる「ものさし」がない状態に置かれていたから、多くの住民がひたすら健康被害に怯えることになったのです。
放射線が怖いと言われるのは、「見えない」「音がしない」「匂いがしない」からです。一方で、放射線は線量計で比較的簡単に測ることができます。そこで得られた数値の意味を理解するために、「ものさしをきちんと持つこと」が、まずは必要なのです。

── 今後の課題は?

川内村では住民の方を訪問し、放射線についての相談に乗った

高村 では、今後はどうしていけばいいのか。「放射線」というものを考える時に、一番の課題は、これまではできていなかった「ものさし」を持つための理科教育にあると思います。
200ベクレル/kgのキノコを1年間食べ続けると、被ばくする線量はどのくらいになるのか。だいたい胸のレントゲン写真2枚分くらいです。
こういうふうに目安がわかることで、放射線被ばくによる健康影響があるのかないのかのイメージがわきやすくなります。単に、「危ないか」「危なくないか」という議論ではなく、程度を理解できるような理科教育に落とし込んでいかなければいけません。
定量的に判断できる力は必要です。時間はかかりますが、長期的にこうした教育に地道に取り組んでいくことがこの国には求められていると思います。

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