原子力技術の安全かつ有効な活用を共通目標に
適切な安全確保のあるべき姿に議論を深めるべき
山口彰東京大学大学院教授に、原子力発電の安全性向上に関する官民の取り組みを中心に話を聞いた。山口教授は、この10年の間に官民とも安全性の向上にむけて取り組みが進展している点を評価する一方で、「再稼働したのは9基のみで、当初思っていたほどに成果が上っていない」との認識を示し、安全性向上という一方向に注力してきたこれまでの日本の状況について改善すべき点をいくつか提言した。
── 福島第一原子力発電所事故後10年を経て、今どのようにお考えでしょうか?
山口 この10年、様々な事があり、国際社会はずいぶんと変化してきました。
例えば気候変動がもたらす生態系の問題としては、自然災害が増えて居住区域が狭まるといった問題や食糧、資源の問題が、従来は局所的な問題として認識されていたものが今はグローバルな問題として、つながりを持って認識され始めています。
今の感染症問題もそうですが、国際社会は局所的な問題のつながりを理解し、全地球的、グローバルな問題へと関心の焦点を移してきているように感じます。
そのなかで、日本は東日本大震災などの影響があり、少し取り残されたような、閉塞感のある社会状況も見受けられます。
ただ、原子力の問題で言えば、事故の後、様々な改革が進展し、知見も蓄積されてきました。安全規制の制度や基準も整ってきています。
事故のあった福島第一原子力発電所の廃炉・汚染水対策も燃料プールからの燃料取り出しや汚染水の処理など技術的な対応を含めて様々な対策が進展しています。
福島の復興や再建の問題については、帰宅困難区域が一部まだ残っていますが、復旧対策の進展によって指定が解除された地域での生活再建も順次、進んできています。
そして、いま福島イノベーションコースト構想など福島の復興と再建を推進する新たなプロジェクトも動き始めています。
こうした様々な動きがあるなかで、今まで何ができてきて、何が進んでいないかをきちんとこれから見ていく、そういう節目の時期に来たように感じています。
── 日本国内では原子力発電をめぐる議論に、グローバルな視点に欠けていたようにも感じられますね
山口 世界の原子力発電電力量はこの7年間、連続して増加しています。アジア地域だけで見れば、この一年で17%増加しています。世界的にはそのような状況にあって、安全性の問題は、エネルギーの確保やカーボンニュートラル(炭素排出実質ゼロ)といった重要な問題とリンクして理解され、原子力発電の活用がなされていますね。
日本はその意味では一周遅れの感があります。社会状況として仕方のない面もありましたが。大事なことは、これから前向きにフェーズへと切りかえていくことだと思います。
── この10年に官民が取り組んできた原子力発電の安全性向上の取り組みはいかがでしたか?
山口 周知のように、民間の事業者には制度、体制、マインド(意識)などの面で変化がみられます。
事故後に設立された原子力安全推進協会(JANSI)をはじめ、原子力リスク研究センター(NRCC)、原子力エネルギー協議会(ATENA)などの組織が安全性の向上にむけて活動を開始し、リスクガバナンス体制の構築、安全意識の改革など、人心一新というほどに取り組みがずいぶん進展してきています。
一方の官の方も、原子力規制庁の規制行政が一本化され、新設された原子力規制委員会により非常に厳格な規制基準ができ、シビアアクシデント(過酷事故)、あるいは地震や津波など自然災害、また航空機落下、テロ等の人為的な事象などに対する規制基準が整ってきました。その意味では原子力分野の規制の環境、条件がきちんと整備されてきたことは間違いありません。
しかしながら、成果がどうであったかと言うと、この10年間で再稼働したプラントは9基にすぎません。まだ審査中のプラントや審査の申請準備中のプラントが多いですし、再稼働までのハードル が高いという現実があって、当初思っていたほどに成果が上っていないのが現実だと思います。
それから社会との関係のなかでは、原子力に関する訴訟が重要な問題として浮上してきたというのも特徴のひとつと言えるでしょう。運転差し止めの仮処分の決定が何件か出ました。直近では関西電力の大飯3、4号機の設置許可そのものの無効判決が出るなど、ある意味で驚きをもって受け止めたような動きもみられています。
こうした状況は、かつて米国のスルーマイル島(TMI)原子力発電所事故の後にみられた同国の社会状況に似ているところがあるように感じられます。
米国の当時の状況を調べたことがありますが、事故の後、規制当局の規制活動の改革が進み、民間側の原子力産業界の改革も進みました。
しかし事故後、数年を経てインディアンポイントとザイオンの2つの原子力発電所について廃止を求める請願が出ました。これに対して当時の産業界は、一致団結してリスク評価(PSA)を実施し、現状の安全対策でも十分に安全性が確保されることを示し、結果、司法の場で安全性が認められ、運転継続となりました。
更に重要なことに、このリスク評価によって、多額の費用をかけなくてもシビアアクシデントに対し有効な対策があることも示されました。そのひとつが事故時に格納容器内の圧力を逃がすフィルターベント操作、もうひとつが格納容器の破損防止のための水素燃焼対策です。
当時の関係者に聞いたところ、このリスク評価はエポックメイキングであったと述懐していましたが、その後、米国では安全目標の政策声明と、シビアアクシデントの政策声明が出されるに至りました。
安全目標の議論は日本ではなかなか進みませんが、この安全目標の政策声明の検討によって米国では”How safe is safe enough?”をきちんと考えるきっかけになり、またシビアアクシデントの政策声明によって、シビアアクシデント対策が規制の中に取り込まれることになりました。
そうした取り組みが奏功して米国の原子力発電所は運転中のものはそのまま運転し、建設中のものはそのまま建設が進みました。
この10年の間に、米国では新規建設の申請こそないものの、既存の原子力発電所のいくつかの炉で出力増強などの改良工事が実施されてパフォーマンスが大きく向上しています。そして設備利用率も90%を超えるような非常に良い結果を出しています。滞りなく運転を継続し、安全を維持しながら非常に高いパフォーマンスを発揮しているのです。
日本では規制側、事業者側の取り組みは共に、米国に比べて遅れているということは決してないと思います。ただ、これまで安全性の向上にむけて安全対策を強化するという一方向のみのプレッシャーで動いてきました。したがって、次から次へと安全対策を講じていくのですが、なかなか先が見通せない。結果として(事業者や国民は)予見性を持てない、という状況につながってきたのだと思います。
米国の場合は、今のプラントで十分に安全の水準は高いということをリスク評価で示し、安全目標の政策声明を出して安全対策の目安となる定量的な議論も進めていきました。そこに日本との本質的な差があるように感じます。
エネルギーの確保や環境問題への対応のために原子力政策はどうあるべきか、日本では、そうした議論につながる形で規制のあり方を含めた適切な安全確保の姿はどういうものなのか、そのような難しい問題の議論を避けてきた感は否めません。したがって、今後取り組むべきなのは今挙げたような悩ましい問題でしょう。規制と事業者、それに社会も一緒になって議論するような問題に正面から取り組むこと、それが課題だろうと考えます。
── この10年に官民が取り組んできた原子力発電の安全性向上の取り組みはいかがでしたか?
山口 原子力規制委員会(NRA)は事故の後、厳しい社会の目があるなかで始動しました。そのようななかで、原子力発電所や、再処理などの核燃料サイクル施設、また研究炉まで様々な施設について安全審査を実施し、結果を出してきたことは評価すべきだと思います。
ただ、行政機関はエネルギー、電気の安定供給という目標に関して共通のゴールを認識して動くべきではないでしょうか。原子力の場合は、技術を安全かつ有効に活用するというのが共通の目標になるのでしょうが、実際には「安全」というところに注目するあまりに、「有効に」という部分が欠落していたように思います。
独立の機関だからそれで良いというのは少し偏った見方ではないかと思います。原子力の技術、今ある軽水炉の技術などを有効に活用して社会に役立てるというのがそもそもの目的であるので、NRAにとっても有効に活用していくという面は大変重要な使命であり、責任があると思います。
よくお話する事例ですが、米国の原子力規制委員会(NRC)は5つの原則(INDEPENDENCE / OPENESS / EFFICIENCY / CLARITY / RELIABILITY)を持っていて、EFFICIENCY(効率性)が原則のひとつに含まれています。日本のNRAも、こうした原則を明確にして活動するべきでしょう。
「独立性の高い国民に信頼される機関であり続けます」といったスローガンではなく、信頼性を得るにはどのような安全性の追求を成すべきか、また独立性はそもそもどのような活動によって実現されるのか、そういうところに深く踏み込んで議論しようと思えば、拠り所となるような原則が必要でしょう。
もうひとつ重要だと思うのは、これまでの実績の蓄積です。今までいろいろ積み上げて来た経験とか、判断をする時に関係者がいろいろ議論をして考え方を整理して来たものが、規制の審査の資産としてきちんと蓄積されて有効に活用されているかという問題があります。
当初は、ある程度経験を積めば個々の審査は半年くらいで終わると思っていたと委員長もおっしゃっていましたが、現実はなかなか一筋縄でいかず、手戻りがあったりする場面も多く見受けられました。
審査で蓄積された考え方などが体系的に整理されて公開されることで、国民あるいは事業者から見て規制の首尾一貫性を確認することができますし、予見性にもつながると思います。審査を円滑に進めるためにも蓄積や経験をどのように積み上げて、それを外から見えるようにすること、すなわち規制の考え方や方針を開示していくこと、今後の課題としてそれを望みたいですね。
── 原子力分野の人材育成の課題と展望についてはどうお考えでしょうか?
山口 大学はいま、まず幅広い分野を勉強し、そこから専門分野に入っていくという形になっています。原子力を志望する学生にとって、道を見つけにくいという状況があるかもしれません。東京大学も学科の名称はシステム創成学科で、一見しただけではその中に原子力専攻の道筋があるというのはわかりません。原子力を志望する学生に道が見えるような仕組みを作ることが必要だと思っています。
過去、大学の学科は人気が変遷してきました。原子力もかつて人気を集めた時期がありました。原子力の場合は特に、この分野に理解と熱意を持った学生を育てるように、大学と産業界が連携した仕組みが必要だと思います。
韓国には、韓国電力公社国際原子力大学院(KINGS)がありますが、明確に勉強したいという学生が熱心に学ぶ場になっています。日本にも同様の場があれば良いと強く思いますね。大学と産業界が連携して人材育成や教育の仕組みを作っていくのが良いでしょう。
日本にも文部科学省に原子力の人材育成のプログラムがあって、非常に人気があります。全国の大学から理学部や工学部の学生から参加希望があり、熱心に学ぶ様子が見受けられます。
全国で大学や行政が実施している関連の人材育成プログラムを評価、整理して良い点を活かしてうまく連携することが良いのではないでしょうか。もともと原子力に熱意を持った学生や、そこまでではないが幅広く勉強したいという学生も学べる場を作れれば良いと思います。
ついでに申し上げますと、研究炉は実戦的な教育の場として大変有効であり、建設や維持管理は大変ですが、今後リプレースなどに前向きに取り組んでいく必要があります。大学教育という見地からも、様々な概念を考え、設計し、調整等をしながら研究を進めることは大変有意義です。
日本では、日本原子力研究開発機構の材料試験炉(JMTR)が廃止措置に入っており、同機構のJRR-3(Japan Research Reactor No.3)や近畿大学原子炉(UTR-KINKl)も、いずれ廃止措置の時期を迎えます。研究炉は教育の場というだけでなく、様々なアイデアを発想し幅広い分野で研究を進めていくために貴重なデータを取得する場でもあるのです。
── 日本政府の地球環境問題への対応が強化されそうですが、原子力発電に対する国民の信頼を回復するための取り組み全般についてどう思われますか?
山口 現在、改訂が議論されているエネルギー基本計画の検討においては、「総力戦で」というのがコンセンサスとなっており、それはその通りだと思います。一方、世界でカーボンニュートラル(炭素排出量実質ゼロ)な発電量の9割は原子力と水力によるというのがこれまでの実績ですので、当然、政策的には原子力が中心のひとつにあがってくるべきです。
様々な試算を見ましても、原子力にある一定規模の依存をするシナリオしか成立性が見通せない状況にあるのではないでしょうか。
そこは明確なのですが、エネルギー基本計画の改定を議論している基本政策分科会において委員の皆さんからは、リプレースなど原子力を進めるにしても国民の支持、信頼がないとできないという意見が多いのです。
国民の支持や信頼を得られてないというのは、そもそも原子力の特性が国民にきちんと伝わっていないという問題があるのです。それに尽きると思います。
直近の原子力に関する世論調査(日本原子力文化財団が実施)では、原子力がCO2を排出しないという特性について、そうだと答えた人は4割しかいません。原子力発電が役に立つと思う人は5割、放射線利用が必要と思う人は6割という数字でした。
これは、伝え方に問題があったのではないでしょうか。原子力の価値をきちんと伝える戦略を立てて、説明していくことが必要だと思います。日本ではこれまで安全性の議論が主になり、議論が広がらない面が見受けられました。それ以外のいろいろな価値を伝えて、理解してもらうために、戦略的な活動が必要です。
もうひとつ、エネルギー基本計画の検討に関連して申し上げれば、国民が比較検討できて、正当な評価ができるようなシナリオを作って提示することが重要だと思います。シナリオは、料理を選ぶメニューを作るのと同じで、国民に選択肢を提示するものです。その際、多少うまくいかないところがあっても狙うゴールに届くようなシナリオでなければなりません。シナリオはめざす姿としてのビジョンであると同時に、経済的にも技術的にも実現性があるものであって、その脆弱性をも考慮しなければなりません。Robust(頑健な)というか、強靭なシナリオを用意して、しっかりとしたエネルギー政策を国民に提示していくことが重要でしょう。