2020年4月8日
がん治療の三本柱といえば、外科手術、化学療法、放射線治療である。放射線治療の中でも、従来からのX 線による治療のほか、近年は陽子線、重粒子線による治療も実績が積み重ねられている。とくに、重粒子線治療については、日本が世界をリードしてきた医療技術である。その歴史は、1984 年に国の「第1 次対がん10 カ年総合戦略」の一環として、放射線医学総合研究所(現在の量子科学技術研究開発機構、以下QST)が、医療専用装置としては世界初の重粒子線治療装置「HIMAC」を建設し、1994 年にがん治療を開始したことに始まる。
現在6 か所[1] … Continue reading ある国内の重粒子線治療施設の中で、今回は、群馬大学重粒子線医学センターを訪ね、重粒子線治療の現状について話を聞いた。
群馬大学重粒子線医学センター内のCTシミュレーション前で
(写真左から田代氏、大野氏)
重粒子線治療の特徴
■そもそも重粒子線治療とはどんな治療なのか?
「重粒子線治療は放射線治療の一つです。普通の放射線治療では主にX 線が使われています。重粒子線治療には、X 線と較べて3 つの利点があります。1 つ目は、狙ったがんの場所に、より集中して当てられることです。周りには余分に当たらないため、副作用が減らせます。2 つ目は、重粒子線のほうが生物効果、つまり、がんを殺す力が強いということです。同じ線量であればX 線の2 倍から3 倍効果が強くなります。今までX 線で治しにくかったがんに対しても効果が期待できます。3 つ目は、治療期間が短いということです。X 線治療では6〜8 週間にわたり、30〜40 回近く放射線を当てて治療しますが、重粒子線の場合は、最長で4 週間16 回、最短は1〜2 回で治療ができます」と群馬大学医学部附属病院放射線科の大野達也教授は懇切丁寧に答えた。
■重粒子線治療では炭素イオンが使われ、炭素線治療とも呼ばれている。
「X 線の場合は、一方向でみると身体に入った直後でダメージを与える力が最も強く、あとはだんだん減っていくという性質を持ちます。この場合、狙った深さにあるがん細胞の手前や奥にも照射されてしまいます。一方の炭素線の場合には、身体に入ったところではなくて、狙った深さで砲丸投げのようにピタッと止まる時に最大のエネルギーを出し切るという性質があります。その出し切ったエネルギーを標的のがんに与えることが治療効果につながります。がんの手前や奥に照射される線量はX 線よりも少なくなります」と大野教授は説明する。
重粒子線治療のメリット
■がんの種類や状態によって治療法は使い分けられる。例えば、手術と放射線はともに局所的な治療であるが、局所のがんを手術で切除するか、あるいは、切らないで外から放射線を当てて治すかという違いがある。
「もし、切らないで治るならそのほうがいいですよね。ところが、X 線では効きやすいがんと効きにくいがんがあります。それなら切るほうが確実だということで手術が行われているわけです。一方で手術の場合には体への負担が心配な患者さんがいます。最近の放射線治療では線量集中性が向上し確実性も高まっていますが、重粒子線が効果を上げているものもあります。手術ができない肉腫と呼ばれるがん、腺癌、悪性黒色腫などです。3cm を超えるような大きいがんに対しても局所効果は良好です」
重粒子線医学センター内の様子
■手術と較べたメリットとして、患者にとっての負担の軽さが挙げられる。照射の回数が少なく、治療期間が短いということだが、手術の場合のようにしばらく安静にしていなければならないということはないのだろうか。強い放射線を当てた後の倦怠感のような症状もないのだろうか。
「多くの場合、重粒子線治療だけであれば通院治療が可能です。例えば前立腺がんでは、治療室に入ってから出てくるまで15 分ぐらいで、そのうち照射しているのが1 分ぐらいです。これを1日1回、合計12 回行って治療は終了となります。排尿や排便に関する副作用のことを心配されますが、あっても軽い人が多いです。治療期間中に仕事や家事や介護など、日常生活と両立している方が多いですよ」
■もう一つ、抗がん剤を使った化学療法は、全身的な治療である。がんが転移していることが疑われる場合、あるいは、既に転移してしまった病状の場合に使われる。
「局所で進行した膵臓がんや子宮頸がんでは、重粒子線治療の期間中に抗がん剤を併用しています。この場合、抗がん剤の副作用にも注意する必要があります」
■いったん治療が終了した後に、がんが再発しないかどうかはどうやって確認するのだろうか。
「ほかのがん治療と同じように、重粒子線治療後に再発することもあります。定期的に経過をみることが必要ですが、もし再発が見つかった場合でも、次にどのような治療が最善なのか検討していきます。再発時にまた重粒子線治療が適応になる方もいます」
■また、治療法は治療そのものだけでなく、治療後のQOL にも大きく関わってくる。
「肺がんや肝臓がんでは、もともと肺や肝臓の機能が低下した患者さんが多いのですが、重粒子線治療では肺や肝臓の副作用が少なくて済みます。骨盤の仙骨にできた骨腫瘍では、手術で切除すると、周辺の神経がダメージを受けてしまうので、排便、排尿、歩行、性機能などに影響する場合があります。重粒子線治療では、しびれなどに注意する必要がありますが、その他の機能は比較的良好に保たれます。こうしたデータをわかりやすく発信することも必要だと思っています」
■身体の部位や臓器によって、重粒子線治療に向き、不向きがあるのだろうか。
「たとえば、腸管(大腸、小腸、胃など)にできたがんには向いていません。腸は不規則に動いているため、正確に狙えないですし、腸そのものが放射線に弱いので、重粒子線で潰瘍になり出血する可能性があります。ただ、直腸がんなどは、再発時に手術で取り切れない場所にがんが再発した場合は、重粒子線治療が選択肢になるかもしれません」
■そのあたりは患者の病状に合わせて、どのような治療が可能であるか、いろいろな選択肢を考えながら治療の計画を立てていくことになる。
大学病院に併設されていることのメリット
■「放射線治療の専門家だけでなく、内科や外科の先生と病院内でキャンサー・ボードという検討会を定期的に開き、患者さんにとってどういう治療がよいか話し合っています。重粒子線治療を検討する症例は皆、キャンサー・ボードに提示して治療方針を確認するのです」と大野教授は言う。
さすがは大学病院。色々な診療科の先生が我々の見えない所で協力してくれているのはありがたい。
「たとえば、重粒子線と抗がん剤治療の併用を提案する場合も、患者さんにとっては一つの大学病院の中で進めることができ、意思決定も早いわけです。複数のがん治療を併用する集学的治療に適しています。もう一点、高齢の患者さんは、心臓の持病があるとか、透析が必要だとか、がん以外の病気を持っていることがあります。そういう方でも大学病院では対応できるのが良いところですね。がんの治療とがん以外の持病を一緒に診てもらえる安心感です。小児がんであれば、入院中の子どもたちのための院内学級もあります」
なお、小学校低学年以下の小さい子どもに肉腫の重粒子線治療を行っているのは、日本では群馬大学重粒子線医学センターだけである。
なぜ、群馬に重粒子線治療施設ができたのか
■上述の通り、重粒子線治療は、千葉県にある放医研(現QST)のHIMAC という施設で1994 年に始められた。2010 年に治療を開始した群馬大学重粒子線医学センターは、大学の重粒子線治療施設としては国内初、世界でもドイツのハイデルベルグ大学に次ぐ第2 番目の施設である。なぜ、群馬だったのか?
「元々、放射線医学の分野で群馬大学にはとても実績があったのです。群馬大学の放射線治療は1959 年の開講以来、歴代の教授が一貫して人材育成に力を入れてきました。当時、日本の放射線治療専門医はまだまだ少なくて、その1 割が群馬大学出身者でした。また、群馬県にとどまらず県外にも多くの放射線治療専門医を大学教授やがんセンターの部長など指導的立場で多数輩出し、それがネットワークになっています。以前の放医研時代からスタッフを派遣していて、重粒子線治療の経験が既にあったのです。先代教授が当時の放医研から群馬大学に着任されて重粒子線治療プロジェクトが始動し、その強い情熱が結実しました」
治療装置の心臓部である加速器
提供:群馬大学広報部
■大野教授も2001 年から2007 年まで当時の放医研で重粒子治療の経験を積んでいた。ちょうどその頃、群馬大学で重粒子線治療のプロジェクトが決まり、大野氏は治療開始の3 年前に群馬大学に戻り、重粒子治療の立ち上げに参加した。日本国内でHIMAC に次いで2 番目にできたのは、兵庫県立粒子線医療センター(2001 年)だったが、3 番目の群馬大学は、HIMAC の3 分の1に大きさとコストを下げた初の普及小型実証機を設置するという画期的なプロジェクトであった。
2005 年に設計され、2010 年に治療を開始した群馬大学の装置は、約20 年の使用期間が経過すると、大幅なリニューアルも必要になる。現在は、大きさ65m x 45m x 20m のセンター建屋内部にある直径20mのシンクロトロンで炭素イオンが光速の70%まで加速される。治療室は3 つあり、水平ビーム、垂直ビーム、垂直と水平ビームがそれぞれ照射可能である。なるべく正確に当てるために患者の身体の向きを少し変えるといった工夫をしているが、近年は、回転ガントリーのように、患者は平らに寝たままで、機械のほうが動くような技術も開発されている。
「方向性としては、装置を小型化して低コスト化していくというのが一つですよね。もう一つは、今よりも精度を上げて効果と安全性をさらに高めたり、もっと業務を効率化できるような技術の導入ですね。呼吸に同期させる照射技術は群馬では当初から取り入れています」
放射線治療に欠かせない医学物理士の役割
■「医学物理士」というまだまだ聞き慣れない職種。日本医学物理学会によると、治療分野では以下のような業務を担当することになっている。
- ・治療計画における照射線量分布の最適化および評価
- ・治療装置・関連機器の受け入れ実験、コミッショニング[2] … Continue readingの計画、実施、評価
- ・治療装置・関連機器の品質管理・保証の計画、実施、評価
- ・治療精度の検証、評価
- ・放射線治療の発展に貢献する研究開発
- ・医学物理学に関する教育
- ・患者への放射線治療に関する医学物理的質問に対する説明
群馬大学重粒子線医学研究センターの田代睦准教授は、群馬大学の重粒子線治療施設の立上げメンバーの一人であり、医学物理士として、治療現場を支えている。
「基本的に治療の方針を決めるのは医師です。その治療を実現するために、実際の計画の上で必要に応じて助言するわけです」と田代准教授は語った。
■国家資格ではなく、日本には現在1,200 人ぐらいの医学物理士がいる。バックグラウンドは医学部ではなく、理工系学部出身者のほか、診療放射線技師も試験を受けられる。
田代准教授は、元は放医研で行われていた群馬大学の重粒子線治療施設の設置検討会に参加していた。2006年に放医研から群馬大学に移り、建物の建設を含めた実際のプロジェクト全体に参画することになった。
医学物理士の資格を取ったのは群馬に来てからだ。
以前は、医学物理士という資格がなかった。2000 年前後にX 線治療において計画した線量よりも実際は高い線量を当ててしまう事故が何件か発生してしまった。装置の特性や医学物理的な理解に基づき精度管理を行う人材が必要ということになり、医学物理士という資格が作られた。
群馬大学では大学院の修士課程が、医学物理士認定機構の認定教育コースになっており、理工系で医学物理士の道を志す学生が徐々に増えている。
「物理や工学を専攻する学生さんに、医療分野に貢献できる職があるのだということをお伝えしたいです。ひと口に医学物理と言っても、扱っている分野はすごく広いのです。物理的なところもありますし、画像的なところも、情報系の部分もあります。その中で自分が得意なところを追究していけば、結構、医療にダイレクトに貢献できるのを感じることができます。そういった面でのやりがいを感じることができると思います」と田代准教授は語った。
先進医療と保険適用の費用負担
■手術や他の放射線治療と較べても多くのメリットがある重粒子線治療だが、今のところ保険適用になる疾患が限られている。2016 年4 月から、切除非適応の骨軟部腫瘍(骨や筋肉、血管、皮下組織などの軟部に発生する腫瘍)が保険適用になり、さらに2018 年4 月から、前立腺がんと頭頸部がん(口腔、咽喉頭の扁平上皮がんを除く)が保険適用になった。その他、肺がん、食道がん、肝臓がん、膵臓がん、再発直腸がん、子宮頸がんなどについては、引き続き先進医療として治療が行われ、重粒子線治療の費用314 万円は全額自己負担である。患者にとって、300 万円を超える金額の自己負担はなかなか厳しい。経済的な理由で受けられないということもあるだろう。どうすれば、もっと保険適用が進んで行くのか?
「がんの種類ごとに、それぞれ現時点での標準的な治療法がガイドラインとしてまとめられています。そうした既存治療に対して、重粒子線治療はどういうメリットがあるのか科学的にデータで示していく作業が必要です。先進医療では、国内で統一された治療方針に基づき治療を行い、その国内全施設のデータを登録するとともに、重点的な疾患を選んで臨床試験も実施しています。こうしたデータを活用して、今後の保険適用拡大に結びつくように取り組んでいきます」と大野教授は説明する。
重粒子線治療が適する他のがんについて、保険適用の拡大が期待されるところである。
群馬大学重粒子線医学センターの最近の実績
■群馬大学重粒子線医学センターの公式サイトによると、同センターは、2010 年3 月の治療開始から2019年12 月末までに3,821 名の患者の重粒子線治療を行ってきた。 2017 年に366 人、2018 年は574 人だった重粒子線治療患者数が、2019 年は650 人に上る。今のところ、泌尿器のがん(前立腺がん)が約6 割を占めており、肝臓がん、膵臓がん、骨軟部腫瘍が続く。
「明らかに増えています。一つは、前立腺がんが保険適用になったとことが影響しているでしょう。ただ、前立腺以外も増えているんですよ。実際に治療した患者さんの結果を見て、また紹介しようという医療機関も増えていますし、患者さんも情報を得て受けたいと希望する方が増えています。紹介してくださるかかりつけの先生に重粒子線治療の具体的で正確な情報を提供することが大切です」と大野教授は言う。
地域別には、群馬県内からの患者が約半数で最も多いが、隣県を中心に広い範囲からの紹介が徐々に増えており、少数ながら海外から治療に来る患者もいる。
重粒子線がん治療は、元々、中曽根康弘元総理時代に打ち出された「対がん10 カ年総合戦略」の目玉であった。当時の放医研に重粒子線治療装置が作られ、さらに時を経て中曽根氏の地元の群馬に戻って花開いたとも言える。まさに、「原子力」の生みの親でもある中曽根氏が信条としていた科学技術立国であり、医療現場での放射線の平和利用である。国内では、新たに山形大学医学部附属病院が重粒子線治療施設を準備中である。
アジア地域では、韓国の延世大学、台湾の台北栄民総医院にそれぞれ日本製の重粒子線治療装置が建設中だ。米国では、1970 年代に重粒子線治療の研究を開始しながら90 年代に装置の老朽化などで研究が打ち切られていた。しかし、2019 年11 月に、メイヨー・クリニックが、北米初となる重粒子線治療システムの納入に関して日本メーカーと基本合意書を締結した。
今後も国内外の重粒子線治療の動向が注目される。
提供:群馬大学広報部
この写真。
治療計画を作るためにCT を撮影する室内に描かれた絵です。
一見、おしゃれな雑貨屋さんやカフェの壁にも描かれていそうですよね。
部屋の壁は漆喰造りで、職人さんが手書きで描いたそうです。
日本漆喰協会の作品賞も受賞したとのこと。
一昔前の「病院」というと、これまで透明で無機質なイメージが強かったのですが、今では患者さんの気持ちを少しでも和らげるため、どの病院も色々な工夫をされているそうです。
また病院の廊下の壁には、群馬大学卒業生の星野富弘さんが描かれた詩や絵が描かれてありました。ご存知の方も多いと思いますが、星野さんは中学教師時代、クラブ活動の指導中の事故で、半身不随となられました。そのような境遇に置かれても、口に筆をくわえながら、心に響く詩画やエッセイの数々を世に送り出しています。
廊下だけでなく、カフェの中にもギャラリーが設けられ、星野さんの素敵な作品の数々が飾られていました。多くの患者さんは、星野さんの作品に触れることで、心癒されるとともにたくさんの勇気をもらうことでしょう。
やさしいタッチの絵や言葉に、かくいう私も日頃の「毒」が抜かれ、心癒されて帰ってまいりました…。
この名刺の題字「群馬大学」は、星野さんによるデザイン。
原子力産業新聞編集部