原子力産業新聞
データマイニングの世界

シカゴの奇跡 〜データが水を救う〜

text:石井敬之

米イリノイ州の大都市シカゴは、米国中西部の交通・産業の一大拠点であり、数多くの文化的魅力を有する都市である。「シカゴ・ファイア」「シカゴP.D.」「シカゴ・メッド」からなる人気ドラマシリーズは日本でも親しまれており、彼らの仕事ぶりや人間模様を通じて、シカゴという都市の多面性を垣間見ることができる。このシリーズのファンには、登場人物に感情移入しすぎて、その死別や悲劇に何度も涙したという人も少なくないだろう。実は私もウォッチャーのはしくれであり、感情移入していた人物があっさり死んでしまい、しばしば枕を濡らした経験がある。

だが、この世界有数の巨大都市シカゴが、2013年頃に深刻な社会問題に直面していたことは、意外と知られていないかもしれない。それは「飲料水の鉛汚染リスク」という、先進国にあるまじき大問題であった。インターネットで“chicago lead water”と検索すれば、当時のニュースや行政の発表が数多くヒットする[1]。近代的なビル群が立ち並び、ドラマでも描かれるように消防・警察・医療といった公共サービスが充実しているイメージが強いシカゴであるが、水道インフラの老朽化という現実的な課題は、大都市で見過ごされがちな「影」を象徴していた。

シカゴには古い建築物が数多く残っている。歴史ある文化施設や住宅、さらには多世代にわたって住み続けられてきた住居が市中に点在しているのは、この都市の多様性と奥深さを物語っている。しかし、古い建築物の多くには鉛製の配管が用いられていた時代があり、そのまま交換されずに残存しているケースも少なくない。結果として、水道水を通じて微量の鉛が溶出し、住民の健康被害、特に子どもへの悪影響が懸念されるようになったのである。

本来であれば、安全かつクリーンな飲料水を提供すべき水道システムが、逆に市民の健康を脅かす存在になりうる――。これは一歩間違えば行政への信頼を根底から揺るがしかねない重大な危機である。シカゴ市当局は当然ながら早急な対処を迫られたが、広大な市域と膨大な建物数を前に、「どこから手を付けるべきか」「どうやって効率的にリスク調査を行うか」という難題に直面した。東京23区ほどの広さを誇り、大阪都市圏に匹敵する人口規模を抱える地域に対して、個々の住宅を片っ端から訪問して検査することは、莫大なコストと時間を要する。そこでシカゴ市が注目したのが、データマイニングや機械学習といったIT技術であった。市内の大学やIT企業、NPOなどが持つ専門知識を結集し、ビッグデータを活用することで“問題の可視化”と“効率的な検査”を進める取り組みがスタートしたのである。

鉛汚染問題の背景と社会的インパクト

鉛汚染は、人体に有害な重金属汚染の一種である。長期的に摂取すると特に乳幼児や子どもに深刻な影響を及ぼす可能性が高いとされており、脳や神経の発達に障害が生じるリスクが指摘されている[2][3]。また、成人であっても、慢性的に高濃度の鉛にさらされると、高血圧や腎機能障害、神経障害などの健康被害が生じる可能性がある[4]

米国では古くから鉛管が水道配管として普及してきた経緯があり、多くの都市が同様の問題を抱えているといわれている。特に、19世紀から20世紀初頭にかけて急速に都市化が進んだシカゴのような大都市では、多数の建築物と配管が古いまま残存している。その中には錆びや腐食によって鉛が溶出してしまう経路が形成されているケースがあるのだ。住居だけでなく、学校や病院、公共施設などのライフラインにも鉛製配管が含まれている可能性が否定できず、当事者意識の希薄なまま長年放置されてきたことが問題を深刻化させていた。

シカゴは五大湖の一つであるミシガン湖に面しており、豊富な水資源に恵まれていることもあって水道事業の歴史は長い。だが、インフラの老朽化が進んだ結果、部分的な修繕では追いつかない状況に陥り、水道管の総取り替えや綿密な調査が必要とされる段階に来ていた。鉛濃度が高ければ健康被害を引き起こす懸念があるため、行政としてはできるだけ早く問題箇所を特定し、対策を打たなければならない。しかし、膨大な範囲にわたる検査を実施するには資金も人手も限界がある。こうした制約条件下で、「最小のコストで最大のリスクを排除する」ことが大きなテーマになったのである。

さらに、鉛汚染問題は健康リスクにとどまらず、都市のブランドイメージにも影響を及ぼしうる。観光業や企業誘致に力を入れる自治体としては、「安全な水を提供できない」と疑問視される事態は何としても避けたいところであった。水質に不信感を抱く住民が増えれば、市全体のガバナンスにも悪影響が及ぶ恐れがある。都市の活力や経済に密接に関わる問題だからこそ、迅速かつ確実な対策が求められていたのである。

ビッグデータの統合:見えてきた鉛汚染の“地図”

シカゴ市が最初に取り組んだのは、従来バラバラに管理されていたデータを徹底的に収集・整理し、統合することであった。水道管の交換履歴や建築年、メンテナンスの実施記録などは、複数の部署や民間業者に断片的に散在しており、中には未だに紙ベースで保管されているものもあった。それぞれ単独では活用しにくいが、横断的に結合すれば鉛汚染リスクを高精度に推定できる「材料」へと生まれ変わる可能性がある。

具体的には、以下のようなさまざまなデータが収集・統合された。

1. 建築物の竣工年や改築年
古い建物ほど鉛製配管が残っている可能性が高い。
2. 給水管の種類や交換履歴
水道局や民間の施工業者の記録から、どの建物がいつどのような修繕を行ったか。
3. 鉛濃度の検出履歴
ランダム検査や住民からの通報、さらには企業や研究機関の独自調査などの結果を集約した。データが年月日ごとに記録されている場合は、季節や気温、降水量などの要素とも突き合わせて分析できる。
4. 住民の健康データ
病院の外来データや小児科の統計、定期検診の結果などから、鉛中毒を疑われる症例数や症状の分布を地域ごとに把握した。プライバシー保護に留意しつつも、匿名化や集計レベルでの情報提供が進められた。
5. 地理情報システム(GIS)の活用
建物や配管の位置情報をマッピングし、地域全体の分布を視覚化する。シカゴ市の各区画ごとに鉛リスクを色分け表示することで、行政担当者が直感的に「どの地域に優先的にリソースを投下すべきか」を把握できるようになった。

これらのデータは、市が新たに構築した一元管理のプラットフォームに集約された。従来のように各部局が縦割りで管理するのではなく、ITを活用して横断的に連携させることで、初めて「シカゴ市全域の鉛汚染リスクマップ」が作成されたのである。地図上に色分けされたリスクレベルは、都市全体のインフラ状況を“見える化”し、従来は把握困難だった詳細な汚染源の把握にも大きく寄与したのである。

機械学習モデルの開発:的確なリスク予測

データの統合が完了しただけでは、不足している部分がある。それは「どこを優先的に検査すべきか」を予測し、限られたリソースを最大限に活用する具体的な仕組みである。ここで活躍したのが、市内の大学やIT企業、データサイエンティストのNPOなどが協力して行ったハッカソン(Hackathon=プログラムの改良を意味するハック[hack]とマラソン[marathon]を組み合わせた造語)であった[5]

ハッカソンでは、プログラマーやデータアナリストがチームを組み、短期間で試行錯誤を繰り返しながら新たなシステムやモデルを開発する。普段は接点の少ない官・学・民のセクターが一堂に会し、オープンデータやAPI(ソフトウェアやプログラム、Webサービスの間をつなぐインターフェース)を活用して「都市問題を解決するためのツール」を競い合うのだ。この取り組みが、イノベーションを生むうえで重要な契機になったといわれている。

具体的には、機械学習モデルの開発に以下のようなステップが踏まれた。

• 特徴量エンジニアリング
鉛汚染リスクを左右する要素として、配管素材、建築年、改築・修繕歴、土壌特性、人口動態(子どもが多い地域か、所得水準や世帯構成はどうか)などが洗い出された。これらをモデルに組み込むために、統一的な形式に変換し、数値化やカテゴリ化を行う作業が実施された。
• アルゴリズムの選定
予測タスクを「鉛濃度を具体的に数値予測する」のか、「高リスク・中リスク・低リスクといった分類を行う」のかによって、最適な手法は異なる。ランダムフォレストや勾配ブースティング、回帰分析など複数の方法が検討され、過去データとの照合精度が最も高い手法が採用された。
• モデルの学習と評価
過去の鉛検出データや健康被害の記録をもとにAI(人工知能)にパターンを学習させた。その後、市内の一部地域をテストケースとして検証し、高リスク地区をどの程度正確に判別できるかを測定した。従来の無作為抽出による検査と比べて、予測モデルを用いた検査対象の選定は、約80%以上の確率で危険エリアを特定できることが明らかになったという。

このようにして、シカゴ市は鉛汚染リスクの高い地域をピンポイントで抽出し、優先的に検査・交換作業を進める道筋を手に入れたのである。まさに「データドリブン」の社会問題解決手法が確立された瞬間であった。膨大な都市規模にもかかわらず、限られた予算と人員を的確に振り分けることで、鉛汚染を効果的に管理できる仕組みを作り上げたのである。

成果と波及効果:社会問題解決の新たなモデル

このデータマイニングプロジェクトがもたらした成果と波及効果は、想像以上に大きかった。シカゴ市だけでなく、全米の他の自治体や国際社会にも影響を与え、いくつかの具体的な利点や変化が報告されている。

1. コストと時間の大幅削減
無作為抽出ではなく、データに基づき高リスク地域を優先して検査を行うことで、検査数そのものと人員の手配を最適化できるようになった。結果として、同額の予算でカバーできる地域や建物の数が増え、都市全体の鉛汚染対策が加速した。
2. 住民の安心感の向上
鉛汚染リスクの地図や検査結果がオープンデータとして公開されることで、「自分の住む地域がどれほど危険なのか」「行政は具体的にどのような措置を取っているのか」が明確になった[6]ことで、住民は過度に不安になる必要がなくなった。行政がリスクマップや検査結果をオープンデータとして公開し、住民が検査をリクエストできる仕組みも整備された。これにより、市民と行政の相互信頼関係が強化され、「行政が何をしているのか分からない」という不満が解消された。
3. データ活用の市政全般への展開

水道インフラ以外にも、老朽化が進む道路や橋梁などのメンテナンスや、教育・医療・防災といった幅広い分野で「データに基づく政策立案」の有用性が認識されるようになった。シカゴ市はオープンデータポータルを整備し、市民や企業、研究者が自由に利用できるデータを増やす方針を掲げた。これにより、官民協働で新たなサービスが開発される機運も高まったのである。

4. 官民協働のイノベーション
この取り組みを通じて、市政府、大学、IT企業、NPO、さらにはボランティアの市民が「都市課題解決」を共通目標として結束した。ハッカソンやワークショップの開催によって、データサイエンスに関心を持つ人材のコミュニティも拡大し、結果的にIT人材の育成にもつながった。今後の社会インフラや環境問題においても、こうした「官民がフラットに連携する枠組み」が有効なアプローチとして注目を集めている。
5. 他都市への波及とグローバルな注目
シカゴの成功モデルは他の米国内の都市にも波及し、例えばピッツバーグやデトロイトなど、同様に老朽インフラを抱える都市がシカゴを参考事例としてプロジェクトを開始した。また、国際的にも、ビッグデータを活用したインフラ整備や環境リスク管理は持続可能な都市計画の重要テーマとして扱われつつある。シカゴの手法が世界各地の都市問題解決に応用される可能性があると期待されている。

まとめ

2013年当時、シカゴ市を脅かした鉛汚染問題は、市民の健康と都市ブランドに大きな影響を与えかねない深刻な社会課題であった。しかし、同市はビッグデータの統合とデータマイニング技術の導入によって、リスクを可視化し、優先度の高い地域から検査と配管交換を行うという戦略的な対策を実現させた。これにより、人的・財政的リソースを最適に配分できる仕組みが確立され、被害を最小限にとどめたのである。まさに「データが水を救う奇跡」ともいえる成果が生まれたわけだ。

さらに、この成功事例は単に鉛汚染問題を解決しただけにとどまらず、都市のさまざまな問題に対して「データドリブン」で臨むことの有効性を証明する格好のモデルケースとなった。今後、インフラ老朽化や環境リスク、さらには福祉や教育といった社会課題に取り組む際にも、シカゴの事例が一つの指針として参照されることが期待されている。

データマイニングや機械学習といった先端技術は、都市が直面する複雑かつ大規模な問題に対して、きわめて強力な“武器”となる可能性を秘めている。シカゴの経験が教えてくれるのは、「テクノロジーそのものを導入すれば自動的に問題が解決する」という単純な話ではない。むしろ、行政、学術機関、企業、地域住民といった多様なステークホルダーが知恵とデータを持ち寄り、課題解決を共通の目標として連携することで、初めて技術が最大の効果を発揮するという点である。

いわば、シカゴは「官民協働のプロセス」と「データ活用の手法」をセットで構築したからこそ、スピーディーかつ効率的な社会問題解決を実現できたのだ。こうした成功のエッセンスは、国や地域が異なっても十分に応用できる汎用性を持っている。

人が集まるところには必ず問題が発生する。大都市になればその問題はより深刻で複雑化するが、同時にテクノロジーと多様な人材が集積するという利点も大きい。シカゴが見せた「データが水を救う奇跡」は、こうした時代の潮流を象徴するものといえる。今後、世界各地の都市がシカゴの事例に学び、それぞれの地域特性に合わせた革新的なソリューションを生み出すことが期待される。今やデータは、一部の専門家だけが扱う特別な存在ではない。都市と住民を結ぶインフラとして欠かせない資産であり、適切に分析・活用されれば、健康や安全、さらに豊かな生活の実現に大きく寄与するのである。

脚注

  1. Chicago Department of Water Management, “Lead in Drinking Water,” City of Chicago Official Website, 2013.[]
  2. U.S. Environmental Protection Agency (EPA), “Basic Information about Lead in Drinking Water,” 2014.[]
  3. World Health Organization (WHO), “Lead Poisoning and Health,” Fact Sheet, 2010.[]
  4. Centers for Disease Control and Prevention (CDC), “Lead in Drinking Water,” 2015.[]
  5. Hackathon Chicago, “Report on Lead Pipe Data Mining Challenge,” 2014.[]
  6. City of Chicago Open Data Portal, “Water Management Data Sets,” 2013–2014.[]

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