日本科学未来館コミュニケーターが震災伝承施設の訪問記
25 Aug 2023
関東大震災から間もなく100年。「もしも明日大きな地震が発生したら、どんなことが起きて、私たちはどう行動すればいいのだろう」、日本科学未来館科学コミュニケーターの青木皓子さんは、ブログ(前編、後編)を通じ問いかけている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災を例に、青木さんは、「普段の生活では意識することが難しい過去の災害を振り返り、未来を考える」ための震災伝承施設として、「いわき震災伝承みらい館」(いわき市)、「東京電力廃炉資料館」(富岡町)、「とみおかアーカイブ・ミュージアム」(富岡町)、「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)、「震災遺構 浪江町請戸小学校」(浪江町)、「原子力災害考証館 furusato」(いわき市)を訪れた。実際に行ってみることで、「震災がもたらした被害とそこから得られる教訓を学ぶだけでなく、被害の様相や伝承すべきことが、地域や人によって実に多様であるという気付きがあった」という。
2日間の福島県への旅で、青木さんが最初に訪れたのは「いわき震災伝承みらい館」。いわき市は、東日本大震災(本震発生)から丁度1月後の4月11日、再び震度6弱の「福島県浜通り大地震」に見舞われた。同館では、地盤がずれ落ち出現した大きな地層の剥ぎ取り標本などを展示。「災害は誰にでも起こり得るもの。展示を見て、いい意味で『怖い思い』をしてもらうことで、家族と話をしてもらうきっかけとなれば」と、箱崎智之副館長の言葉だ。青木さんは、「本震の後の混乱が続く中で発生した地震が、震災後の復旧活動に与える影響はとても大きかったと感じ、いわき市の被災体験を知ることが自分にとって一つの教訓となった」と、また、津波被害に見舞われた中学校の黒板の卒業式寄書きなど、発災当時の実物展示を見て「当たり前にそこにあった日常を感じる」と、語っている。
続いて訪れたのは「東京電力廃炉資料館」。福島第一原子力発電所事故からおよそ7年半後の2018年11月にオープンした同施設は、福島第二原子力発電所のPR施設だった「エネルギー館」の建物および既存の展示機材を流用し、映像やジオラマを通じて、事故の反省と教訓を伝承するとともに、廃炉の取組全容と進捗状況をわかりやすく説明している。見学は案内ガイド付きのツアー形式が原則だ。事故当時の状況について解説を受けた青木さんは、「事実を科学的にとらえ、分析した結果を伝えていくことの重要性を感じる」と、話している。
また、同じ富岡町にある「とみおかアーカイブ・ミュージアム」では、住民の避難誘導に当たっていた最中に津波に巻き込まれたパトカーなど、実際に被災した現物資料が数多く展示されており、「思わず言葉を失ってしまう瞬間もあった」という。「複合災害を地域の歴史に位置づける。」を目標とする同館では、避難生活の長期化に係る資料も多数。「震災遺産」とされる展示を見て、青木さんは、「町の歴史・文化の一部として東日本大震災が語られている」などと、来館の感想を述べている。
2日目は、まず「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪問。同館の位置する双葉町は、2020年3月に大熊町、富岡町とともに、帰還困難区域では初となる避難指示の一部解除がなされ、これに伴いJR常磐線が全線復旧。その半年後にオープンした同館は、原子力災害に焦点を当てており、展示エリアに常駐するアテンダントスタッフとの対話も通じ、福島第一原子力発電所事故について理解を深められる点が特徴だ。様々な場所で震災を経験した「語り部」による講話も行われており、青木さんは、「経験を共有することで、自分の中に新たなとらえ方が生まれる感覚とその重要性を感じた」と話している。
続いて訪れた「震災遺構 浪江町請戸小学校」は、津波の脅威を真正面から扱うことで防災意識の向上を促す。壁や床の崩れ落ちた校舎内を目の当たりに、青木さんは、「より現実のものとして、自分に訴えかけてくる感覚を得た」と話している。温泉旅館の一室を用いた民間施設「原子力災害考証館 furusato」は、個人の経験に着目。行方不明者の捜索を避難指示により断念せざるを得なかった被災者による展示品などを見て、「震災や原発事故で生活が変わった人はたくさんいるが、公的資料館では、一人一人の物語をすべて扱うことはできない」と、社会教育施設に係る課題を投げかけている。
青木さんは、一連の震災伝承施設の訪問を通じ、「自分の防災意識を見直すことにつながり、未来を考える時間となるのでは」と述べている。
日本科学未来館の科学コミュニケーターは、科学技術に関心を持つ一般の人から募る任期制職員で、展示フロアでの対話・実演、イベントの企画・制作、ブログを通じた科学情報の発信などを行う。