脱原子力政策成立の背景:理念が先行
ベルギーの脱原子力政策は1999年、当時のG.フェルホフスタット連立政権で初めて政権入りした複数の緑の党(フラマン語系「フルン」およびフランス語系「エコロ」)によって推進された。両党は従来の経済成長路線に異議を唱える市民運動から生まれた政党であり、「持続可能な社会」を掲げつつ、反成長・反大量消費・反核兵器といった思想を根底に持っている。核兵器への恐怖や物質的繁栄への嫌悪感が、原子力エネルギーへの反対へと向かい、原子力ゼロを目指す政策が理念として打ち出されたのである。
その結果、2003年にベルギー議会で「原子力廃止法(脱原子力法)」が成立した。この法律は新規原子力発電所の建設を禁止し、既存炉の運転期間を40年に制限することで、段階的に閉鎖(フェーズアウト)することを定めたものだ。当初の想定では、1970年代に運転開始した古い原子炉から順に閉鎖し、最終的に2025年には全プラントを閉鎖する計画だった。当時は再生可能エネルギーへの期待感も高まっており、「原子力をフェーズアウトしても風力・太陽光発電などで代替が可能」という楽観的な見通しが、政治的に共有されていた。しかし、この政策決定には早くから疑問の声も上がっていた。例えば2003年法成立当時の試算では、全原子力プラントの閉鎖は電力料金の高騰を招き、温室効果ガス排出削減の「安価な手段」を自ら放棄してしまう上、国外からの電力輸入依存を深める恐れがあると指摘されていた。つまり理念先行の脱原子力には、経済・環境・エネルギー自給の観点からリスクが伴うことが、とうに示唆されていたのである。

チアンジュ原子力発電所
再生可能エネルギーの実態:原子力代替の困難
脱原子力を掲げたベルギーは、再生可能エネルギーの促進にも力を入れてきた。特に北海沿岸での洋上風力発電の開発や、太陽光発電の普及促進などにより、再エネ比率は徐々に上昇した。しかしその実態を冷静に眺めると、現在ベルギーの電力供給に占める再生可能エネルギー(風力・太陽光等)の割合は、電力量ベースで見ると、ようやく3割台に達した程度に過ぎず、依然として原子力が42.2%(2024年実績)の最大シェアを占めている。もちろんご承知の通り再エネは、天候や昼夜に発電量が左右される不安定な電源であり、バックアップとして火力発電や他国からの電力輸入に頼らざるをえない現実がある。したがって火力発電のシェアは25%(同)となっている。
ベルギー政府自身、脱原子力達成後の穴埋め策として新規ガス火力発電所の建設計画を打ち出していた。2018年には脱原子力を改めて確認する一方、安定供給維持のため「2025年までに少なくとも360万kW分のガス火力新増設が必要」と試算されており、実際にエンジー社は最大4基のガス火力発電所建設に着手することを表明していた。これは裏を返せば、再エネの伸びだけでは原子力発電所の閉鎖分を到底まかなえず、大量の化石燃料に頼らざるをえないことを意味する。環境志向の政策が生み出した脱原子力の代替策が、温室効果ガスを排出する火力発電の新設というのは皮肉な構図である。
さらに、欧州全体のエネルギー危機もベルギーの再エネ依存路線に暗い影を落とした。2022年に勃発したロシアによるウクライナ侵攻に端を発するロシア産天然ガスの供給不安と価格高騰は、ガス火力依存のリスクを浮き彫りにした。また国内で再エネが不振な時期にはフランスや隣国からの電力輸入に頼る必要があるが、頼みのフランスが、原子力プラントの配管における応力腐食割れ事象や猛暑の影響(河川の水位低下による取水困難/河川の水温上昇に伴う出力低下等)で発電量が低迷。EU域内の電力市場は逼迫し、電力価格は高騰した。このように「再エネ+ガス火力」依存モデルの脆弱性が露呈したことで、ベルギーでも原子力の役割が再評価され始めたのである。

ドール原子力発電所
原子力発電の経済性と環境効果:脱原子力の代償
原子力発電所は一旦建設してしまえば燃料費が安価で、安定したベースロード電源として機能する。その経済性はベルギーでも顕著であり、原子力発電は長年にわたり低コストで価格変動の少ない電源だった。そして前述の通り、脱原子力を急げば電力価格が高騰するとの予測もあった。実際、2021年以降のエネルギー危機でガス価格が高騰すると、総発電電力量に占める原子力シェアの高いフランスや一部の東欧諸国に比べ、ガス火力への依存比率が相対的に高いドイツやベルギーなどでは、電力価格の上昇が大きかったことが報告されている。ドイツのみならずベルギーでも、家庭・企業の電気料金負担が大きな社会問題となった。
環境面でも、数字が原子力の重要性を物語っている。国際エネルギー機関(IEA)は2022年4月に公表したベルギーのエネルギー政策に関する報告書(Belgium 2022)の中で、「ベルギーがこのまま大半の原子力発電所を閉鎖するならば “温室効果ガス排出量の増加” と “電力供給における安全保障面での課題” を招く」、と強い警鐘を鳴らしていた。
この警告は現実のものとなる。ベルギー政府は2022年9月にドール3号機(PWR、105.6万kWe)を、2023年1月にチアンジュ2号機(PWR、105.5万kWe)を閉鎖し、合計200万kW規模のクリーン電源を失った。その直後からベルギーの電力部門CO2排出量は前年同期比で13%増加した。脱原子力を急いだ結果、皮肉にも気候変動対策が後退してしまったのである。また、原子炉停止による電力不足を補うため、2016年に全廃を達成した石炭火力発電所の再稼働の可能性も指摘されており、仮にそうなればCO2排出量増は一層深刻となる。こうしたデータは、安定した無炭素電源である原子力を軽視したケースの代償を如実に示している。

エネルギー安全保障と自給への影響
原子力政策はエネルギー安全保障にも直結する。ベルギーは化石燃料を自国で産出しないため、エネルギー自給率向上が長年の課題であった。1950年代に旧ベルギー領コンゴで豊富なウラン資源が見つかったことや当時の欧州情勢の不安定さもあり、政府はエネルギー安全保障の柱として原子力の開発に乗り出した経緯がある。事実、原子力発電は少量の燃料を備蓄するだけで長期間稼働でき、地政学リスクの高い化石燃料とは異なる供給安定性をもたらす。脱原子力政策によってこの強みを手放せば、エネルギー安全保障上のリスクが高まることは論を俟たない。
ベルギーの系統運用者であるElia社は2023年、原子力発電所の運転期間延長がない場合「2025-2026年冬季に深刻な電力不足に陥る恐れがある」と政府に警告を発した。原子力発電所を計画通りに2025年で廃止すれば、一年で最も電力需要の高まる冬場のブラックアウトすら現実味を帯びると予想されたのである。この警告を受け、エネルギー安定供給に不安を覚えた超党派の議員たち※は2024年、「プランB」と称して原子力発電所の運転期間延長を主張し始めた。折しもロシア・ウクライナ戦争の激化で欧州全体がエネルギー安全保障上の大きな課題に直面しており、地政学リスクへの対応策としても原子力発電の活用は避けて通れなくなったのである。
ベルギーのA.デクロー前首相も、2022年3月に脱原子力政策の見直しを表明した際、「混迷する地政学環境の中で化石燃料依存から自国を守るため」に2基の原子炉を2035年まで運転させる必要があると述べていた。原子力は単に環境問題の文脈だけでなく、非常時における電力供給維持やエネルギー自立の確保といった安全保障の観点からも、戦略的価値を持つことが再認識されたと言えるだろう。
※2024年の連邦選挙後に結成された「アリゾナ連立」と呼ばれる政権が中心的な役割を果たした。この連立には、中道右派の「新フラームス同盟(N-VA)」、中道の「改革運動(MR)」、中道右派の「キリスト教民主フラームス(CD&V)」、中道左派の「前進(Vooruit)、中道の「レザンガジェ(Les Engagés)」から構成される。
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