原子力産業新聞

ウクライナ危機 長期化が迫る日本の覚悟

09 Jun 2022

“We want to see Russia weakened to the degree that it can’t do the kinds of things that it has done in invading Ukraine.”

(侵略したウクライナにおいてロシアが行ってきたようなことが出来ない程度まで、我々はロシアが弱体化することを望む)

米国のロイド・オースティン国防長官は、4月25日、前日に行われたウクライナの首都キーウ訪問に関し、アンソニー・ブリンケン国務長官と共にポーランドで会見を行った。その際、ロシアの「弱体化」について言及したのである、日本ではあまり報じられていなかったものの、米欧のメディアはこの発言を大きく取り上げた。ウクライナへ侵略したロシアの暴挙は許しがたいとしても、米国の国防の責任者が直接的に敵対していない国の弱体化に言及するのは異例と言えよう。

この日、ホワイトハウスでの会見で質問を受けたジェン・サキ大統領報道官(当時)は、“So what Secretary Austin was talking about is our objective to prevent that from happening(オースティン長官が語ったのは、<ロシアによる侵略を>防ぐと言う米国の目標だ)”と説明した。しかしながら、確信犯か失言だったかは別として、同長官は米国の本音を吐露したのではないか。

それには先例がある。2015年に出版されて話題になった“The Last Warrior(最後の参謀:邦題『帝国の参謀』日経BP社)”は、1973年に国防総省に入省し、2015年に退任するまで、42年間に亘って国防官僚を務めたアンドリュー・マーシャル氏の軌跡を描いたノンフィクションだ。同氏が仕えた大統領はリチャード・ニクソンからバラク・オバマまで8代に及び、退任時点で93歳になられていたと言う。

同書によれば、マーシャル氏が国防総省入りしたのは、ニクソン政権のジェームズ・シュレジンジャー国防長官に懇願され、新設された“Office of Net Assessment(ONA:総合評価室)”を率いるためだった。旧ソ連との冷戦に勝つための戦略として、マーシャル氏が考え出したのは軍拡競争だ。社会主義による効率の悪いソ連経済は、軍備増強の負担に耐え切れず、早晩、破綻せざるを得ないとの分析が背景だった。

歴史を振り返れば、マーシャル氏の戦略は極めて正しかったと言えるのではないか。ロナルド・レーガン大統領の下で進められた軍事力強化策は、米国経済に財政収支、経常収支の「双子の赤字」をもたらしたものの、米国は経済成長によりそれを乗り越えることができた。しかしながら、1979年12月に侵攻したアフガニスタンの泥沼化もあり、ソ連経済は急激に悪化、1991年12月25日、ミハイル・ゴルバチョフ大統領が超大国の終焉を宣言して呆気なく消え去ったのである。

鉄のカーテンの向こう側にあり、情報が厳しく統制されていたなかで、当時、ソ連の崩壊を予言できた人はどれくらいいたのだろうか。一方、インターネットの時代になり、ロシア経済については大雑把に状況を把握することは可能になった。そこで改めて冷静にデータを見ると、同国の経済基盤が脆弱であることは間違いない。

 

軍事大国を支えられないロシアの経済力

旧ソ連は、構成していた15の共和国に分裂したが、ロシアは多くの遺産を継承した。そのうち、最も重要なのは外交面における国連安保理常任理事国の地位であり、軍事的には核兵器と言えるだろう。

米国の軍事系シンクタンクであるArms Control Associationによれば、2021年11月の時点でロシアが保有する核弾頭は解体待ちを含めて6,267であり、5,550の米国を上回っている(図表1)。3番目の中国は350であり、米ロ両国でこの世に存在する核弾頭の90%を独占しているわけだ。世界を消滅させるのに十分な核兵器を保有するロシアは、旧ソ連に負けず劣らず軍事大国であるとの評価が一般的だろう。

しかしながら、その軍事力を支える経済力に大きな課題があることは、旧ソ連時代から変わっていないようだ。

2014年2月、クリミア半島で親ロシア派住民がウクライナからの独立を主張して武装し、ロシア軍が実質的にそれを支援した際、ウクライナ軍が苦しんだのは無人航空機、サイバー攻撃、電磁波などが複合的に組み合わされ、ウクライナの通信システムやGPS、軍事システムを無力化したロシアの戦術だった。

2016年4月5日、米国上院軍事委員会空陸小委員会において証言を行ったハーバート・マクマスター陸軍能力統合センター長は、このロシアによる新たな戦い方を連邦議会に報告している。マクマスター陸軍中将は、2017年2月から2018年3月まで、ドナルド・トランプ大統領の国家安全保障担当補佐官を務めた。さらに2017年5月25日、米陸軍指揮幕僚大学のアモス・コックス少将は、“Hybrid Warfare: the 21st Century Russian Way of Warfare(複合型戦闘:21世紀におけるロシアの戦闘方法)”との論文を発表、ロシアの新たな戦術を「ハイブリッド型戦闘」と名付けている。

ロシアが通常戦力にサイバー、電磁波などを関連させてハイブリッド型としたのは、同国の経済が依然として豊かとは言えず、ウクライナでロシア軍を苦しめている米国の歩兵携行型対戦車ミサイル『FGM-148 ジャベリン』のように優れた通常兵器を開発・製造する力がないことが背景だろう。限られた経済力を相対的に見れば安価な攻撃手段に集中投資することで、効率的に軍事力の維持・強化を図ろうとしたわけだ。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2020年のロシアの国防費は617億ドル、米国の7,782億ドルと比べ13分の1に過ぎない(図表2)。それでも、対GDP比率では4.3%に達し、米国の3.7%を上回った。改めて説明するまでもなく、それは米国の経済規模がロシアの13.9倍に達するからである(図表3)。

国連常任理事国5か国のなかで、ロシア経済は最も規模が小さい。それにも関わらず、世界有数の軍事大国として他国を恐れさせるためには、相当な無理を重ねなければならないだろう。ウラジミール・プーチン大統領は、通常戦力の技術革新を諦め、サイバー、電磁波、宇宙などを絡めたハイブリッド型戦闘に経済資源を集中、大量の核兵器と合わせて軍事大国の座を守ろうとしているように見える。

しかしながら、ハイブリッド型戦闘に関して、既に米国がロシアに追い付き、追い越した可能性は否定できない。それもあってか2014年2月のクリミアへの介入時に比べ、ロシア軍はウクライナの各戦線で非常に苦労しているようだ。首都キーウなどからは既に撤退し、東部及び南部の支配地域拡大に勢力を注いでいる。米国とその同盟国・友好国から手厚い支援を受けたウクライナ軍の抵抗に対し、ロシア軍はかなり苦戦しているのではないか。

米国が供与したジャベリンが猛威を振るっているとすれば、それはロシアの通常戦力が脆いことを示す証左と言えるかもしれない。2019年3月、97歳で亡くなったマーシャル氏の戦略を踏襲するのであれば、米国の狙いはロシアを長期戦に追い込むことだと考えられる。戦争は国家による究極の消費であり、その継続には莫大な費用が必要だ。経済基盤が脆弱なロシアは、時間の経過と共に疲弊し、戦力の補強が難しくなるだろう。

逆から考えた場合、この戦争にロシアが明確に勝利するのはもはや困難なのかもしれない。米国など西側諸国には、ロシアがその時点で用意できる以上の戦力を供与することで、常にウクライナ軍が劣勢にならないよう支援する経済力があるからだ。さらに、侵略側のロシア軍よりも、祖国防衛に燃えるウクライナ軍の方が士気は高いと見られる。西側諸国が懸念しているのは、この局面を打開するためプーチン大統領が戦術核兵器や化学兵器を使用する可能性だろう。

 

貿易立国の蹉跌(さてつ)

ウクライナに対する直接的な軍事支援に加え、西側諸国が急いでいるのはロシアからの石油、天然ガスの輸入削減だ。5月8日にリモートで行われたG7首脳会議において、石油の輸入停止が決まった。また、EUの最高意思決定機関であるEU理事会のシャルル・ミシェル議長は、日本経済新聞の電話インタビューに際し、ロシア産化石燃料への依存を終わらせると述べ、天然ガスについても段階的な輸入削減に乗り出す意向を示している。

一方、4月27日、ロシア国営企業のガスプロムは、ポーランド、ブルガリアへの天然ガス供給停止を発表した。さらに、5月12日付けフィナンシャル・タイムズ紙は、ガスプロムが、ポーランドを通り西欧へ向かう天然ガスパイプライン「ヤマル・ストリーム」による供給を停止したと報じている。これらのニュースを受け、欧州市場では天然ガス価格が急騰した。ロシアにとっては、軍事力を活用した威嚇を除いた場合、欧州に対する最大の制裁措置と言えるだろう。

ただし、これはロシア経済へのダメージも極めて大きいと想定される。ロシアは貿易黒字がGDPの8%に達しており、輸出の半分程度を燃料が占めている(図表4)。ちなみに、米国との貿易摩擦が最高潮に達していた1985年、日本の貿易黒字はGDPの4%だった。つまり、ロシアは究極の貿易立国なのだが、石油、天然ガスの最大の輸出先はEUだ。ウクライナへの侵攻で国際的に孤立するなか、ロシアが年間1,500億㎥の代替輸出先を探すのは困難だろう。

中国が欧州分を肩代わりするとの見方もあるが、それは中ロ双方にとって好ましくないシナリオではないか。ロシアは中国に安値で買い叩かれることを懸念しているだろう。だからこそ、非友好国に指定しながらも、日本政府及び日本企業がサハリン1、2に持つ権益について今のところ没収の気配はない。

一方、中国は石油、天然ガスの調達先について分散を心掛け、一極集中を避けてきた。仮にロシアからの輸入に偏れば、いずれそれが中国にとってロシアに対する弱みになる可能性がある。従って、ロシアが余らせた石油、天然ガスについて中国がその全てを引き受ける可能性は低いだろう。

ウクライナでの戦争が長期化し、戦費の急速な増大にも関わらず、天然資源の輸出が大きく減少すれば、ロシア経済は極めて厳しい状況に陥る。国際エネルギー機関(IEA)によれば、2021年、ロシア政府の歳入のうち45%が石油、天然ガスによるものだった。オースティン米国防長官が望んだように、ウクライナ戦争の長期化によって、ロシアは弱体化の道をたどるシナリオが十分にあり得る状況となっている。

 

日本に求められるエネルギー戦略再構築

ロシア経済が軍事力を支えられなくなり弱体化した場合、米国と覇権を争う中国には痛手だろう。戦後の歴史を振り返ると、旧ソ連、そしてロシアと中国が常に友好関係にあったわけではない。しかしながら、国連安全保障理事会常任理事国であるロシアは現在の中国にとって重要な友邦と言える。その友邦が隣国を侵略して自らを苦境に追い込んだ上、ウクライナ戦争を契機として西側諸国が米国を中心に結束を固めることが予見できたのであれば、冬季五輪開幕式出席のためプーチン大統領が北京を訪問した2月4日、習近平国家主席はウクライナへの軍事侵攻を諫めていたのではないか。

一方、ウクライナ戦争を契機として、米国は西側諸国の間でリーダーシップを取り戻しつつある。第2次大戦後、安全保障政策において中立を貫いてきたフィンランド、スウェーデンは、北大西洋条約機構(NATO)への加盟を相次いで表明した。

加えて、シェールガス・シェールオイルを急ピッチで増産することにより、米国はエネルギーの輸出を大幅に伸ばすことが可能だ。特に天然ガスに関しては、液化設備を整備し、欧州向けの供給拡大を目指すと見られる。さらに、ドイツ、日本などが国防予算を急ピッチで増やす意向であり、米国にとっては兵器の輸出にも拍車が掛かるだろう。

ジョー・バイデン政権によるウクライナへの支援額は、軍事関係だけで既に50億ドルに達した。今後、その額はさらに増えることが予想される。もっとも、それでロシアが弱体化するのであれば、米国にとっては十分に見合うコストではないか。ロシアは、国土防衛に燃えるウクライナ国民だけでなく、強大な経済力・技術力でウクライナを支援する米国を相手に戦っていると言えるかもしれない。プーチン大統領は、結果的に米国を利する極めて大きな失策を犯したと言えそうだ。

世界経済にとってウクライナ戦争の長期化は、インフレの要因だ。特に世界最大級の資源大国であるロシアの石油、天然ガス輸出が先細ることで、価格の高止まりは避けられないだろう。エネルギー自給率の極めて低い日本は、戦略を再構築する必要がある。原子力によってベースロード電源を供給し、再生エネルギー利用を最適化するための構造改革が重要だろう。また、ペルシャ湾岸の有力産油国・産ガス国との友好関係促進や、将来へ向け水素(アンモニア)[1]『日本におけるゼロエミッションの最適解』参照、大容量蓄電池の技術を磨かなければならない。

市川眞一  Shinichi Ichikawa

株式会社ストラテジック・アソシエイツ・ジャパン 代表取締役
1963年東京都出身 明治大学卒。投資信託会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年にクレディ・リヨネ証券にて調査部長兼ストラテジスト。2000年12月、クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券(現クレディ・スイス証券)にてチーフ・ストラテジスト、2010年よりクレディ・スイス証券チーフ・マーケット・ストラテジスト。この間、小泉純一郎内閣にて初代の構造改革特区評価委員、民主党政権下で規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者(仕分け人)など公職を多数歴任。テレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」への出演で、お茶の間でも有名。
2019年9月、個人事務所として株式会社ストラテジック・アソシエイツ・ジャパンを設立した。

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