[原子力産業新聞] 1999年12月16日 第2017号 <5面> |
書評「ドキュメント・東海村」國分郁男・吉川秀夫編著「TOKAIMURA JAPAN」の宛名で国際便が届いたという、日本の原子力の草創の村で16年にわたって村長さんを勤めた須藤富雄さんの物語である。もし、あのJCOの臨界事故が起こらなければ、この物語は、須藤さんへの頒歌に終わっていたかもしれない。後継者である村上現村長はこの事故で「自負と誇り」が地に落ちた、村民は浮遊しはじめているとまで言っている。 須藤さんご自身は、この事故の後、「2年半前の火災・爆発事故でも住民の(安全)には全く影響がなかったが、しかし、あの後誰もが濱在的には恐ろしいものだと考えるようになった。だが今回の事故が明るみに出るにつれて、(臨界を起こすという常識以前の問題で)いくら東海村の村民だって、今までの信頼が『裏切られた』と思うのは当然だ」と語っておられる。 その意味は、この本の第1部「青い光を見たが」、第2部「再処理工場の火は消えたか」を読むとよくわかる。この優れた記録は是非、「再処理工場の火災」の方から読んで欲しい。確かな目と、柔らかい心を持った記述は、事柄の成り行きと意味をよく明らかにしてくれる。 また、東海村の議員団が現地を視察したのは一番後だった。一番先でもよかったはずだが、「動燃のために、混乱がおさまるまで待っていよう」という村の応援だった。その間中、動燃の不手際な慌てぷりと、東京からきたマスコミの煽動を我慢して、落着を待っていた。それは須藤さんの心だろう。須藤さんが、この火災事故をどうみていたのか。村の人の待とうという気持ち。須藤さんが育てたものだが、それでは、誰が須藤さんたちの応援団だったのか。 須藤さんの任期中に、日本の原子力には色々なことがあったが、村政の方はそれを包みながら、常陸那珂の石炭火力の建設、2市1村の合弁問題、姉妹都市など村から地域への発展があった。しかし、その根底では地域と原子力、安全への信頼が築かれてきた。それが砕けてしまった。日本の原子力は、もっとも頼りにしてきたはずの、確かな目と柔らかい心を失った。 そのことは、巻末の森さん(原産副会長)の「どう読むか」がはっきりと教えてくれる。 東海村の地帯整備から関わってきた森さんには、須藤さんの苦虫がここに述べられた以上だったはずだと一言って、同じような苦労をされて亡くなった方々への鎮魂の書として読むべきだと述べている。 原子力に関わった者にとって、大切な本だという意味であるが、世界、日本、東海村の詳しい年表をつけた記録を、このような感動的な形で仕上げてくれた著者の人たちに感謝したい。 (武井満男) 46判、264頁、定価1,900円(税別)、ミオシン出版(電話 03-555O-0461)。
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