[原子力産業新聞] 2000年1月5日 第2019号 <2面>

展望

20世紀最後となる年が明けた。誰もが新たな気持ちで来るべき21世紀を迎えたいと願うものである。しかし果して今、我々の乗る宇宙船地球号は希望へと向かう針路を進んでいるのだろうか。

今世紀中は不可能と思われた東西冷戦構造が終わり、「新しいそよ風」を期待したにも拘わらず、世界平和への道のりは遠のくばかりだ。国境なき経済の自由化は等しく各国を豊かにするはずであったのに、国を破産に導くこともあるという現実を見せつけている。一方、温室効果ガスという「地球的規模の廃棄物」による地球温暖化を食い止めようと京都会議(COP3)で決めた目標も、その実現が危ぶまれているありさまだ。

かかげられた理念とは裏腹に、物事が予想もしない方向に動いていくことが多いにしても、我々は問題の本質を見失うことなく常に原点に立ち返り、正しい方向を目指すことが求められている。そのことは現在、国内の電力需要の36%以上を担っているにも拘わらず、依然としてその意義が疑簡視されている「原子力発電」についても、まさに同じことがいえるのである。

大変残念なことに昨年9月30日、原子力発祥の地である茨城県東海村の核燃料加工工場で我が国初の臨界事故が起こり、12月には大量の放射線を浴びた一人の社員が83日間の闘病の末、亡くなるという国内の原子力施設では初めての犠牲者まで出してしまった。一般住民が緊急避難し、原子力損害賠償法までもが適用されるという極めて重大な事故により、立ち直りかけていた原子力に対する国民の信頼感は再び大きく損なわれている。

事故直前の混乱の中で、「第二のチェルノブイリ事故」だという海外の誤った報道も見受けられた。しかし、実際は周辺で極く微量の短寿命の放射性核種は検出されはしたものの、農作物、水産物などへの汚染の影響はなく、住民や子孫の健康に対しても全く影響を及ぼすものではなく、有意の放射性物質が飛び散るという、汚染を伴う事故ではなかった。

とはいえ、犠牲者まで出してしまった今回の事故を我々は深刻に捉えなければならない。原因は法的に許可された装置を使わず、バケツ便用という便法を講じて作業をし、その揚句、安全上最も基本である「臨界管理」をおろそかにしてきた結果だということが明白になった。一企業の違法行為による事故だったとはいえ、国民の厳しい目は原子力界全体にも注がれている。関係者は二度とこうした事故が起きないよう、これを教訓として基本に戻り、一層の安全確呆こ敢り組む必要がある。

なかでも、人々の安全に対する意識が重要だ。いくら技術システムや法的、制度的に万全を配し整備しても、原子力施設に働く者が安全意識に乏しく、職場全体も安全をないがしろにするような雰囲気であれば安全は確保できない。つまり何より安全確保が最優先されるという「安全文化」が原子力事業に関係する全ての人々に深く根ざしていくことが最も肝要なのである。とりわけ企業等のトップの意識は重要である。トップから組織の末端まで等しく高い安全意識を持ち、安全文化が大企業や研究機関ばかりでなく、小規模の企業まで産業界全体の共有物として根づかせる必要がある。崩れてしまった原子力の信頼を回復していくためには、こうした安全への「自己改革」を確実に実施していく以外に道はない。

現在、新しい原子力長期計画を策定するための議論が原子力委員会で行われている。そこでは原子力を環境・エネルギー政策の中でどのようこ位置付けたらよいかという基本的なところが重要なテーマとなっている。

どの国でもそうであるが、エネルギー政策の基本はエネルギー安定供給(セキュリティ)と低廉なコスト、それにCO2など温室効果ガスを排出しない地球環境に優しいエネルギーをいかに確保するかということだ。これを同時に満たし得るエネルギーとしては現実的には原子力をおいて他にはない。しかし一方では「原子力をなくし、新エネの開発と省エネを進めている欧米諸国に倣うべきだ」との意見も見受けられるのも事実だ。

確かに、風力発電の導入については、米国とドイツは200万キロワットを超え、3万キロワット強の日本より多いが、太陽光発電では日本は米国とともに約13万キロワットと世界最大の発電国となっている。そして新エネの総エネルギー供給に占める割合(1996年)は米国や日本は5%前後で、ドイツや英国では2%程度に過ぎない。2010年見通しでもこれら主要国で6%を超える国はない。さらに言えば、エネルギーの利用効率は日本が一番進んでおり、一次エネルギー供給に占める化石燃料の割合も米国、英国、ドイツの方が、原発に積極的なフランスや日本よりも高い。要するに、欧米諸国の多くは化石燃料への依存が強く、決して省エネ・新エネ型の社会ではないということである。

ところで、日本は欧米主要国と違って「セキュリティ」の基盤が際立って弱いという事実がある。日本のようにエネルギーの約8割を輸入に頼っている主要国はイタリアを除いてない。それに加え、欧米諸国の多くは国同士が陸続きだからエネルギーの融通も効く。送電網やパイプラインが国境を越え張りめぐらされている。スウェーデンが昨年、政治的駆け引きから1基の原発を廃止したが、その背景には供給不足は生じないとの理由があった。スウェーデンの事例をみて日本もそうすべきだとする意見もあるが、こうした論調は日本の事情を考慮しない暴論だ。日本はエネルギー・セキュリティの「重み」が欧米諸国とは自ずから違うのである。最近の議論ではセキュリティの関心が薄れているようで気になる。

昨年まで水より安いと言われていた石油の価格は、あっという間に2倍以上にもなり、改めて"戦略商品"としての本性をあらわし始めている。もし原子力発電がなければ、その価格の変動はもっと激しいものになっているだろう。

このような状況を直視すると、無資源国の日本としては、新エネと省エネを進めながらも、原子力をCOP3で約束した目標を達成し、伸び続ける国力需要の重要な電源として、 CO2 を排出せず、低廉で安定した電力を供給できるエネルギー源として位置づけ推進していくことが不可欠である。

21世紀まで残すところ1年。この間にはやるべきことは多い。JCO事故を教訓とした抜本的な改善を行い、着実に国民の信頼の回復に努めるとともに、核燃料リサイクルの第一歩となるプルサーマルの実現を果たし、来世紀の一大事業となる高レベル放射性廃菜物処分に向けた実施主体を設立していかなければならない。そして徹底した国民的議論を経て原子力平和利用のあるべき姿を描き、国民に提示し合意を得ていく大仕事も残されている。

原点に立ち帰って、原子力の安全、役割を見つめ直し、21世紀の環境・エネルギー問題の解決に大きく貢献できるエネルギー源としての確固とした理念を打ち立て、国民に信頼され、期待されるような原子力を目指して努力していかなかれぱならない。


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