[原子力産業新聞] 2000年3月30日 第2031号 <1面> |
[国、福井県] 特別措置法ふまえ初訓練今年6月から施行される「原子力災害対策特別措置法」を踏まえた初の防災訓練が、国や福井県、敦賀市、美浜町、河野村の共催で23日、日本原子力発電・敦賀発電所2号機(BWR、110万キロワット)を舞台に行われた。訓練は国や地元自治体および事業者に加え、地元警察、消防、自衛隊などといった防災関係機関や、敦賀発電所近辺に住む住民など総勢約1900人が参加した大規模なもので、緊迫した雰囲気の中、シナリオに沿って実際の事故時に現地の防災対策拠点となる「オフサイトセンター」の設置・運営やモニタリング、通信、広報、住民避難など9つの訓練が、早朝5時30分から14時45分までかけて実施された。今回の訓練の成果は、今後全国に設置されるオフサイトセンターの建設などに生かされることとなっている。 6月から施行される原子力災害対策特別措置法は、今までは原子力災害が起きた場合に助言・指導を行うにとどまっていた国の役割が、直接指導を行うように改められるのが主なポイント。この新法を踏まえて実施される初の訓練となった今回は、緊急時通信連絡、災害対策本部等設置運営、緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)運営、自衛隊災害派遣運用、緊急時モニタリング、緊急時医療措置、住民避難・退避、広報、交通対策等措置の合計9種類の訓練が実施された。 訓練シナリオは、午前5時40分に原電・敦賀2号機で主給水機能が喪失し、原子炉は自動停止したものの補助給水機能が喪失。また7時15分に非常用炉心冷却系の水源切り替えに失敗したために9時50分から炉心損傷が起こり、11時50分には放射性物質の放出が始まる。そして13時50分には故障していた格納容器スプレイ系の復旧に成功、放射性物質の放出が止まるという、米国TMI事故を参考としたもので、大規模訓練であることから、時間軸は圧縮されている。 事故発生の直後、国や県などには事故対策本部が直ちに設けられ、7時30分には内閣に原子力災害対策本部が設置されるとともに原子力緊急事態宣言が発令された。また臨時のオフサイトセンターが置かれた「敦賀きらめきみなと館」では、首相官邸に設けられた原子力災害対策本部と結んだテレビ会議が行われたほか、原子力安全委員会の住田健二委員長代理、通産省・資源エネルギー庁の藤冨正晴審議官、科学技術庁防災環境対策室の明野吉成室長をはじめ、栗田幸雄福井県知事や河瀬一治敦賀市長ほか自治体、警察など各種機関のリーダーらが出席のもと、「合同対策協議会」の第1回目が9時30分に開催され、以後は状況に変化が起きる毎という方針から計4回開かれて、それぞれの持っている情報の交換や対応策の報告が行われた。なお住田委員長代理は各種報告に対し、専門家としての立場から様々なアドバイスを行った。 一方、シナリオが「放射性物質が放出される危険性が出た」との段階に進んだ際には、発電所を中心とした風下約7.5キロメートルまでの住民を対象に屋内退避およびコンクリート屋内退避訓練が行われ、対象地区にあたる住民および小中学生らは、県の要請を受けた地元交通会社のバスなどに乗って実際に避難を実施。避難場所となった敦賀市総合運動公園では、緊急時医療措置訓棟および、自衛隊や日赤による焚き出し訓練も合わせて行われた。また県消防のヘリや衛星中継車を使用した画像転送などは随時行われるなど、訓練は多岐に渡った。 その後、放射性物質が放出されたとの想定に従い避難地区を対象とした飲食物の摂取制限などが行われ、13時50分に放出が停止したとの報告を受けたことから合同対策協議会は、国に対して緊急事態解除宣言の発出を具申。これを受けた原子力災害対策本部長は安全委の意見も踏まえて14時45分、緊急事態解除を宣言し、全ての訓練は無事終了した。 訓練を終えた栗田福井県知事は、「評価すべき点は、住民との協力やオフサイトセンターの運営が円滑に進んだこと。大変意義があった」と総括した。なお国は、今後も同様の訓練を、全国の発電所を巡回する形で年に1回程度ずつ開いていく方針であることを明らかにした。 |