[原子力産業新聞] 2000年5月11日 第2037号 <5面>

[原産] 第33回原産年次大会 午餐会

4月27日に開かれた第33回原産年次大会の「午餐会」では、数学者の森毅京大名誉教授が「21世紀の日本と世界の先行き」と題して特別講演した。講演の要旨は次の通り。

森毅氏講演「21世紀の日本と世界の先行き」

21世紀を予言するといっても、実際に予測できるのは10年が限度だと思っている。僕自身、10代の頃は戦時中で、「ぼちぼち負けそうや」と言っていた反面、「今の状態が続くのか」というネガティブな判断はあっても、その後の「平和な時代」というものが想像できなかった。

先々を予言して将来の安定を求めるより、「未来はそういうこともあり得る」と考える程度がいい。ただし、時代の流れが今、どの方向へ向かっているかだけは見極めることが必要だ。

1930年代と1990年代は、流れの大転換の時期という点で似ている。1930年というのは、世界的に大恐慌で、ヒットラーが政権をとった頃。20世紀末は、ユーゴやEU統合など世界情勢に大きな変革が起こり、その一方でコソボのようなことも起こっている。21世紀に国家に対してのウェイトが変わる可能性は充分ある。

90年代に入り、30年代から続いてきた体制が限界となっている。自由化や規制緩和が叫ばれているが、「自由には危険が伴い、責任は権限に伴う」というのが僕の説。世の中の変化というのはリスク覚悟で、危険を伴いながら進んでいくものだ。大学の制度改革にしても、現実に適さなければ勿論変えた方がいいが、改革を家の改築に例えると、住み慣れた元の家の方が良かったなんてことだってある。新しい制度が良くなるか悪くなるかは、その中でどのように文化を築いていくかに関わっている訳で、あまり過度な期待は持たない方がいい。

日本人は今、一生のうち何年学校に依存するかというと、少なめに見て15年、100年前は多めにみて3年位。100年後は今の5倍の75年になるいうのは予測の常識で、生涯学習というものはそういうものだ。教育の概念が変わって、社会に出るための教育ではなく、社会人になっても、定年になってからでも、いろいろな形があっていい。

予言を一つしておくと、21世紀の半ばくらいに情報危機が生まれると思う。情報量が倍々に増えている中、データとしてではない情報を得ることが限界にきている。曖昧無垢とした形でどうやって文化を獲得していくかが大事な問題になってくるだろう。

20世紀は明らかにエネルギーの世紀だった。21世紀は囲いとしてはエントロピーの世紀という。情報というのはいかにもエネルギー的に考えられているが、エネルギーが物の量だとすると、エントロピーというのはいわぱデザイン、配置のようなもので、多けれぱいいというものではない。

日本はどちらかというと男味文化で、男味が強すぎると一旦決めた計画にこだわっていつまでも同じことを続けたがる。女味が強いと状況に流されてどちらへ行くかわからない。これはバランスの問題だが、「差し当たりAでやってみて、BがよければBに変えればいい」という、こだわりを捨てた柔軟性が求められている。

21世紀は「流れる水」の気分で、人工と自然、制度と文化の味加減をあんばいしていく方がいいと思っている。

細田通産政務次官所感

「午餐会」では、細田博之通商産業総括政務次官がわが国の原子力行政についての所感を述べた。

細田次官は、わか国のエネルギー構造の脆弱性や温暖化防止のためのCO2排出削減の観点から、「エネルギーの安定供給において、原子力発電の重要性は大きい」との認識を示した。

またJCO臨界事故を教訓とした安全確保への取り組みとして、来年の省庁再編に伴い新設される原子力安全・保安院等で「安全規制体制の強化を図っていきたい」とした。

木村青森県知事

続いて挨拶に立った木村守男青森県知事は、次回の原産年次大会が青森県で開催されることについて、「21世紀の幕開けに相応しい大会になるよう、開催県として万全の準備を整えて、皆さんを迎えたい」と述べた。

また、数多くの原子力施設を有する県の状況を説明する中で、「原子力は地域住民との協調の中で成り立たなくてはならない。原子力に携わる全ての人は今後とも、安全、安心を第一義に、安全性向上を徹底し、正確で迅速な情報提供を行うことで、原子力施設についての理解が深まることを願う」と強調した。


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