[原子力産業新聞] 2000年6月22日 第2043号 <1面> |
[緊急報告] ドイツ原子力政策合意をどうみるか原発の将来、含み残した妥協策ドイツ政府と主要4電力会社は14日、原子力発電の運転継続期間などについて会意に達した。日本のマスメディアはこぞって「ドイツも脱原発」と報じ、「わが国も先進国ドイツに学べ」、「なぜ日本だけ原子力推進を続けるのか」という論調が氾濫している。先月、訪独し、日独核エネルギー専門家会議などの場において、改めてドイツの原子力をめぐる状況について見聞してきた一人として、これらの論調はその背景を十分理解しているとは思われない。 日本のマスメディアでは、「欧米はやめた。だからわが国もやめるべきだ」といった意見がよく聞かれるが、経済でも技術でも最先端を走っているわが国が、いつまでも右顧左眄(うこさべん)して、欧米の判断に安易に影響されるべきではない。その判断の根拠を良く学び、その轍を踏まないようにすることは大切だが、「欧米の背中をみていれぱ間違いない」という発想を来世紀まで引きずっていくべきではなかろう。 今回の両者の妥協の最大のポイントは、連立与党を構成している社会民主党(SPD)および緑の党と原子力推進の民間が、十数年にわたる抗争に終止符を打とうとしていることにある。その背景を簡単に述べれば以下のようなことになろう。 緑の党とSPDは環境保護運動や原子力反対運動の高まりを背景にして、着実に勢力を伸ばしてきた。特に、州レベルではSPDが単独または緑の党と組んで政権を握り、原子力開発にことごとく反対し阻止してきた。原子力推進のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)や自由民主党(FDP)と政権が交代するたびに開発計画が振り回されてきた。これを避けるため90年代始めから連邦政府、州政府、経営者組織などが参加して数ラウンドにわたって「コンセンサス」協議が行なわれてきたが、議論は繰り返されるぱかりだった。 98年10月にはSPDと緑の党の連立によるシュレーダー政権が発足し、初めて脱原子力政策が打ち出された。新政権は発足後100日以内に原子力法を改正し、原子力開発促進条項の削除、再処理の禁止などを盛り込むことにしていた。しかし、これらは実現せず、政権内の亀裂も日立ってきた。再処理の禁止に至るやキャンセルには損害賠償で対抗することを英仏に表明され頓挫してしまった。 一方、電力会社はヨーロッパ経済統合による電力自由化の大波に洗われ、電力価格は大幅に切り下げられ、もっとも低廉な原子力発電の安定的な運転は、ますます欠くべからざるものになってきた。 つまり、ここに至って連立政権は公約に掲げた脱原発の道筋を早く示すことが大切で、電力会社にとっては政策を目標として受け入れ、当面の、誰にも邪魔されない安定的な運転を確保することが先決という判断に落ち着いたというところが真相だろう。 合意の中身を詳しく見ればそのことははっきりしてくる、個々の原子力発電所の運転寿命は、単なる暦年ではなく発電量として計算によって 決められる。そのべースとなったのが営業運転の開始から数えて32暦年で、それぞれの発電所で2000年1月1日以降残っている運転期間を約90%の高稼働率で運転した総発電量が「発電権」として与えられる。この「発電権」は別の原子力発電所に譲ることができる。つまり、経済性の良くない発電所は早く閉鎖し、経済性の高い発電所を長く運転することが可能だ。これは連立政権側からみれば、効率の良くない発電所の閉鎖が早められ、脱原子力政策が具体的に見えてくるという効果を持っているはずだ。 他方、電力会社にとってみれば、連邦政府は一方的に安全基準や安全思想を変更したりして発電所の運転を妨害しないという約束をとりつけた。また「発電権」の総合計が2兆6,233億kWhで、年間発電量1,600億kWhを基準として総合計の発電量が尽きるまで運転を行なえることになり、少なくとも当面15年間は現在と同じ程度の原子力発電の寄与が保障されたわけである。 再処理と使用済み燃料に関する合意については、一言でいえば既存の再処理契約に基づく使用済み燃料の輸送と再処理は、官民協力の下で今後5年間に極力片付けてしまい、05年からは再処理は行なわないということである。 いずれにしても何十年後かに「発電権」が尽きれば、全て廃炉とされ、新規の原子力発電所の建設は許可されないという取り決めであるから、これを「脱原子力発電政策」ではないと強弁するつもりはない。しかし前述したように、原子力発電の将来に相当含みを残した妥協策ということができよう。そして妥協である以上、緑の党の揺り戻しも含め今後紆余曲折があることも予想される。 電力会社は合意にあたり、「今回の取り決めが包括的なエネルギー・コンセンサスに変わり得るものではない。我々は原子力をエネルギーミックスの一角に留めたほうがよいと確信している」という声明を発表している。 ドイツの世論は必ずしも脱原子力を支持しているわけではないといわれている。原子力発電が政争の具から解放され、黙々と国民の生活を支え続けることによって、その役割が認識されて近い将来新たな展開へと向かうことを期待したい。 【石塚 昶雄】
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