[原子力産業新聞] 2000年6月29日 第2044号 <4面>

[原産通常総会] 森浩一名誉教授「古代人の知恵」で講演

「考古学は地域に勇気」

 考古学者で同志社大学名誉教授の森浩一氏は19日、都内で開かれた第49回原産通常総会で、「古代日本人の知恵と技術」と題して特別講演を行った。

 講演で、同氏は古事記や日本書紀などでは手の届かない日本列島の隅々までの歴史を明らかにしてくれるのが考古学であるとして、「考古学は地域に勇気をあたえる」という持論を紹介。「日本には様々な面白い地域文化があり、それらを集めたのが本当の日本の歴史である」と述べ、都だけに優秀な文化があったという固定概念が歴史観を狭くする危険性を指摘した。

 さらに、「日本列島に人類が住みはじめたのはせいぜい5,000年前」という定説を覆した群馬県の岩宿追跡の発見から今日に至る旧石器時代の数多くの考古資料の中で、「人骨が多く出土したのは沖縄である」と強調。また沖縄については、「中国・唐の貨幣『開元通宝』が中国の流行と同時代に使われているのは沖縄、福岡くらいであり、これは中国の文化圏に入っていたからではなく、先進的地域であった」と語った。加えて、「古代には離島・辺境の地であったろうと語られていた北海道の礼文島や伊豆諸島の八丈島などを考古学から見ると、数千年前はアジアの海上交通の拠点だったことが分かる」とし、古代人の雄大さは現代人の想像を超えると指摘した。

 また同氏が提唱する、「関東にコンパスの軸をおいて考える」という『関東学』について、「関東は奈良、平安の都より文化水準が低かった」という認識は間違っていることを明らかにするものと強調、例として「都から紙作りが盛んだった関東に写経を命じて運ばせた」と史実を挙げるとともに、水田だけではなく麻やカラムシの畑が広がっていたことを紹介した。

 また、日本の漢字の受容については、「『魏志倭人伝』によれば、日本は明らかに漢字のわかる頭とされている」として、漢字が伝わったのは弥生時代に遡るとの見解を述べた。その上で、『三角縁神獣鏡』の国産説と舶載説の対立の前提には、当時の日本人が漢字を受容していたかどうか文字文化への理解の違いがあるとして、「考古学は事実が優先する学問であり、中国では1枚も出土していないのにもかかわらず、日本で500枚も出ているというのは揺るぎのない事実」と述べた。


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