[原子力産業新聞] 2000年10月26日 第2060号 <5面>

[寄稿] 国際協力の経験から

国際社会で人材貢献を求められる日本

国際関係機関の中で日本人の占める割合は、平均して2%程度でアメリカ、ドイツ、英国などに比して非常に少ない。

一方で日本の財政的貢献はアメリカに次いで大きく約20%に達している。

持続的発展、平和共存などの点からも国際協調の重要性がますます高まっている現在、経済的にも政治的にも国際的に重要な役割を果たすべき日本の人的貢献がこのような砥いレベルにとどまっていることは問題である。

IAEA の例で見ると、職員の数だけではなく途上国協力のための専門家についても日本人の数はきわめて少ない。途上国の貧困に起因する食品問題、医療問題、水資源問題など解決すべき問題は山積みしている。途上国を支持するのは国連機関の重要な役割で、IAEA は食料増産、がん治療、害虫撲滅、水資源問題などに役立つ原子力技術の利用について支援しており、予算の約50%がこのために向けられている。このような途上国の開発支援に日本人の専門家が数多く参加していくことが、顔の見える貢献になり、日本への評価を高める。

私がいま関わっているアジア原子力協力でも、一番確かに技術や研究経験を移転できるのは、日本人のすぐれた専門家が途上国の研究者と一緒になって手をつかって実験に取り組むことである。

国際機関に日本人がすくないのは、様々な要因が考えられる。まず空席公募に対する応募が非常に少ない、IAEA の場合、例えばアメリカからは年間1000人の応募であるのに日本は50人足らずという状況である。それに加えて日本人職員は滞在年数が平均3年間と短いのが困難な問題の一つである。IAEA 全体の平均滞在年数は5〜7年である。

英語で仕事をする国際機関では、英語力は当然のこととして要求される。この点が日本人の1つの制約条件となっている。応募の際、注意すべきことほ、本人の経験、能力、専門が空席ポストと合致しているかどうか充分に調べることである。次に日本社会における人材の流動性が低いことで、空席ポストに応募するのにも制約がある。帰国後の日本でのポストにも不安があるというのが困難さを増している。このような点については、経営者レベルの理解が求められる。国際的な場で得られた、知誠、経験、人的ネットワークを帰国後活用するような人事配置が望まれる。

一方、外務省などでは、国際機関の役割、仕事の内容、空席情報などを広く知らせる一層の工夫が必要である。特に若い世代は国際的仕事には関心が高まっていると考えられ今後の改善を期待したい。


放射線治療装置の供与を

ハノイ市で数少い70年前のヨーロッパ風の建物にある国立がんセンターに足を踏み入れると廊下にあふれる治療を待つ患者の数に驚く、中年者が多いようだ。その中を繕うようにして院長 (ヌエン・バ・ドック博士) の部屋に入ると、質素だが天井が高く、欧風のしつらえである。

院長は「ベトナムで年間7万人ががんで死亡、新しい患者は毎年17万人発生している。肝炎 (B、C型)、マラリア等の感染症に次いで重大な病気となっている。」「それにもかかわらず、遠隔照射治療装置は全国で12台のコバルト装置があるだけで効果の高い線型加速器は1台もない」という。高価で国の予算ではなかなか買えないからである。

この病院では2台の古いコバルト 60 照射装置で朝6時から夜8時まで休みもなく患者を処置し、1日200人もの患者を治療する。子宮がんの女性を治療するセシウム137の照射装置も見たが古いもので、低線量率照射のため、患者は1回につき40時間もの長い間、照射を受けるためベットに横たえられている。日本で普通に使っている高線量率照射の装置では僅かに数分で終わるのに。「治療効率も悪く、手術、化学療法を含めてがん患者のわずか5分の1が治療を受けられるに過ぎない」と院長はなげく。

ハノイ市立総合病院も訪問し、1台しかない7年前のチェコ製の質素なコバルト60照射装置を見たが、治療室の汚れが気になった。

この国では、男性では肺がん、女性では乳がんが最も発生率が高いという。いずれも放射線治療が効果的ながんである。日本にとっては1台わずか2億円、しかしベトナムにとっては手のとどかない LINAC 治療装置を何とか日本から提供できないだろうか。日本には、放射線治療装置を持つ病院は800もあり、患者は充分な治療の恩恵を受けている。陽子加速器や、微少線源を利用した新しい治療法も普及しつつあり、ベトナムとの格差は広がる一方である。このような人道的に重い意味のある原子力利用の支援に目を向けるべきと考える。

ハノイの街に入るとスクーターとバイクの洪水に驚く。かなりの人が口にハンカチなどを当てて少しでも排ガスを避けようとしている。環境保全もベトナムのこれからの課題である。カンボジア戦争が終結して約10年、まだまだ戦後の回復途上である。

街には個人の店が立ち並び農作物などが盛んに売られている。外国からの投資もゆっくりと増えている。しかし、中国の陰にかくれているという見方もあり、発展には長い道のりがあるといえよう。

日本からの一層の協力が強く望まれる。

[日本原子力産業会議 常務理事 町末男 (前IAEA事務次長)]


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