[レポート] 京都議定書が原子力にNOと言う?
電力中央研究所 経済社会研究所 主任研究員 杉山 大志
[CDMと原子力をめぐる2つの方向性]
COP6 (気候変動枠組条約第6回締約国会議、ハーグ、2000年11月13日〜24日) が目前に迫っている。これは気候変動枠組条約第3回締約国会議 (略称・温暖化防止京都会議=COP3、1997年) において採択された京都議定書の発効のために必要な運用則を決めるものである。もっとも順調に展開すれば、COP6 を受けて京都議定書は各国によって批准され、2002年には発効して法的効力を有するようになる。
主要な争点の一つとして、京都メカニズムのひとつであるクリーン開発メカニズム (CDM) の運用則をどう決めるか、ということかある。CDM とは、先進国が資金を提供して途上国における CO2 対策を実施して、その CO2 排出削減分を先進国の数値目標を満たすために用いるというものである。
ここで原子力をどう位置づけるべきかということが、しばしば議論されている。特に目立つ動きとして、以下の2つがある。
「ネガティブ (負の)・リストヘの明記」− CDM について、京都議定書第12条は「該当するプロジェクトは途上国の持続可能な発展に資するものであること」と規定している。この規定の解釈として、「原子力は持続可能な技術ではない」とし、CDM の対象となるプロジェクトのリストから外そうという動きがある。そのようなリストはネガティブ (負の)・リストと呼ばれており、この動きは島嶼国連合 (AOSIS) や環境保護団体の主張にみられる。(FCCC/SB/2000/CRP.14/Add.1 (Volume2) page 31 paragraph 78g)
「ポジティブ (正の) リストからの除外」−欧州諸国は、CDM をはやく開始する手段として、環境にやさしいことが明白なものとして「再生可能エネルギー、エネルギー効率向上、需要家対策 (DSM)」をポジティブ・リストとして列挙して、これらについてはただちに CDM について適格と認めるという提案をしている。(FCCC/SB/2000/CRP.14/Add.1 (Volume2) page 2 paragraph 7)
さて、数値目標の対象となっている2008〜2012年までに具体的に原子力発電が CDM プロジェクトとして実現することは、リードタイムを考慮すれば可能性が低い。このために、この文言が日本の数値目標達成に対して直接に与える影響はあまり無いだろう。
しかしながら、これら2つの提案はもっと広い意味合いをもつ。まず、ネガティブ・リストは、原子力を明確に否定しようとするものである。これに対してポジティブ・リストは原子力を否定するものではないが、ひとたびポジティブ・リストを認めれば、原子力は他技術に比べて環境にやさしいかどうか疑問がある、ということを公式に認めることになる。また、ひとたびリストから外れれば、後に追加することは難しいだろう。
いずれのリストか採択される場合でも、国際社会において、原子力技術の持つ温暖化対策としての意義に否定的見解が呈されるということになる。このことの影響は計り知れなく大きいかもしれない。なぜならば、ひとたびこのような判断が下されれば、たびたびその見解が引き合いに出されて、別の機会で同様の主張を行なう勢力にとって強力な道具になる可能性があるためである。もしも原子力発電を21世紀における地球規模の温暖化対策のために、1つの重要なオプションであると考えるならば、このような決定を容認することはできない。
もっとも、前記いずれのリストとも、実現する可能性はそれほど高くなく、筆者が見るに10に1つであろう。そのように見る理由は、米国を始めとする非 EU 先進国 (アンブレラグループという) および中国などの主要なプレーヤーが、「CDM における持続可能性の具体的内容はホスト国が投資国との相談で決めることであり、京都議定書内で規定するべきではない」として、国際交渉の場で特定の技術を選別することに反対しているからである。
京都議定書で技術を選別するべきではない、ということは、もっと広い文脈でもアンブレラグループが主張している。例えば京都議定書2条の政策措置や5、7、8条の通報・レビューなどの他の交渉項目においても、米国は特定の政策措置を国際機関が選別することに対しては拒否反応を示している。実際のところ、米国は国際的な干渉が自国内に及ぶことを嫌う性質があるために、国内の技術選択に干渉するような国際合憲に基づいて議定書を批准することは困難であろう。批准の危ぶまれている米国であるが、交渉において重要なプレーヤーでありつづけるために、上記の2つのリストが実現することは考えにくい。
ただし島嶼国や欧州環境保護団体の圧力に押される形で、COP6 最終局面におけるパッケージ・ディール (ひらたく言えば最終日のドタバタした政治的取引きのことである) の一部として原子力に対して何らかの否定的な決定がなされる可能性は残っている。例えば、かつて米国は、「途上国に数値目標の無い議定書は批准しない」という上院決議をしたが、それにも関わらず、その意に反した京都議定書ができたという経緯があった。これと類似の譲歩が行われる可能性は存在する。
[「気候レジーム」にとっても原子力は注目点]
さて、原子力発電が CO2 排出をしないことから、気候変動問題を追い風と考えている原子力関係者も多く、COP6 を巡る上記の動き自体が奇異に写るかもしれない。しかし、気候変動枠組条約に関する交渉において原子力に対する風当たりは強いのが現実である。これは、同条約への参加者の大勢が環境保護主義者であることによる。各国交渉団は環境に優しいイメージを出すように競っている。そのような環境保護主義者の集まりの中で原子力発電の意味会いを説明し理解を求めることには難しさがある。
ここで環境保護主義者に理解してもらうべきことは、以下のことであろう。実は、なんらかの形で原子力に対してマイナスイメージを与える決定が行われることは、原子力産業関係者のみならず、「気候レジーム」全体にとっても好ましくないのである。
ここでいう気候レジームとは、気候変動枠組条約や京都議定書を含む、気候変動問題を解決していこうとする一連の国際的行動のことである。
気候レジーム全体にとって好ましくない理由は、同条約に参加している環境保護主義者のあつまりが、各国の国内での事情に充分考慮することなく、妥当性を欠いた国際合意を行なうならば、結局それは批准や発効後のプロセスに禍根を残し、京都議定書の尊厳が失われるからである。
実際のところ、これから原子力発電を利用する可能性がある途上国は多くあるが、彼らの多くは、気候変動枠組条約で原子力に対してどのような決定が下されうるかを知らない。彼らが知らないうちに国際合意を形成することは、有益とは言えない。なぜならば、そのしっぺ返しは批准以降のプロセスにおいて必ず現れると考えられるからだ。具体的に言えば、「原子力技術が持続可能な発展に資さない」という価値判断をしてしまった京都議定書を受け入れることに抵抗を示す途上国は多くあるだろう。
現在の気候レジームにおける交渉状況において問題なのは、途上国のなかに原子力に好意的な勢力が見えてこないことである。中国や東南アジア諸国の原子力担当者や交渉担当者にこの状況を改善するよう説得していく必要がある。
日本の原子力産業にとっての責務は、IAEA などとの関係機関との協力のもとで、海外における原子力に関するステークホルダーを掘り起こして、各国政府への情報提供を進めることであろう。特に CDM に関しては途上国の意見が重要となることから、途上国交渉団への情報提供と説得が必要である。
タイミングとしては原油価格の高騰があるために、交渉担当者にとっては理解しやすい話であろう。「気候変動対策として、再生可能エネルギーだけでは頼りにならない、化石燃料には温暖化や価格高騰の問題があるゆえに、原子力を将来的に利用するという選択肢を無くすることは、あなたの国にとって腎明とは言えない」という論理を途上国の交渉担当者が共有すれば、CDM において原子力が否定されることはなくなるだろう。
このような努力は、先述したように、原子力産業のみならず、気候レジーム全体の発展のためにもぜひ必要なことである。国際合意がなされる場合には、各国の国内の事情をよく理解した上で実施可能なものを合意しなければならない。さもなければ、国際合意を行なう努力自体が水泡に帰するのである。
そして、これが国際交渉のやり方である。認識を同じくするもの同士が国境を越えて連携して、それぞれか各国政府に利害得失を理解してもらうしかない。自国の政府だけが利害得失を理解していても、単独で国際交渉において他を説得することはなかなか難しい。いくつかの国における計算を変える努力を、政府任せではなく、ステークホルダー自らが行う必要かある。
一般に現在の国際交渉のあり方は、民主主義的なコントロールのあり方としては困難を抱えている。本来は立法は国民に近い国会で行なうものであるのに、国際交渉は国民から遠いところで行われて、そこで合意されたことは「国際合意である」としてかなり強い力を持ってしまい、国会でそれを否定することは難しくなってしまっている。 (この状況を指して欧州の政治学者は民主主義の欠落と呼んでいる)。この枠組みの中では、交渉担当者が国内の利害得失を詳しく理解して交渉に臨むことが前提となるが、人員や情報収集能力の制約のためか、多くの場合にはそのようになっていない。
日本は国内調整をよく行っているごく例外的な国であり、他の国々、なかんずく途上国の交渉担当者は、多くの場合、国益を充分に理解しているとは言えない。むしろ交渉担当者は、気候変動問題が最重要と考える「認識共同体」に属している場合が多い。認識共同体の存在自体は、レジームを前進させるために有益である。しかし、各国の国益を充分に考慮することも等しく有益であり、このバランスを欠いてはならない。原子力の意義を不用意に否定することは、原子力にとっても、気候レジームにとっても致命傷になりかねない。精力的かつ知的な説得作業が必要である。
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