[原子力産業新聞] 2001年2月8日 第2074号 <1面>

[インタビュー] 竹内原子力委員に聞く

「開かれた委員会に」

「現業現場をやりながら、いきなり原子力委員になった。このこと自身は、もう方策の議論から実践の時代へと、時代の要請、付託もそう変わってきたのではないかと感じている」と話す。方策の議論は、原子力研究開発利用長期計画が1年半の議論を経て昨年末、新世紀へのビジョンが固まったところ。

先月初めまで日本原燃社長として陣頭指揮にたち、再処理事業の進捗にともなう地元青森県などとの安全協定締結、MOX 加工事業化など、サイクル事業の根幹に関わる事業の足場固めを果たして常勤の原子力委員に就任した竹内哲夫氏。いわば現業現場から、その経験を踏まえて原子力政策の要となる要職を担うことになった。

「21世紀は資源問題と環境問題への対応にあたって、絶対的に原子力でなくてはならないと考える。地球上の人口爆発の問題もある。日本は少資源だが、技術力が高く、原子力の平和利用に徹している国だ。地球からみても日本からみても原子力は不可欠だ」と、新世紀における原子力の役割を見据える。

その役割を示した長期計画がまとまり、それをどう具体化するかという段階を迎えている。

「長期計画は進むべき道を書こうというねらいのもとにできたものだ。今後フォローアップが大切であり、原子力計画がその方向にきちんといっているかどうかを診断し、環境、エネルギー需要の変化など状況の変化に応じ軌道修正ができるように議論する必要がある。これは当然原子力委員会の仕事であり、進路を議論することが原子力委員会の大きな仕事だ。そのベースとして (長期計画は) 非常に大きな成果だ」とし、その "実践" へと目をむける。

その意味でも原子力開発の進路を見極め、国民にはっきりと示していくことが原子力委員会の重要な役割のひとつとなる。

「なぜ原子力でなければならないのか。それが国民の間に十分に浸透していない。開かれた原子力委員会として、国民に対する理解活動に徹しなければならない。いつでもどこでも誰とでも対話に心がける、といったような開かれた委員会にしていきたい」と新たな原子力委員会のあり方を展望する。

省庁再編の後、原子力委員会の機能強化を含めた具体的な体制づくりは当面する重要な問題だ。

「国民のご意見を聞く仕組みも含めて、原子力委員会として新機軸を打ち出さねばならないという議論もあった。従来の専門委員会については核融合関係を除いて1回全部切れているので、現在、タスクフォースという名前で議論をしているが、力になる組織づくりをどうするかということを議論している」。

原子力開発の基盤となる原子力産業の今後のあり方についても、経済状況を含めて目が離せない。

「原子力産業に関してもタスクフォースみたいなものを立ち上げていく必要がある。人材問題もある。21世紀に頼れるような人材づくりが欠かせない。最近では特にヨーロッパでの原子力産業再編もみられている。こうしたなかで日本の産業自体どうなるかということが私の関係する大きなテーマだと考える。やはり確固とした産業がないと未来はないと思う。米国も、もう1回原子力に目を返すような動きもあるので、そうなった時に国際的な産業の住み分けなどが検討課題だ。台湾などアジア各国の問題もある。これらの課題については、他の原子力委員やいろいろな方のお話を聞きながら進めたい」と意欲を燃やす。

「原子力を夢みて、原子力をやらせてくれといって入った−」。

それから東海炉の設計に携わった後、火力畑が長かった。そしてサイクル事業へ。軽水炉そのものには直接携わることがほとんどなかった自身の経歴を「キセルのようなもの」と笑う。

「誠心誠意、自然体で」をこころがけ、飾らずに、わかりやすい言葉で語る。

「一番気になっていることを隠すと世の中良くならない。一番気になっていることが修正を要することなのだ。病気で言えば患部なので、患部が痛くても、触って議論しないと世の中良くならないと思う。痛いことを感じながら、そこにメスを入れなければ」と、「今まで言うことをはばかりすぎていた面のある原子力」を "自然体" で語ることの大切さを説く。


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