[原子力産業新聞] 2001年6月21日 第2092号 <4面>

[哀悼] 米AEC元RI部長、ファウラー氏を悼む

RCA活動に多大な功績

親日家で原産とも縁の深いユージン・ファウラー氏が4月11日に肺炎で逝去されたという悲しい報せが入った。77歳である。

ラジオアイソトープと放射線利用の分野で米国で幅広く活躍され、原産のアイソトープ会議には米国原子力委員会の代表としていつも出席され、日本人との深い交流があった。厳しい面もあったが率直で、意見は明確に述べられ、明るくて暖かい人柄が多くの友人を作った。

20数年前、マイアミで開かれた第2回放射線プロセス国際会議の晩餐会で同席し、原子力平和利用の重要性とくに開発途上国での原子力の役割の大事さについて、論じ意気投合した。その当時 (1975年〜80年) の彼は、IAEA の工業利用・化学課長兼 RCA コーディネーターとして、特にアジア諸国の地域協力 (RCA) の発展に非常な努力をしていた。私も専門家として何度も協力し一緒に RCA/UNDP 計画を策定、実施に漕ぎ着けたことを懐かしく思い出す。

このファウラー氏の熱意と努力によって RCA は実質を伴う新しいフェーズに人り、IAEA でも高く評価されるようになったのである。日本政府も78年に RCA に加盟、資金と技術を提供し、本格的な協力活動が進んだ。80年、彼は私を後継に推薦し、IAEA を去った。その後82年には、RCA/UNDP のプロジェクトコーディネーターとして原産 (東京) に事務所を置き1年間、IAEA の私を支援してくれた。

彼の努力は今アジアの開発途上国でアイソトープ・放射線利用の拡がりとして花開きつつある。

安らかに天国に眠られんことを。 (町 末男)


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