[原子力産業新聞] 2001年8月2日 第2098号 <1面>

[原子力委員会] 木元原子力委員が休職へ

「委員会変わるまで」

木元教子原子力委員は7日に開かれた委員会会合の席上、形式化した原子力委員会の運営や慣例を優先しがちな周囲の環境に対する不満などを理由に挙げ、「原子力委員会が変わったと納得できるまで」委員職を休む意向を明らかにした。

木元委員は1998年1月、市民的立場の代表として委員に就任、注目を集めた。隔たりが大きくなるばかりの国民と原子力界の間を埋めようと、「(国民に) 見える原子力、逃げない原子力、さらに行動する原子力」を信条として活動。日頃から "まず原子力ありき" ではいけないとして、なぜ原子力を使うのかの明確な説明が必要と繰り返し訴えてきた。

今年1月、内閣府の原子力委員会として出発する際、委員会内に "まず新長期計画のフォローアップありき" の空気が強かったことに不満を感じ、国民とともに原子力を進めるための仕組みを作ることが先決と強く訴えたという。

委員会自らが企画・審議することがなく、与えられた案件を承認するだけの形式に陥っている状況を問題視するとともに、プルサーマルが進まない状況でも自発的に国民への説明に乗り出せずにいた原子力委員会にもいらだちが募っていたことを伺わせた。こうした点に委員会は危機感を抱くべきだと強調する。

また、木元委員は「経済的に苦しい3年半だった」と振り返りながら、常勤委員と非常勤委員の待遇の歴然とした差に悩まされたことも明らかにし、「経済的にも充電が必要」と付け加えた。

しかし、今後も自身が拠り所とする新設の「市民参加懇談会」では普通のメンバーとしてでも積極的な役割を果たす考えで、「原子力委員会のあり方を考えていきたい」とする一方、市民との接点となる理解活動には「個人的にこれまで以上に」取り組む意欲を示している。

木元委員の表明を受け、変革を求められた形の藤家原子力委員長は「心配していたこと」とし、早期に職務復帰できることを望むと発言した。


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