[原子力産業新聞] 2002年1月31日 第2122号 <4面> |
[「学際」編集部] 排出権取引のルール作りの概要昨年11月にモロッコのマラケシュで開かれたCOP7において、京都議定書の運用ルールに関する法的文書が採択された。その中で削減手段のひとつとして掲げられている「排出権取引」の具体的な制度作りが大きな焦点となっている。本紙では、合理的・効率的な排出権取引のルールのあり方に関する先端的研究・実験を行っている地球産業文化研究所のプロジェクトについて、これに参加している「学際」編集部の大石善雄氏に紹介願った。 【京都議定書と京都メカニズム】 1997年京都で開催された「地球温暖化防止京都会議」(COP3)で先進国における温室効果ガス削減の数値目標を定めた「京都議定書」が採択され、日本は2008年から2012年までの温室効果ガスの排出量を1990年比で6%削減することが決まった。その後2001年のCOP6で森林吸収枠3.9%が認められ実質的に22%で済むことになった。 削減方法としては、各国が個別に省エネ推進、エネルギー効率向上、天然ガスや原子力への燃料転換、炭素税導入などを選択し国内排出量を削減する方法の他に、京都議定書で採択された排出権取引、共同実施、クリーン開発メカニズムという「京都メカニズム」がある。他国と連携することでお互いの目標を達成しやすくする経済合理性に承づく制度だ。 【排出椎取引とは】 削減コストの高い国は国内削減だけでの目標達成はかなりの負担だ。しかし排出権取引を利用すると他国で削減した排出権を安く買い取り自国の削減量に計上することができ、国内削減と排出権取引をうまく組み合わせれば総コストを安くすることができる。また、削減コストの安い国は目標以上に削減し余った排出権を他国に売却することで利益が得られる。 仮に日本の温室効果ガス1単位あたりの削減コストを10とし、ロシアのそれを1としよう。各々の国で1単位ずつ削減せねばならないとするなら両国の総費用は11(=10+1)だ。そこで日本とロシアで排出権取引をしてみる。日本が1以上10以下のお金をロシアに払い日本の1単位も含めロシアで2単位削減してもらう。両国の総費用は2(=0+2)となる。取引無しの時より9(=11−2)だけ得する。これが排出権取引導人の利点だ。 排出権取引が1単位でなく0.6単位なら、日本の費用は4(=10×4)、ロシアの費用は1.6(=1×1.6)で、両国の総費用は5.6(4+1.6)となり、取引無しの時に比べた得は5.4(=11−5.6)になる。0.6単位取引した時の効率性は、1単位取引した時に比べ60%(=5.4/9)に減る。この効率性をなるべく100%に近付けるルール作りが後述する制度設計の課題だ。 【COPで注目される実験を用いた制度設計】 規制は全て撤廃し市場にまかせればよいと言われるが、カリフォルニア電力危機のように市場は必ずしも万能ではない。様々な原因が指摘されているが、電力自由化に伴い電力価格が安くなると予想した電力会社が設備投資を控えたという点が重要だ。そのため必要な時に供給不足となり、市民生活に深刻な打撃を与えた。電力という商品は明日必要だから今日作ればいいという代物ではない。決めてから配電までに数年かかる。 温室効果ガスの削減も同じだ。多くの人々に不利益を与えないルール作り、効率性を高めるルール作りが必要であり、そのような作業を「制度設計」と言う。 現在COPでは京都メカニズムに関する制度設計が進められているが、その現場で、様々なルールが市場の性能にどう影響するのかを「実験」で検証するという動きが注目されている。理工学分野では仮説検証のための実験は当然だが経済学分野では何故か長く省みられなかった。しかし昨今再認識されつつあり、日本では西條辰義教授(大阪大学社会経済研究所)を中心とする研究グループ(地球産業文化研究所、日本エネルギー経済研究所、東京工業品取引所)が取り組んでいる。以下西條グループの研究を紹介する。 【市場性能を左右する要因】 排出権取引市場の性能を左右する要因としては、(1)排出料モニタリング(2)情報開示(3)供給独占(4)取引形態(5)取引主体は国単位のみか民間も含めるのか(6)目標未達成国に対するペナルティ(7)排出権取引量の上限(8)バンキング(第一取引期間の末に目標値以上の余剰排出権が手許に残った場合、第二取引期間に持ち越せる仕組み)(9)先物市場(10)責任制度−などがある。西條グループは1998年以来43回の排出権取引実験を重ね、実験結果をCOP4以降毎年報告している。昨年のCOP7では情報開示、取引形態、責任制度の3つの要因に着目し報告した。 情報開示は他国の取引情報と削減状況が見えないようにする「一部開示」と他国のものも見えるようにする「フル開示」の二通り、取引形態は皆が1か所に集まり互いの状況を見ながら売買する「オークション」と特定の相手と1対1で交渉する「相対(あいたい)取引」の二通りがある。 責任制度はやや複雑だ。まず国同士の売買ルールという観点で「売り手責任」と「買い手責任」に分かれる。売り手責任では売買した時点で排出権の所有権が移る。買い手責任では取引成立時点で買い手は売り手にお金は払うが所有権は直ちに移らず期末(2012年以降)に移る。言わば債券だ。債券を売った国がそれに見合うだけの国内削減をしないと債務不履行(デフォルト)を起こすが、それに対する罰則は無い。一方、各国は第三者管理機関に対し5年間の排出量を目標値までちゃんと削減したかを報告する義務があり、購入した排出権を含めても目標値に達しないとペナルティなど罰則を受ける。罰則無しの他国への責任と罰則有りの第三者管理機関への責任を天秤にかけ各国は売買行動を決める。従って前者を優先するか後者を優先するかで「国先買い手責任」と「管理先買い手責任」に分かれる。最終的に三通りの責任制度が考えられる。 西條グループは上記三つの要因を場合分けした9パターンの実験を、それぞれ2回ずつ計18回実施。実験は独自開発したWEBアプリケーションシステムを使っている。 【どのようにして市場は失敗するのか】 18回の実験結果を整理したのが図1である。横軸は効率性で、地球全体の削減総費用が最小の時100%、各国が国内削減だけに頼った時0%になる。縦軸は、参加者の予測価格が理論価格からどれだけ乖離しているか示す指標であり、正確に予想すると0、高く予想するとプラス側、安く予想するとマイナス側に振れる。つまりバブルの度合いを示す。理論価格とは需要量と供給量が均衡する価格のことで、全員が一貫して最適な投資をすると一定値のままだが、過剰投資又は過少投資するとその時点で値が変わる。 西條グループは実験縮果を「成功」「過剰投資」「過少投資」「デフォルト連鎖」の4ケースに分類した。興味深いのは市場制度として性能の劣る3つの失敗ケースだ。 過剰投資ケースの例を図2に示す。実験スタート時に高めの価格で取引されるのを見た参加書は排出権取引より国内削減を重視する戦略にシフトする。過剰投資となり排出権は供給過剰になる。そのため理論価格は徐々に下落するが参加者は依然として高値を予想し価格も高めに推移する。増々国内削減に走る。最後に参加吉は余剰分を売りさばこうとし価格が暴溶する。効率性という点では失敗だが、目標以上に削減するので地球には優しいケースと言える。 過少投資ケースは過剰投資ケースの逆パターンである。低めの価格でスタートしたのを見た参加者は国内削減を控える戦略にシフトする。過少投資となり排出権は供給不足になる。そのため理論価格は徐々に上昇するが、参加者は依然として安値を予想し価格も低めに推移、国内削減も控えたまま。最後に不足分を購入しようとし価格がやや上昇する。しかし過少削減で市場に出まわる排出権がそもそもない。効率性が低いばかりでなく、自標未達成国が出やすいケースと言える。カりフォルニア電力危機はこのケースに相当する。 デフォルト連鎖ケースは管理先買い手責任の時に起こった。罰則規定のない他国への債務履行が後回しであることを見透かした参加者数人が、実験開始直後から債券を売りまくって意図的にデフォルトを起こしたのである。その国の債券を購入した国も巻き込まれデフォルト連鎖を起こした。他国への責任なんぞはくそくらえという制度の欠点を突いた巧妙な戦略だ。 【国先買い手責任が安心だが】 要因別に見てみよう。取引方法と情報開示は市場の性能にさほど影響は与えないことがわかった。一部開示の相対取引でまずまずの性能が出ており目を引く。情報はフル開示すべきだとよく言われるが、むしろフル開示することで一人が右に行くと皆右に行くといった付和雷同の方が問題だ。一方、責任制度が市場性能に与える影響は大きい。売り手責任は成功と失敗が極端に出やすい。国先買い手責任は大成功も大失敗もなくまあまあの性能だ。管理先買い手責任はデフォルト連鎖が起こる可能性がある。三つの中で最も安心できるのは国先買い手責任と言えそうだ。 このように市場性能を左有する要因を適切に抽出し、要因の影響度を比較検証できるような実験を適切に行えば、客観的裏づけのあるルールが提言できる。今回は排出権が対象だが、商品の特性がわかればどんなものでも検証と提案が可能だ。また、他国が主張しているルールが自国にどのような影響を与えるかを、理論的分析だけでなく実験デー夕を用いた定量的分析もできる。 例えばEUは排出権取引など京都メカエズムに様々な規制をつけ、各国が国内削減の比重を高めるようなルール作りを主張してきた。何故そう主張するのか。基準年が1990年ということがEUに幸いしている。東西ドイツ統合が90年で、その後旧東ドイツの効率の悪い施設を廃棄したり、旧東ドイツの経済自体が停滞したこともあり、ドイツCO2排出量は激減している。また英国では石炭から天然ガスへの燃料転換が自由化により進展し始めた時期でもある。実はその後10年程の英独両国による削減量だけですでにEU目標値の相当量を満たしている。削減コストも一人当り年間1200円程度と安い。ちなみに省エネなどに世界一真面目に取り組んできた日本の削減コストはその数倍〜数10倍だ。このようにEUの目標達成は日本に比べれば遥かにたやすい。そのような予測を踏まえてのしたたかな主張と認識すべきだ。 昨年のCOP7で、売り手責任制度に決まり、売却量に上限を設けるルールも決まった。西條グループでは今春このルールが世界全体にいかなる影響を与えるか、誰が得をし誰が損をするかを実験で検証することにしている。 (問合わせ先・「学際」編集部・大石善雄y-oishi@gakusai.org) |