[原子力産業新聞] 2002年5月9日 第2135号 <5面>

[年次大会午餐会]河竹登志夫・特別講演

早稲田大学名誉教授で日本演劇協会会長の河竹登志夫氏は、4月23日にさいたま市内のホテルで開かれた「第35回原産年次大会」午餐会で、「世界の中の歌舞伎」と題して特別講演を行った。比較演劇学を専門とし、演劇研究の第一人者である同氏が芸術顧問として同行した過去11回の歌舞伎海外公演でのエピソードを交えて、日本の伝統芸能である歌舞伎が外国人にどう評価されているかなどについて語った。

1960年の史上初のアメリカ公演。「歴史や政治的背景が違うため受け入れられないのではないか」との当初の予想に反して大絶賛を受けたのが徳川封建制度下の義理・人情を題材にした『忠臣蔵』だった。これについて同氏は、「物語の不条理な展開など、ドラマチックな過程が人間普遍のドラマとして理解されたのではないか。その上で、歌舞伎の特殊性というものが、特殊性として普遍的に受け入れられたのだと思う」と述べた。

さらに、絢爛豪華な踊りで言葉の問題等ないように思えた『娘道成寺』の反応が思わしくなかった点と比較して、「エキゾチシズムや色彩など、特殊なものをそのままぶつけただけでは、演劇の場合は無理だと思う。絵画や彫刻のようなものは、一瞬の感動がそのまま続くが、時間的なシーケンスのあるものは、やはりドラマチックな何かがないと無理なのではないかと考えついた」。

また、万事異文化の外国で、本物の歌舞伎を上演することの難しさについて、(1)劇場の問題(2)言葉の問題(3)「間」の問題(4)上映時間の違い等を挙げ、その一つの例として、「歌舞伎の特質を代表する「花道」は、ただの通路ではなく、大切な演技空間だということをいかに理解してもらうか苦労した」と、1961年、モスクワのワフタンゴフ劇場に「花道」を仮設するまでのエピソードを紹介。

「間」の問題については、「「間」は各民族それぞれの歴史の流れ、風土、様々な要素があって、自然につくられた独自の呼吸。歌舞伎には独特の「間」というものがある」として、歌舞伎の間を象徴するという拍子木の「間」などを説明した。

同氏は最後に、歌舞伎の持つドラマ性に加え、リアルであってリアルでない歌舞伎の様式美が海外でも理解されていると説明した上で、「歌舞伎で『ジワがくる』という第一級の感動を聞いてもらいたい」と述べ、アメリカ公演「忠臣蔵」を超える感動を得たという1961年のモスクワ公演『俊寛』の最後の場面を録音した音声テープを披露した。

(舞台の幕が開き、沸き起こる感嘆の声。大太鼓が打ち鳴らす波の音を打ち消すように響きわたる拍手と歓声・・・)その日のワフタンゴフ劇場が蘇るような同氏の演出に午餐会出席者は聞き入った。

河竹登志夫氏 1924年、東京生れ。東京帝国大学理学部物理学科卒業後、早稲田大学文学部芸術科で演劇を専攻、同大学院終了。早稲田大学文学部教授、ウィーン大学客員教授など歴任。オーストリア科学アカデミー会員。歌舞伎作者の河竹黙阿弥は曾祖父。


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