[原子力産業新聞] 2002年10月26日 第2158号 <9面> |
[特集] 原子力技術でツェツェバエ根絶ツェツェバエ‐。このイエバエほどの小さなハエは寄生虫「トリパノソーマ」を媒介、人にはねむり病を、家畜にはナガナ病を伝染する。アフリカでねむり病で死亡する人は年間6万6000人、毎年300万頭の家畜も死ぬ。こうしてツェツェバエはアフリカのサハラ砂漠以南の最貧国37か国を「緑の砂漠」に変え、貧困の根本原因となっている。この「悪魔のハエ」に国際原子力機関(IAEA)やアフリカ統一機構(OAU)は原子力技術で立ち向かい、不妊虫放飼法(SIT)を用いてタンザニアのザンジバル島からの根絶に成功した。今号ではIAEAの協力を得て、アフリカでのツェツェバエとの戦いを特集する。 アフリカに生息する、恐ろしいねむり病を引き起こすツェツェバエ(写真下)を駆除する新たな運動が、アフリカ統一機構(OAU)によって開始された。アフリカでは50万人もの人々がねむり病におかされており、その80%が死亡に至る。ツェツェバエの被害による経済的損失は年間40億ドルを上回る。 ツェツェバエはねむり病を蔓延させ、毎年300万頭の家畜を死に至らしめ、アフリカの肥沃な土地の多くを人の住めない「緑の砂漠」に変えてしまった。このハエは単細胞の寄生虫であるトリパノソーマ類の媒介動物である。トリパノソーマ類は、人や家畜の血液および神経系統を侵す病原体で、人間はねむり病に、家畜はナガナ病に罹る。感染は、ツェツェバエに血液を吸われる時に発生する。 過去100年にわたって、ツェツェバエを根絶するために、大胆な方法がいろいろ試みられてきたが、大抵の場合において、このハエは復活してきた。イエバエと同じくらいの大きさのツェツェバエによる被害は、サハラ砂漠以南の37カ国におよんでおり、そのうちの32カ国は、世界で42ある重債務最貧国(HIPC)に含まれている。アフリカでもっとも豊かな土地、特に河の流域や湿気の多い地域など、混合農業に適している土地が開拓できず、一方でツェツェバエのいない土地は人に酷使され、やせきっている。 ワクチンの開発は不可能 科学者たちは、人間や動物用のワクチンを開発できずにいる。それは、トラパノソーマ類が血液中に入った場合、自分のたんぱく質の外膜を少なくとも1000種類の変異体に変えることができるからである。ねむり病の発病を抑える薬や治療薬は、毒性が非常に強いか投与が難しい。砒素とグリコールの化合物であるメラルソプロールは、最も多い場合で服用者の10%が命を落とす。より新しい薬であるエフロルニチンは、非常に厳しく複雑な治療が要求されるため、使用できない場合が多い。 ツェツェバエは貧困の根源 「アフリカは今、ツェツェバエと戦う準備が整った」と、食糧農業機関(FAO)とIAEAの共同部署であるFAO・IAEA食糧農業部のサレマ副部長は語る。「ツェツェバエはサハラ以南のアフリカの貧困の根本原因である。この問題は、解決が不可能だとの先入観と、都市から離れた地域の貧民の問題だったことから、これまで放置されてきた」という。 タンザニア政府とIAEA、FAOの共同プログラムによるザンジバルでの成功は、不妊虫放飼法(SIT)と、家畜の背中に殺虫剤を塗布したり殺虫剤を仕掛けたハエ取り器を設置してツェツェバエの数を減らす方法とを併用した結果である。サレマ氏によると「SITは、これまでにどのような駆除方法によってもできなかったことを成し遂げた」という。 ツェツェバエはサハラ以南のアフリカに生息し、この地域の面積は約900万平方キロメートル、アフリカ全体のおよそ3分の1に相当し、アメリカ合衆国全土の面積に匹敵する。この地域の住民2億6000万人のうち、6000万人がねむり病の脅威にさらされている。WHOによると、アフリカ中央部の戦争で疲弊しきったコンゴのある地域では、ねむり病で死亡する人の数は、エイズも含め他のどの伝染病の死亡者数よりも多いという。 ツェツェバエがいなくなれば、この地域の家畜数は上昇するだろう。しかしそれだけでなく、現在、ツェツェバエがいない地域で家畜の頭数が多すぎるために起こっている草原の食い荒らしや土地の侵食が緩和され、家畜の分布がより均衡の取れたものになり、さらにより生産性の高い種類の家畜への移行が顕著になるだろうという。 ツェツェバエの脅威から解放されることにより、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国では、ザンジバルのように、農業を発展させる事が可能になり、農家は生産性の高い家畜を飼育して、食糧の自給や収入の拡大の機会を得られる。 ナガナ病との闘いでは、西アフリカの綿花地帯とエチオピアの河川流域をもっとも緊急性の高い地域が選ばれた。これらの地域では、ツェツェバエの被害が最もひどく、駆除によって家畜、農業、人材の開発にもたらされる恩恵が最も大きいと判断されたからだ。 世界動物健康機構(OIE)の推定によると、アジアでは穀物生産の50%に家畜が使われている。一方サハラ以南のアフリカでは、穀物生産に家畜が使用されているのは5〜10%だけだ。ジンバブエでの調査によると、家畜を牽引力として使用できる農民は、人力のみで農業を行なっている農民に比べ、農地単位面積あたり25〜45%、単位労働量あたり約140%、収入が多いという。 過去40年、食物生産量が低下 2001年に国連のアナン事務総長が行なった報告では、サハラ以南のアフリカでは、過去40年にわたり、1人当りの平均食物生産量が減っているという。 アフリカの農民がもっと多くの家畜を所有し、農業での利用を増やすことができれば、牛乳や肉の供給量が増え、穀物生産も強化されて、アフリカ大陸の飢えと貧困の解決に大いに役立つだろう。こうした混合農業は、ツェツェバエ生息地域では実現が困難である。 1999年には、およそ4万5000件の新たなねむり病の感染が報告された。しかし、危険にさらされている6000万人以上の人々のうち、調査対象はわずか300〜400万人にすぎず、WHOの報告によれば、感染の総件数は50万件にものぼる可能性があるという。 「象を食べるには、少しずつ」 カバヨ氏によると、アフリカのツェツェバエを根絶することは、気の遠くなるような作業である。「アフリカに『どうやったら象を食べられるか?』というなぞなぞがある。答えは『少しずつ』だ。我々のツェツェバエ駆除もそれと同じで、まず最初の地域から根絶し、そして次に進んでいくのだ」と、同氏は語る。 町末男・原産常務理事のコメント ザンジバル島で畜産の責任者に会い、ツェツェバエの恐ろしさを聞いた。ナガナ病にかかった牛はやせ衰え、牛乳や子牛の生産が著しく下がってしまう。FAOが殺虫剤でツェツェバエの撲滅に取り組んでいたが達成できず、SITに対する地元の期待は大きかった。撲滅の成功で島の畜産業が再興され、島民の生活を貧困から救った。(前IAEA事務局次長) 不妊虫放飼法(SIT) 根絶しようとする害虫を人工的に大量に飼育し、これに放射線(γ線)をあてて不妊化(生殖能を失わせる)、その後、大量かつ反復して野外に放す。不妊化虫は、野生の虫と交尾はするが受精せず、卵は育たない。その結果、野生虫同士の交尾の機会が少なくなり、世代とともに虫は減り、絶滅に至る。 日本ではSITで、ウリミバエが1988年に奄美群島、90年には沖縄群島から根絶。 |