[原子力産業新聞] 2003年5月8日 第2184号 <2面>

[シリーズ] 日韓原子力協力をふり返って(上)

 一衣帯水ながら「近くて遠い国」、しかし「なぜか懐かしい国」韓国。植民地下の朝鮮に生まれ、日本の桐生高等工業学校で応用化学を学び、その後、日韓共同出資の化学会社の経営者を務めるなど、長い間、日韓関係を見つめてこられた馬景錫氏(=写真、胡馬技術会長)に、日韓原子力協力のあり方など執筆頂いた。

 私は1979年、韓国経済人連合会が主催した日本原子力産業視察団に参加し、初めて日本の原子力産業の実情に触れた。米国や日本の化学工場では商業秘密として売買している有益な資料を、日本の原子力界が公開してくれる姿勢に感銘を受け、1979年、韓国原子力産業会議と日本原子力産業会議の両方の会員となった。これを機に私は原子力界に入門し、それ以来、韓日両原産共催の日韓原子力産業セミナー、および韓日両方の原産年次大会に熱心に参加し、両国の原子力産業の協力関係を密にしようと力を注いできた。

 グローバリズム、世界貿易機関(WTO)、ユーロなどが登場したにもかかわらず、韓日両国は近くて遠い国だった。しかし、2002年サッカー・ワールドカップでは、韓日共同開催として両国が手を取り合って真剣に取り組み、大成功に終了した。その一部始終を見守りながら、日本の植民地時代を経験した私と日本の関わりを再度思い起こし、その上で日韓の原子力産業の今後について考えてみた。(次週に続く)


Copyright (C) 2003 JAPAN ATOMIC INDUSTRIAL FORUM, INC. All rights Reserved.