[原子力産業新聞] 2003年12月11日 第2214号 <2面>

[中部、北陸、関電] 珠洲原子力発電所建設凍結を申し入れ

 中部電力の川口文夫社長、北陸電力の新木富士雄社長、関西電力の藤洋作社長は、5日午前、珠洲市役所に貝蔵治市長を訪ね、3社が珠洲市の高屋・寺家両地点で進めてきた原子力発電所計画について、「凍結」する旨申し入れた。3社長は5日午後には石川県庁を訪れ、谷本正憲知事に計画凍結を伝えた。1975年11月に珠洲市と市議会が立地調査を当時の通産省に要望してから28年、3電力は立地調査を実施できないまま、計画は大きな曲がり角を迎えた。

 中電、北電、関電の3社は凍結の理由として、@電力需要の伸び悩みA将来の電力需要は穏やかな伸びとの予測B電力自由化による厳しい経営環境を予測C地元情勢は可能性調査も実施困難で用地確保の見通しが立たない――等を挙げた。最近の電力需要については「長引く景気低迷や省エネルギーの進展等により電力需要の伸び悩みが顕著」とし、将来の電力需要についても「人口の減少や製造業の海外シフト等、経済社会構造の変化が進むと予想され,電力需要は従来に比べ緩やかな伸びにとどまらざるを得ない」と予測している。電力会社の需給見通しや経営上の判断で、原子力発電所新規立地計画が「凍結」されるのは初めて。

 3社が原子力発電所立地を計画していたのは、珠洲市内の高屋町と三崎町寺家の2地点(=図)。1975年11月に珠洲市と市議会が立地調査を通産省に要望、翌76年3月から77年1月に同省が予備調査を実施。同年3月には3社でプロジェクトチームを編成、84年4月には3社が「珠洲電源開発協議会」を設置、86年6月には珠洲市議会が全会一致で誘致を決議した。89年5月に高屋地点で関電、北電が立地可能性調査を開始したものの、同年6月には反対運動により調査が中断、以降、調査再開に至っていない。1993年には総合エネルギー対策推進閣僚会議で、「要対策重要電源」に指定されていた。

 3社は、既に取得・賃借した用地の扱いについて、これから地元と協議していくとしている。一方、北陸電力の新木社長は記者会見で、珠洲原子力発電所を来年度の供給計画には載せない旨明らかにした。


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