[原子力産業新聞] 2005年4月28日 第2281号 <2面> |
[原産] 第38回原産年次大会 会田洋・柏崎市長が挨拶 「原子力は産業資源」会田洋・柏崎市長(=写真)は、歴史と文化の風香る柏崎が、明治30年代の石油噴出による「石油エネルギー」の町から、「原子力エネルギー」の町へとシフトしながらも、常にエネルギーに深い関わりを持って歩み続けてきた歴史を紹介。高度成長期における若者の流出をうけ、町の衰退を押しとどめるべく、様々な誘致計画を模索する中で原子力発電に出会った歴史を振り返った。 同氏は、1969年の原子力発電所誘致決議から、78年の1号機着工、85年の1号機運開を経て、97年には7号機が営業運転を開始、「世界一の規模を誇る発電基地」となり、毎年600億kWhを発電、東京都の年間消費量の80%を賄う「一大エネルギー供給基地」としての役割を強調した。 またこれに伴い、高速道路開通、2つの四年制大学の開学など、柏崎を取り巻く地域環境は「大きく飛躍・変貌」したと振り返りながらも、ここに至る過程には、推進派・反対派の激しい対立など、「筆舌に尽くしがたい幾多の苦難」があったとし、このことが「市民が心を一つに合わせて、まちづくりに邁進する体制を損ない」、「負の遺産としての結果」をもたらしたと述べた。 会田市長は、最近の原子力関係の事故や不祥事の結果、原子力発電に対する信頼が大きく揺らぎ、「安全と安心」を求める声が大きくなったとした。柏崎市が平成15年度に行った市民満足度調査の中で、行政に求める施策の重要度として、「原子力安全対策の推進」が第2位にランクされながらも、「その満足度は最下位」との結果が、これを如実に示していると述べた。 同氏は、柏崎が電源立地点であるがゆえの「苦労と苦悩の連続であったこの半世紀」に思いを致すよう求め、原子力産業関係者が、「安全」はもとより、「『安心』をどう構築できるのか」、今一度立ち止まって、立地点の心情に思いを巡らせるよう求めた。この上で、地域住民の信頼回復と国民の信頼醸造を確実なものにしていく必要性を指摘した。 「安心して暮らせるまち」、「元気の出るまち」、「希望のもてるまち」の三つの柱を「まちづくり」の基本理念とする柏崎市は、原子力政策についても、安全確保を大前提に、原子力発電を「重要な産業資源」、また働く場、人づくりに貢献する場として、「共存」を進めたいとの意欲を表明。今、「原子力の在り方が大いに問われている」として、原産大会で透明性のある議論が活発に行われることにより、「安心」の醸造と国民の理解促進が図られるよう求めた。 |