[原子力産業新聞] 2005年10月27日 第2305号 <8面> |
[解説] 20年目を迎えたチェルノブイリ事故の真相 重松 逸造 氏本紙既報のとおり、国際原子力機関(IAEA)など8国連機関と「チェルノブイリ・フォーラム」は9月、ウィーンで国際会議を開き、「チェルノブイリの遺産―健康、環境、社会・経済への影響」と題する報告書を発表した。今号では同会議に参加した重松逸造・放射線影響研究所名誉顧問(元IAEAチェルノブイリ国際諮問委員長)に、報告書の内容等について解説して頂いた。 放射線による死亡は4000人か 去る9月6日、7日の両日、オーストリアのウィーンでIAEAなどが主催する「チェルノブイリ―前進のため過去を振り返る」と題する国際会議が開かれた。標題は、この時の主催者側による新聞発表文のタイトルで、11頁に及ぶ発表文の冒頭は次の文章ではじまっていた。 「100人以上の科学者で構成する国際チームの結論によれば、20年近く前に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故による放射線被ばくのため、4000人に及ぶ人たちが死亡するとされた。2005年の半ば現在、放射線による直接の死亡者は50人以下で、その大半は高線量被ばくの応急隊員である。事故後2〜3か月以内の死亡者が多いが、遅い死亡者は2004年にまで及んでいる」。 IAEAをはじめとする国連の8専門機関は、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア連邦3国の協力を得て、2003年に「チェルノブイリフォーラム」と呼ぶ国際専門家チームを発足させ、チェルノブイリ事故の健康、環境および社会経済面への影響を検討してきたが、今回まとめた600頁に及ぶ報告書の結論の1つが上述の死亡予測数というわけである。 このニュースは直ちにわが国にも伝えられ、「チェルノブイリ事故最終的死者4000人、従来推計大幅下回る」、「チェルノブイリ事故死者最大で4000人、予想大きく下回る」などの見出しで報道された。また、国際環境保護団体グリンピースなどからは、この死者数推定値は「まやかし」であり、「原子力への不信感を和らげ、原子力利用促進を狙うもの」と批判したとの報道もあった。 今回の国際会議は、事故後約20年間の影響と対策をまとめたチェルノブイリフォーラムの報告を討議するのが目的で、とかく過大にとられがちな影響への誤解を解くことを意図したものであるが、この死亡予測数の場合のように、専門家の結論がそのまま受け入れられるとは限らない。 その理由の一つに説明不足があることは事実で、ここではこの死亡予測数を例に、問題点の所在を考えてみることにしたい。 死亡数の内訳 今回の国際会議で発表されたチェルノブイリフォーラムの報告書によると、チェルノブイリ事故で比較的高い放射線量に被ばくした人たちを、3グループに分けて死亡の状況が検討されている。 第1グループ 1986年4月26日の事故直後から翌1987年にかけて緊急の事故処理や放射能の汚染除去作業に従事した応急隊員約20万人で、1人当たりの平均被ばく線量は100mSv(ミリシーベルト)(年間自然被ばく線量の約40倍)と他の被ばく者グループに比べて最も線量が高くなっている。 このグループの中で、特に高線量に被ばくしたため急性放射線症と診断されたのは134人で、うち28人が3か月以内に死亡した。生存者106人からは、2004年までの追跡調査で19人が死亡しており、計47人の死亡となることから、報告書では放射線被ばくによる直接の死亡者は50人以下とされている。 この第1グループでは、急性放射線症の患者以外からも放射線に起因する白血病やその他のがん(固形がん)による死亡の発生している可能性があるが、後述する甲状腺がんの場合を除いて報告書の時点ではまだ確認されていない。 ただし、ロシア連邦からは応急隊員の間で、白血病、固形がん、循環器疾患による死亡が増加したとされているが、まだ予備的な報告のため、報告書は今後の調査継続を必要としている。 第1グループ20万人から今後発生しうる白血病と固形がんによる死亡予測数については、IAEAなどによるチェルノブイリ10周年国際会議(1996年)で報告された予測数が今回もそのまま採用されている。これによると、全員が95歳まで生きるとした場合の生涯予測で、白血病死亡は1000人、うち放射線に起因する死亡が200人(20%)、固形がん死亡はそれぞれ43500人と2000人(5%)となっている。つまり、がん全体の生涯死亡4万4500人のうち、2200人(5%)が放射線被ばくによる過剰死亡ということになる。 第2グループ チェルノブイリ原発周辺30km圏内の住民11万6000人(上述の10周年国際会議の時は13万5000人とされていた)で、事故発生の翌4月27日に緊急脱出した原発従業員居住区のプリピャチ住民4万9400人を筆頭に、5月上旬までにほぼ全員が30km圏外に避難した。1人当たりの平均被ばく線量は10mSvで、被ばくによる直接の死亡者はいないが、生涯予測では白血病死亡が440人、うち被ばくによる死亡が10人(2%)、固形がん死亡がそれぞれ1万8630人と130人(0.7%)で、被ばくによるがんの過剰死亡は140人(0.7%)となる。 第3グループ 放射能の濃厚汚染地域住民で避難しなかった約27万人。1人当たりの平均被ばく線量は50mSvで、急性放射線症や白血病などの増加は認められていないが、主としてこのグループの特に小児の間から甲状腺がんが多発した。その他の汚染地も含めた全地域から、1992〜2000年の間に18歳以下の患者が約4000人、うち3000人は15歳未満であった。しかし、甲状腺がんによる死亡者は現在まで9人で、報告書は放射線被ばくによる死亡者は第1グループの47人に加えて計56人、約60人としている。 このグループからのがん死亡生涯予測では、白血病死亡が1100人、うち被ばくによる死亡は100人(9%)、固形がん死亡がそれぞれ4万5000と1500人(3%)で、被ばくによる過剰死亡は1600人(3%)となる。 以上3グループ合計約60万人の被ばく者からの放射線による死亡者数を合算すると、既に発生した死亡者は上述した約60人、生涯予測死亡数は第1グループ2200人、第2グループ140人、第3グループ1600人の計3940人で、総計は冒頭の4000人ということになる。 問題点 報告書では、第一グループの急性放射線症生存者からの死亡19人全員を放射線被ばくによる直接の死亡としているが、これには問題がある。報告書には19人の死因が示されていないが、1998年までの追跡11名判明している死亡者11名の死因には、肺結核、肺壊疽、肝硬変など被ばくと直接の関係がなさそうな病名も含まれている。 もともと放射線に起因する病気のほとんどは非特異的で、他の原因によるものと区別が困難とされており、そのためある病気が被ばく者に多いかどうかは非被ばく者と比較して判断する必要がある。急性放射線症生存者の追跡調査についても非被ばく者の対照群を設定して検討するのが正しいやり方といえよう。 3グループの被ばく者について、白血病と固形がんによる生涯死亡予測数が示されているが、この予測数は広島、長崎の原爆被爆者で観察された放射線がん死亡リスクをそのまま当てはめて計算されており、原爆の場合の高線量、瞬間被ばくのデータを、チェルノブイリの比較的低線量、継続被ばくの例にどの程度当てはめられるかという問題がある。また、チェルノブイリでは外部被ばくに加えて内部被ばくも無視できないため、それだけ被ばく線量の推定が困難で死亡予測数を計算する上での不確定要素の1つとなっている。さらにいえば、がん治療の進歩によって将来は死亡者の減少も期待できるわけで、ここで述べた生涯死亡予測数はあくまでも対策実施上の参考と理解すべきであろう。 なお、今回は3グループ合計約60万人の被ばく者について放射線による死亡数が約4000人とされたが、前回の10周年国際会議の時は、この3グループに加えてその他(濃厚汚染地域以外)の汚染地域住民680万人(1人平均被ばく線量は7mSv)についても生涯死亡予測数が示されていた。それによると、白血病死亡が2万4370人で、うち370人(1.5%)が被ばくによるものであり、固形がんではそれぞれ109万2600人と4600人(0.4%)となる。 すなわち、放射線によるがんの生涯過剰死亡数は約5000人で、これに3グループの約4000人を加えて、前回(1996年)は約9000人と発表されていた(当時の一部の新聞報道では、その他の汚染地域住民数を370万人として過剰死亡数を6600人としていた)。今回はその他の汚染地域住民数も500万人と減少しており、1人平均被ばく線量も、国際放射線防護委員会(ICRP)の1990年勧告による公衆の線量限度(年間1mSv)を下回るとして、死亡予測の計算から除外されている。 まとめ 今回の国際会議でも明らかになったことであるが、原発事故に限らず、例えば戦争、地震、火災、台風、洪水、津波などによる大災害の場合は、原因のいかんを問わず共通した心理的、社会経済的影響がみられるということである。チェルノブイリ事故の場合も、情報不足や対策の遅れなどが加わって、当初から多くの噂話が先行する傾向がみられた。 死亡者数などもその例で、数万人から数十万人が死亡したとか、多くの先天異常児が生まれたなどの話が聞かれ、それらのすべてが事故による放射線被ばくのためとされた。影響の多くは事故の結果には違いないが、放射線とは直接の関係がないものであった。 IAEAは、1990年に当時のソ連政府の要請を受けてチェルノブイリ国際諮問委員会を発足させ、約200人の専門家が参加して1年間にわたりチェルノブイリ事故影響の評価を行った。一般住民の健康面に関しては、心理的影響や避難などによるストレス症状を認めたが、放射線の影響については将来甲状腺がんの増加を予測した以外は特にないとした。これに対して、当時は地元の3共和国やマスメディアから不満の声が寄せられた。 事故後10周年の国際会議は前述した通りで、議長は今回ドイツ初の女性首相となったA・メルケル女史が務め、筆者は議長の顧問役であったが、この会議で発表された被ばく関連の生涯予測死亡数に対しては、地元3国、マスメディアとも比較的冷静な対応がなされたようであった。 今回の4000人については、いろいろな不確定要素があることを述べたが、放射線に起因する死亡が何万人とか、いわんや何十万になり得ないことは確かである。しかし、災害としての事故の影響では、チェルノブイリ関連地域全般に生活環境や社会経済環境の悪化がみられたことも事実で、健康レベルも低下の傾向にあり、事故による放射能汚染除去対策とともに、生活環境全般の改善対策推進が重要ということであろう。 |