[原子力産業新聞] 2006年6月8日 第2334号 <2面>

鳥取県内のウラン残土 レンガ加工で地元合意 原子力機構が構内で活用へ

旧原子燃料公社(旧動力炉・核燃料開発事業団の前身)が、過去にウラン探鉱のため掘り出して鳥取県内に堆積して置いてあったウラン残土を撤去し、レンガに加工して利用するための協定書に、関係者が5月31日に調印し、2004年10月の最高裁によるウラン残土の撤去判決までに至った長年の課題が、解決した。

署名したのは旧公社の権利義務を継承している日本原子力研究開発機構の殿塚理事長、残土のある鳥取県の片山知事、レンガ工場建設サイト予定地の同県三朝町の吉田町長、原子力機構を指導する立場の文部科学省の小坂大臣の4者。

今回の協定締結によって、鳥取県湯梨浜町・方面(かたも)地区にあった約3,000立方メートルのウラン残土のすべてが撤去されることになる。すでに、ウラン濃度が比較的高い約290立方メートルのウラン残土は米国で精錬するため、米国企業に売却・搬出済みで、残り約2,710立方メートルがレンガ製造の対象。

レンガ工場は今後、鳥取県所有の三朝町木地山の土地を賃借して約1年後に建設着手、工場建設・レンガ製造に約4年をかけ、2011年6月末までに施設を廃止。その後、1年以内に施設を撤去して、跡地は整地・緑化して同県に返還する計画。この間、レンガを約100万個製造し、原子力機構の構内の歩道や花壇作りなどに利用する予定。

また、原子力機構ではレンガ工場に付帯して「極微量ウラン影響効果試験」を岡山大学などと協力して、極微量放射線の生物への好影響(ホルミシス)効果などの研究も行うことにしている。

旧公社は原子力開発の黎明期の1950年代から60年代にかけて、全国各地でウラン探鉱を行い、有望鉱床では探鉱用の坑道を掘り、この坑道掘削で出てきた岩石・土砂を、鉱山保安法に基づき坑口付近に堆積させた(これがウラン残土と呼ばれているもの)。

当初、今回対象の湯梨浜町・方面(かたも)地区での坑道を掘削しての探鉱に伴い、旧動燃事業団が借りていた捨石堆積場の敷地貸借契約(58年〜78年)では、土地の原状回復はしなくてもよいことになっており、円満に土地所有者に返還されていた。

ところがその後、89年に鉱山保安法が改定され、「周辺監視区域」という考え方が導入され、年間1ミリSvを超える場所には立ち入り制限等の措置が必要となった。そこで再び借地する必要が生じ、その際、土地所有者は借地契約を再締結する条件として、残土の撤去を約束する協定の締結を求めた。このため旧動燃事業団はこの土地所有者と借地契約を締結するとともに、90年8月、「関係自治体の協力を得て」との条件をつけて、残土を撤去する旨の協定を締結した。

同事業団はその後、鳥取県内と岡山県内でのいくつかの処理・撤去計画案を提案したが、いずれも関係自治体の理解が得られず、頓挫。2000年12月には、方面(かたも)地区の住民が、残土の環境への影響はなかったものの、協定の履行を求めて提訴、その後、最高裁まで争われることになる。この間、両県知事をも巻き込んだ残土撤去の受け入れ先をめぐる論争に発展した。

また、旧動燃事業団はこの間、岡山県にある人形峠事業所で行ってきたウラン探鉱はもとより精錬事業からも撤退し、ウラン残土の精錬ができない状態になっていた。


Copyright (C) 2006 JAPAN ATOMIC INDUSTRIAL FORUM, INC. All rights Reserved.