[原子力産業新聞] 2007年3月22日 第2372号 <3面> |
米、原子力復活へ動き急 サイト許可、APWR採用決定、停止炉再開など103基を持つ世界最大の原子力発電国・米国が再び動き出した――。 米原子力規制委員会(NRC)が8日(米国時間)、エクセロン電力会社のクリントン原子力発電所(BWR、出力106万8,000kW)隣接地に対して、「早期サイト許可(ESP)」を発給。またテキサス電力会社のコマンチェピーク原子力発電所の増設分2基の炉型として、三菱重工業が開発してきた新型PWR「US―APWR」(出力170万kW級)が採用されることが14日に発表されるなど、米国の「原子力ルネッサンス」はここにきて、実際の許認可、商業活動にも直結する、目に見える活動に結実してきた。 世界を駆けめぐるニュースでは「1979年3月のスリーマイル島(TMI)原子力発電所2号機事故以来」とか「30年ぶり」などの活字がおどる。 実際、TMI事故以降、米国内の新原子力発電所の発注はピタリと途絶えただけではなく、電力需要の停滞などもあり、規制強化による許認可期間の長期化や裁判闘争などを忌避するため、発注取り消しや火力発電所への変更なども相次いだ。 そのような技術的・社会的に厳しい状況の中で、営業運転にまで到達した最後の発注プラントは、日本原子力産業協会の調査によると、パロベルデ3号機(PWR、131万9,000kW)の1973年10月発注、88年1月の営業運転開始だ。時間を逆にたどれば、最後に営業運転したのはワッツバー1号機(PWR、121万kW)の96年5月営業運転入りで、同発電所の発注はなんと70年8月の発注で、建設期間は約26年間もかかったことになる。 もう1つ注目される動きは、85年以来停止中のブラウンズフェリー1号機(BWR、109万8,000kW)の動向だ。同機は74年8月に営業運転に入った後、翌年75年3月に1、2号機のケーブル室で火災が発生、85年3月に休止となった。その後、2号機、3号機は91年、95年と順次運転再開してきたが、1号機はいまだに休止中。 しかしここにきて、出力115万5,000kWに出力増強した上で、米国104基目の原子力発電所として再登場する可能性が強くなった。出力増強の許可はすでにNRCから出されており、同プラントを所有するテネシー峡谷開発公社(TVA)は早ければ年内の発電復帰を望んでいる。 |