[原子力産業新聞] 2007年12月20日 第2409号 <4面>

2007年回顧 地震による影響大きいが団結して乗り切る決意を

今年の原子力界を振り返るとき、原子力関係者なら誰もがあの夏の「海の日」の午前中の出来事から記述することだろう。

「新潟県中越沖地震」(M6.8)と名付けられた地震は、「震度6強」で柏崎市、刈羽村などを襲い、世界最大の柏崎刈羽原子力発電所全7基のうち運転中の4基を緊急自動停止させた。中央制御室では、家族の安否が脳裏をかすめながらも、操作員たちは次々と点滅していく赤青黄色のランプを必死に眼で追ったことだろう。事務本館でも蛍光灯や天板が落ち、事務キャビネットなどが倒壊し、散乱した。緊急時対策室のドアが歪んで開かず、屋外に臨時の災害対策本部を設置しての内外対応とならざるを得なかった。

所内変圧器の火災、極微量の放射性物質の海や大気への放出などもあったことはあった。

しかし、地下の岩盤上で設計時の加速度に比べれば最大で3.63倍もの地震に対して、4基とも全制御棒はスムーズに挿入され、外部電源を使って遅くとも21時間以内にすべての原子炉の冷却水を大気圧・100度C以下の「冷温停止」状態にもっていき、安全状態を確保したことに成功したことは、特筆に値すると言ってはならないものか。

東京電力への損害は言うに及ばず、地元・柏崎市や刈羽村をはじめとする地域全体が被った大きな被害と影響について、電気を消費する首都圏のどれほどの人たちが、少しでも自らの痛みとして感じ、また、どれだけ多くの人たちが少しでも復興へ向けた気持ちを一に共有できるだろうか。

今後も、機器の健全性、詳細な海域・陸域での地層調査の実施・評価、他の原子力発電所への教訓の反映など、やらねばならないことは山ほどあるが、将来のエネルギー確保のために、より多くの知見を得る貴重な経験として前向きに活かしてほしい。

地震のみならず、原子力発電所の「安全」を確保するのは電気事業者の責任であり、それは規制当局の検査によって担保されている。では、誰が住民の「安心」を担うべきか。十分技術的安全の上に立ち、住民の安心を担保すべきは、一義的には国、県、地元自治体の長ではないだろうか。今回の地震では、この「安心」の機能が不全を起こしたことが悔やまれる。

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地震のほかには、高知県東洋町の町長が、高レベル放射性廃棄物地層処分の文献調査受け入れ公募に、初めて手を挙げてくれたにも関わらず、その意志を活かすことができなかった。応募の初期段階から知事による調査受け入れ反対の表明がなされ、不安だけをあおることが目的のような根拠のない不当な情報のばらまきなどもあって、政治的に次第に孤立感を深めていった。結局、勇気をもって「小さな町が国策に協力できる機会はそんなにはない」との思いから全国に先駆けて手を挙げた町長は、4月の出直し選挙で他町出身の候補者に敗れた。

この反省から、自治体の方から応募するだけでなく、国の方からも受け入れ要請が可能になるように方針は修正したが、広範な国民的理解の上でないと、どこかの地区が特別な事情で受入れが可能になることはまず望むべくもない。応募する市町村内で、特に初期段階から国がどれだけ前面に出て説明ができるか、国全体で候補地を支援する体制が望まれる。

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一方で今年は、特に海外で原子力開発の力強い具体的な進展もみられた。米国で9月、初の建設・運転一体認可(COL)をNRG社などがテキサス州の原子力発電所の2基増設として申請し、しかも炉型は現在日本にしかないABWRが選ばれた。また米国では5月に、1985年以来長期にわたって運転を休止していたブラウンズフェリー原子力発電所1号機が、増出力したうえで22年ぶりに運転を再開し、米国で104基目の原子力発電所として復活したことが挙げられる。

日本も甘利明経産相によるカザフスタン訪問で、豪州に次いで世界第2位のウラン埋蔵量を誇る同国との官民一体となった原子力資源外交で大きな成果を挙げた。

国際社会では、7月の米印原子力協力協定の締結が大きなできごとであり、今後、IAEAとの保障措置協定締結、原子力供給国グループ(NSG)ガイドラインの対印輸出の例外規定など課題も多いが、地球環境問題や中国を抜き世界最多の人口国になろうとしている発展著しいインドが、原子力平和利用に本格的に乗り出そうとしていることに、どれだけ日本が協力できるか、模索する時期にきている。

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天災とはいえ中越沖地震の発生で、新耐震指針へのバックチェックが終了する前であったために、各電力会社は新たな対応を迫られているが、いつ襲ってくるかも分からないプレート型巨大地震と対峙して耐震安全性向上工事を行っている中部電力の浜岡原子力発電所と同様に、柏崎刈羽原子力発電所もより安全な原子力発電所として、できれば早く復帰して、日本社会に貢献することを願う。


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