[原子力産業新聞] 2008年10月30日 第2451号 <10面> |
〈文部科学大臣賞〉三木学園白陵高等学校(兵庫県)・2年 山城はるな 原子力の力を見つめ直して「金と引き換えの放射能はいらない」。 「放射能なしの明るい東洋町を」。 昨年、今まで無名だった四国の小さな町が突然全国民の注目の的となった。原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物を埋める最終処分場。その候補地を選ぶ「公募」に高知県東洋町が全国で初めて名乗りをあげたのだった。 しかし、これは町長の独断の行動であり、県や市町村から一斉に冒頭のような反対の声があがったのだ。 ちょうどその頃学校で調べ学習の時間があり、私はこの東洋町民の問題について調べ、発表した。処分場の建設によって町の自然が失われることを東洋町がどれだけ悲しんでいるか。そして自分たちのふるさとが放射能に汚染されるのではないかと大きな不安をいだいていることを述べた。 発表が終わってみんなのコメントを読むと、「自分の町が同じような状況になったら東洋町民と同じように反対すると思う」というような意見が圧倒的に多かった。しかし、その中で2、3人違う意見の人がいた。 「どこかの土地は必ず処分地として使われなくてはいけないのに、みんなが東洋町のように自分の町が処分地になることを反対し始めてしまったら、この先の原子力発電はどうなるのか」という意見だった。 私ははっとした。確かにそのとおりだった。私は今回の発表を完全に「第三者」の視点から行ってしまっていた。処分地をどこにするかは日本のエネルギー事情の未来を左右する問題であり、私たち日本国民全員の問題なのだ。毎日使いたいだけ、エネルギーを使っておいて、後始末は知らん振り。これではあまりにも無責任すぎるということに気づいた。 私はこの経験の反省として、もう一度エネルギーについて勉強してみることにした。日本の将来、自分の将来に関わることだと意識して読むと、「石油はあと40年で枯渇する」などの文章がより深刻に捉えられるようになった。 そして、読み進めるうちにこのような深刻な問題の解決のカギとなるのが、比較的安定供給が可能で、地球温暖化の原因として大きな問題になっている二酸化炭素の排出量も少ない、原子力発電なのだということが分かってきた。 日本は世界と比べると原子力発電がとても盛んな国である。この事実は私にとって意外だった。なぜなら、日本は世界で唯一の被爆国であるからだ。まだ被爆の後遺症で苦しんでいる人が多くいる日本には、放射能に対する恐怖がどこの国よりも深く根付いている。あの東洋町の問題のように、原子力発電が日本国民の信頼を得られない原因はほぼここにある。 それではなぜ世界で一番原子力の利用に抵抗を感じる国、日本でこんなにも原子力発電は普及しているのか。それは原子力発電が理屈の面でとても日本にあっているからだ。 原子力発電の燃料となるウランは、アメリカ・カナダ・オーストラリアなどの先進国から安定的に供給されている。これは資源のほとんどを外国に頼っている日本にとってとても安心できることである。また、石油に比べてごく少ない量で発電を行えるので、輸送や貯蔵が容易である。 土地の少ない日本にとってこれもとても助かることである。さらに、使用済みの燃料を再処理して回収されるウラン、プルトニウムを利用するという核燃料サイクルの完成によって、ウランの有効利用が図られ、ウランはいわば準国産エネルギーとして、いっそう安定したエネルギーの供給源となる。 このようにエネルギーの安定供給を図る観点から、わが国にとっては、原子力開発を推進していくことがきわめて重要な課題であるといえるのだ。 私は、原子力発電の最も大きな問題は、臨界事故や放射能漏れなどの原発事故に対するマイナスイメージと電力の安定供給が可能でクリーンなエネルギーという理屈では分かっている原子力発電のメリットの受け取り方の間の溝にあると思う。そしてその溝は、何か少しでも事故が報道されるたびに、人々の不安を煽る結果となり、どんどん広がり続けていると思う。 この溝を埋め合わせない限り、原子力発電を語ろうしても、偏見や誤解の壁を乗り越えて、明るい将来や正しい現実を見据えることはできない。また、どんなに技術開発をがんばってもそれは真の原子力発電の発展とは呼べないだろう。 では、私たちに今足りないものは何だろう。私はもう一度東洋町民の言葉を思い出した。 ――金と引き換えの放射能はいらない。 答えは、「信頼」と「正しい知識」だと思った。この町民の言葉は「処分地に利用されても地上の環境は安全だ」という政府の言葉を信じていないことが前提にある。そして、信じるためにはまずその信じるもののことを知らなくてはいけない。だから、「勉強」も大切だ。それも意欲的でなくてはいけない。 今回の論文を書くにあたっておどろいたのは、調べてみると想像以上に多くの情報があったことだ。政府や財団などがさまざまな電波を発信してくれていたにも関わらず、私はまったくアンテナを立てていなかったのだ。つまり、自分の無知は自分の無関心に原因があったのだ。 まだまだ大きな課題が残ってはいるものの、原子力発電は日本、そして地球にとってこれからますますなくてはならない存在になるだろう。毎日エネルギーを使う一人の人間にして、無関心を装うことなく、常にアンテナを張って、正しい知識を判断力を身につけ、将来自分もこのエネルギーの発展と信頼性の普及に何らかの形で携われたらいいなと思う。 |