[原子力産業新聞] 2008年10月30日 第2451号 <4面> |
国際展開の「中枢機関」設立必要に 多様な評価軸でマルチに熟慮のとき司会 ありがとうございました。それでは佃副会長、これからはメーカーとして原子力ビジネスを国際展開していくにあたり、核燃料供給保証やバックエンドを含む“ワンセット対応”の可否が要件になるといわれますが、今の石田長官のお話をどのように受け止められましたか。 佃 石田長官が言われたように、これからは燃料供給から原子力発電所の建設および使用済み燃料処理等のバックエンドまで含め一貫した提案が必要になると思う。燃料供給については、国も資源外交を積極的に進めてもらっており、大いに感謝している。また、発電所建設の「ものづくり」という点では、アメリカではスリーマイル事故以来“原子力冬の時代”の30年間に1基も建設しなかったために原子力関連の製造技術が雲散霧消してしまったが、その間、日本では電力および国の方針がぶれることなく、原子力発電所の新規建設を継続してきたおかげで、われわれの技術も確保されてきた。この点には大いに自信を持っているし、問題はない。 あと残る課題はバックエンドだが、これは、核不拡散問題等の政治的課題と直接絡んでくるのでメーカー単独では対応できず、国あるいは国際的な枠組みの中でどう担保していくのかを、今後さらにしっかり議論し、新しい秩序をつくり上げていってもらいたい。すでに先ほどお話のあったアメリカの国際エネルギー・パートナーシップ(GNEP)計画とか、エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)事務局長構想などいろいろな提案も出されているが、こうした問題は二国間協定だけではなくて世界全体としての国際協定が必要になるし、それがないと原子力の国際展開・貢献も困難となろう。日本は世界の非核兵器保有国の中で唯一再処理を認められ、その技術を持っている国なので、そうした原子力平和利用における存在感と日本に期待される役割の上に立ち、国として国際協調の中で積極的なリーダーシップを発揮してもらいたい。国の方針に基づき、われわれメーカーとしてサポートしていきたいと考えている。 司会 途上国協力のモデルケースとしてベトナムが注目され、FS受注商談が白熱化しているがどうですか。 佃 ベトナムがFSをどこに決めるかは国際入札になると聞いている。競争相手としてはフランス、アメリカ、韓国等のコンサルティング会社や電力会社がいて、いずれも官民一体で活動している。これらの国々のメーカーは炉型が1種類であるが、日本の場合はあらゆる炉型の選択肢がある。 先ほど石田長官が言われたように、国は原子力導入の法規制体系の構築、人材育成、資金手当て等の環境整備をすると言っていただくと、メーカーはFS後に予想されるプラント建設の国際入札に安心して全力で参加できる。国として一体となった戦略的海外展開については、各メーカーが今後詰めていかなくてはいけない重い課題であると認識している。 司会 さて、和気先生には少し視点を変え、内閣府が7月に実施した意識調査によると「低炭素社会」を知っている人はわずか30%、しかも、それを実現する手段として原子力は最下位。「低炭素革命」のリーダーを自任する日本として寂しくないですか。 和気 「低炭素社会」という言葉そのものが定着していないことが、意識が低いとは必ずしも言えない気がする。少なくともCO2を何らかの形で削減することの必要性について大方の人々は認識しているし、日本社会の環境意識は高いと評価できる。ただ、実際に低炭素社会を実現するためには、いわば社会変革が必要になってくる。 企業だけではなく、行政だけでもなく、1人ひとりの消費者を含む社会全体において、意識改革から行動改革への流れが必要になる。そういう社会の隅々に何か変革をもたらすためには、多様な役割を担った人々が、多様な形で貢献していかないと実効性と持続性がなく、制度設計を含め、そのための社会的枠組みをつくっていくことが必須である。 そこで重要なことは、客観的かつ合理的に観察し、それを冷静に判断し、そして勇気をもって行動する習慣を大切に醸成していくことである。日本の社会には、安全とか安定という価値に対して高い選好があると思うし、それは誇れる文化であり、安全や安定に対する強いセンシティビティーはとても大切なことである。ただ、そうした社会的価値が何によって守られているかということを少し考えておく必要がありそうだ。 明治維新以後の日本社会のガバナンス構造からすると、そうした価値はいわゆる「お上」という政府によって、あるいは他人様が、あるいは何か大きな傘のもとで守られているといった思いが強い。どうも、日本人は無意識に安全と安定を求めながら、それが何によって担保されているのかということを明示的に考えないままに今日に至っている感じがある。 しかし、安全や安定を維持するために多大の社会的コストが支払われていることを知らなければいけない。まずはそれが第一歩である。私が「リスク感応度」社会と呼ぶのは、多くの事象に不確実性や不安定性というリスクが避けられないとすれば、この現実を冷静に受け止め、そのリスクをいつ、だれが、どのように管理したらよいかを、1人ひとりが当事者として考え、行動する時代が来ていると思うからである。 1人ひとりの当事者意識を動因とする社会変革のなかで、気候変動リスクやエネルギー・原子力をめぐるリスク問題は解決されると信じる。 |