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原子力工学の礎支えた大山彰氏が死去 元原子力委員長代理原子力委員会委員長代理や旧動力炉・核燃料開発事業団理事などを歴任した大山彰氏が4日、急性心不全のため死去した。86歳だった。 お通夜は10日、葬儀は11日、東京都渋谷区の代々幡斎場で執り行われた。喪主は妻信子さん。 故大山氏は1923年生まれ、東京帝国大学電気工学科を卒業後、同助教授(電気工学科)を経て、後の向坊隆・東大総長らと共に原子力工学科の初代教授に就任した。55年には米アルゴンヌ国立研究所に開校した「原子炉学校」に、後に旧科学技術庁事務次官となった伊原義徳氏と共に初の国費留学した。69年からは旧動燃事業団理事・高速増殖炉開発本部長として、「常陽」の開発を主導した。 安全委員、原子力委員を経て91年から95年まで原子力委員長代理、96年から02年まで日本原子力文化振興財団理事長を務めた。 07年1月には、原産協会のシステム研究懇話会で「原子力ルネサンス雑感」と題して講演。「歴史を知らないと、国を危うくする」との思いから原子力開発の歴史を振り返り、「原子炉学校」時代の状況を考えると、日本の企業がウェスチングハウス社を買収するなどということは想像だにできなかったと回想する一方で、今後は原子力ルネサンスの中で、人材育成がより大きな課題になる、と指摘していた。 |
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