西川正純・前柏崎市長 私見〜原子力発電をめぐっての冷静な議論は可能か 電気の恩恵、まず忘れずに 高レベル処分は「生き方そのものの問題」

私は、議員として10年、市長として12年、世界最大規模の原子力発電所と向き合ってきた。議会では、いつも原子力発電所の問題が議論としてでた。市長を辞めてから5年がたつが、当時を振り返ってみたい。

常に考えていたことは、@地域振興策への評価A反対派(意見の異なる各種団体)との間合いの取り方、接し方B周辺自治体や県レベルとの足並みのそろえ方――だった。

日本人には、「原子力」に対するぬぐいがたい恐怖の皮下意識があるのではないか。まして、「高レベル」「放射性」「廃棄物」と、三段重ねの負のイメージがあり、推進したいが、そう簡単には歯車は回り始めそうもない。かくして、議論の入り口を見つけることさえ難しいのが現状だ。

現状打開――少しでも世論の理解を得るために、いくつかの問題提起をしたい。

まず、すべての前提として、当事者の「覚悟」と「使命感」が求められる。

総論で「OK」、各論で「NO」、この考え方を少しでも和らげるためには、「もし原子力エネルギーに頼らなかったら、私たちの生活はどうなるのだろうか……」という素朴でバーチャルな議論の試みをすべきだ。実は、平成17年12月22日(木)午前8時過ぎ、前日からの暴風雪により、塩分を含んだ氷結が原因で、新潟市を中心に65万戸が停電した。県庁の非常灯も20分でダウン、エレベーター、パソコン使用不可、トイレ水も2階までしか届かず、交通信号も4300基中1200基が停止。うち104基のみが自動点灯したが。病院は外来患者お断り、重症患者の電動ベットが立ち上がらず、食事の介護も大変だった。午後10時になっても3万数千戸がまだ停電、冬の日本海側で、電気を使うガス・ファンヒーターさえ使えない状態を想像してほしい。

高レベル廃棄物問題は、「川下」の問題だが、「川上」のエネルギーや電力の供給問題にさかのぼって、理解してほしい。

原子力は基幹エネルギーで、温暖化防止対策にもいいので、「明るさ」「快適」「環境調和」など前向きなイメージを吹き込むことも重要だ。

事業推進主体の原子力環境整備機構(NUMO)が、「孤軍奮闘」、「孤立無援」の中にいるのでなければいいが。NUMOを取り巻く関係者一団の連携は十分か。

政治「永田町」の姿も見えない。事態がうまくいかないときこそ、政治家がそれなりの役割を担ってほしい。

立地地域選定のプロセスにも一考の余地はないか。推進主体のNUMOが、誘致に関心を持った地域に先乗りして、推進一辺倒を強調することがいいのかどうか。

ところで、「民意」とは何か。むげにはできないが、そのときどきの感情的な空気のようなもので、国や地域のことを考え練り上げたものではない。重要視し過ぎ、短絡的にその方向に流れると怖い。

市民の中に幅広い「緩衝地帯」(消極的理解者群)の醸成を丁寧に行っていくことが大事だ。マスコミ関係者も含めて。

既存原子力施設を有し住民理解の進んでいる地域の優位性も考慮すべき。いままで原子力に無関係であった所に、誘致の問題が勃発した東洋町などでは、相当苦労されただろうことは、想像に難くない。

最終責任の明確化や長期戦の覚悟も。

高レベル廃棄物処分は、技術論や地域振興論も大事ではあるが、我々が生きる社会が直面する問題であり、政治家が真っ向から取り組むべき課題だろう。


お問い合わせは、情報・コミュニケーション部(03-6812-7103)まで