柏崎とドナルド・キーン氏 古浄瑠璃上演を提案 発電所も見学

昨年12月末、新潟県柏崎市内にて中越沖地震復興コンサート「アヴェ・マリアの調べ」が開催された。会場となったのは、かつて「柏崎トルコ文化村」として賑わい、現在では改装されて結婚式場として生まれ変わった「グランコート」の聖堂である。

コンサート開始の主催者挨拶で、柏崎市在住の声楽家・小泉千秋さんは、「震災で心が折れて何も出来なくなってしまった時、音楽と駆けつけてくれた人々の思いやりに救われた」と静かに語った。

今から約2年半前の2007年7月、柏崎地方を襲った中越沖地震による被害は、4万棟以上の建物の倒壊、死者7人、負傷者800人以上という甚大なものだった。また、市民生活が困窮しただけではなく、世界最大の出力を持つ原子力発電所が立地する被災地として、柏崎は風評被害による多くのダメージを負った。

重厚な聖堂には小泉さん、市民合唱団、少年少女合唱団らによる美しい歌声が響き、300人余の聴衆を包み込んだかのようだった。そしてその聴衆の中には、日本文化・文学を海外へ発信する第一人者として名高いドナルド・キーン氏の姿があった。

キーン氏と柏崎にはある特別な繋がりがある。中越沖地震が発生して2か月に満たない頃、柏崎で「越後国柏崎・弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」という古浄瑠璃を上演してはどうか、という話が持ち上がった。この古浄瑠璃は、1685年に正本が江戸で刊行され、これまで日本国内では確認されておらず、唯一、1692年ドイツ人医師ケンペルによって長崎出島から幕府の禁を犯して持ち出され、1962年に鳥越文蔵・早稲田大学名誉教授が大英博物館で発見し翻刻出版されたもの。「弘知法印御伝記」とは新潟県長岡市寺泊の西正寺の即身仏「弘智上人」にまつわる伝説をもとに虚構を加えた高僧弘知法印の一代記である。この古浄瑠璃の上演の提案者がキーン氏だった。

新潟市に住む古浄瑠璃上演者の上原誠己氏からこの相談を受けたのが、被災地・柏崎に住む1人の女性、吉田眞理さん。彼女は震災と風評被害で苦しむ柏崎市民に元気を与えられる素晴らしいチャンスだと思い、柏崎の歴史に詳しい霜田文子さんに相談。そして「柏崎ゆかりの古浄瑠璃を復活初上演する会」が発足した。地元企業の協賛を得て昨年6月、江戸で刊行されて以来約300年ぶりの柏崎初公演が実現。新潟県内においても数回の上演が行われた。

吉田さんは震災後初めて「原子力発電所が身近に存在する事実」と真剣に向き合うことになり、震災が「原子力とはどんなものか」を考えるきっかけとなったこと、原子力との共存には、信頼関係が必須であること、また、社会を形成していく一員として行動を起こす大切さを感じた。「柏崎から何かを発信したい」、またキーン氏に「被災の特徴である原子力発電所を見学したらどう思われるか」と素直に想いを伝えた。発電所見学は現実のものとなった。音楽・オペラに造詣の深いキーン氏に復興コンサートに合わせての来訪を提案した。

コンサート翌日の24日、キーン氏は吉田さん、柏崎観光協会会長・内藤信寛さん、柏崎日報社社長 ・山田明彦さんと筆者と共に発電所を見学した。案内役の東電・小池氏からは、世界のエネルギー、日本の文化や歴史の話を盛り込んだ丁寧な案内があった。「長い構内の廊下を『松の廊下』と呼ぶ」ことや、「IAEAから何度も『本当に地震の時、社員で逃げる人はいなかったのか?』と聞かれて『日本人の誇りとして、誰一人として所内の安全が確認されるまで家に帰ることもなく作業にあたり、全安全確認が終了した際には自然と拍手が沸き起こった』」という話に耳を傾けながら、ゆっくりと構内を見てまわった。当日は天気もよく展望台からは米山や佐渡島が美しく見えた。

震災から約2年半。柏崎発電所は、耐震強化、安全性向上のための対策、設備の点検、評価、復旧作業が進められ、6、7号機で運転を再開した。また、震災による土砂崩れで斜面が崩落した国道「椎谷岬トンネル」の開通式も先日行われた。これにより県の管理道路の全て(171か所)の復旧が完了した。

今年秋に、キーン氏は再び柏崎を訪れることになる。「柏崎綾子舞」の現地公開に合わせての講演が予定されているためだ。また古浄瑠璃「越後国柏崎・弘知法印御伝記」の東京公演も決定している。柏崎は復興に向けての一歩一歩を確実に歩んでいる。(原産協会・坂上千春)

ドナルド・キーン氏 1922年生まれ、アメリカの日本文学研究者。08年に文化勲章受章。1年の半分を日本で暮らし、87歳の現在も研究、講演活動を精力的に続けている。コロンビア大学名誉教授。

綾子舞 約500年前から伝承する古典芸能。国の重要無形民俗文化財。


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