【論人】新野 良子 柏崎刈羽原子力発電所の透明性を確保する地域の会会長 信頼とは何か

私の仕事は、創業116年の小さな菓子製造・卸・小売業を営む夫のパートナーとして、社内の危機管理役、すなわち何でも屋を任されている。顧客のニーズに応えるため、情報収集、現場管理など苦心するが年々難しさは増すばかりだ。

2002年、東京電力の配管データ改ざんの公表に、地域住民は立場を越え驚きと怒りに包まれ、その不正に至る背景や、安全規制機関として維持基準を持たなかった国への不信は一挙に強まっていった。

そこで、その打開策の1つとして「地域の会」が地方自治体から提案された。これまでにない組織として、多様な考えの住民が一同にテーブルに会し、関係機関がオブザーバーとして同席しながら議論に耳を傾け、情報の共有と透明性をもって信頼回復を図るべく03年5月手さぐりの船出をしたのだ。

今春8年目を迎えるまで、二度の大地震や水害、それまでの不適合公表など、思いもよらぬ事象が次から次へと見事に続き、住民目線で何でも言い合えるニュートラルな場を目指して、様々な議論を重ねており、地震後何かしら変化の兆しが感じられ始めたように思う。

昨年の政権交代後、国民の期待とは裏腹に、多くの政策の不具合や無策ともとれる実態が表面化してきた。とりわけ沖縄の米軍基地問題は、柏崎の原子力発電所の問題とも心理的に重なるところもあり、心が痛む。どうしてこうも中央(都会)と地方、トップと現場との間で認識にずれが生じてしまったのだろうか。

20世紀は急成の時代であり、一丸となって前進できた。21世紀に入るころには、色々な面で、これまでに限界の兆しが見えていたにもかかわらず根本議論をせず、先送りや一部手直しを繰り返してきたため、いよいよ行き詰った感がある。

発会後6年目の勉強会で組織論を学んだ。客観的視点を持つ事を目的としてだが、印象に強く残る内容が2つあった。1つは、組織はトップからだめになるという事。組織とは家族であり、グループでもあり、企業や国家とも置き換えられる。もう1つは、合理性とは組織によって異なるという事だ。

昨年暮れ、長年延命共存してきた関節が末期状態となり、避けたかった根本治療を決断せざるをえなくなった。行く先に困り、知人が勧める診療所を訪ねてみた。初対面の医師であるのに、安心感があり自然に会話が進み、どの患者にも熱心に耳を傾け説明をして下さる。

入院先を決めるに当たり、私が願った病院は私の行き先ではないと言い切られ、「医療はトータルで評価すべき」、と、それまで知らなかった病院を何度も熱心に勧められた。

紹介された病院は静かで清潔感があり、ドクターは物静かで言葉少なだが、なぜかホッとする。初診の日に希望通りの日程が決まり、詳細は知らぬのに不安が全くおきない。

翌月入院してみるとあちこちに「患者の権利」が掲げられており、まもなくそれが実践されていることに気付かされた。治療は勿論、リハビリや、看護士とのやりとり、施設設備の充実度、食事などどれをとっても患者への気遣いが窺える。

医師は患者のもとへ時間をやりくりしながら度々顔を見せて下さり、患者の情報はすべてのスタッフが些細な事まで素早く共有する。連携の見事さ、尊敬と信頼し合う姿、情報の共有と透明性、その正確さとスピーディーさ、公平性が患者を包み込み安心感が自ずと芽生える。病院の立地地域の方々とも友好な関係にあると聞き、組織運営の的確さが伝わってくる。

人の気持ちとはこうして満たされ、それが信頼へとつながり、心や体の痛みをも和らげるのだという実体験をさせて頂いた。

あたりまえの事や役割をきちんとこなす大切さ、信頼することの素晴らしさをあらためて気付かせて下さったお二人のドクターに心から感謝したい。


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